「Baahubali: The Beginning」(2015年/邦題:バーフバリ 伝説誕生)、「Baahubali 2: The Conclusion (Telugu)」(2017年/邦題:バーフバリ 王の凱旋)、「Saaho」(2019年/邦題:サーホー)などに主演し、日本でも認知度が高い男優プラバース。基本的にはテルグ語映画界のスターだが、主演作がインド全土でヒットしたことで、「汎インドスター」の一人に数えられている。2022年3月11日公開の「Radhe Shyam」は、そのプラバース主演のロマンス映画である。テルグ語とヒンディー語の二言語で作られている。鑑賞したのはヒンディー語版である。
監督はラーダー・クリシュナ・クマール。過去にテルグ語映画「Jil」(2015年)を撮っており、今回が2作目だ。主演はプラバースで、ヒロインは「Mohenjo Daro」(2016年)などのプージャー・ヘーグデー。他に、サティヤラージ、バーギヤシュリー、サチン・ケーデーカル、ムラリー・シャルマー、クナール・ロイ・カプールなどが出演している。ヒンディー語版とテルグ語版ではキャストに若干の違いがあるようである。ヒンディー語版ではナレーションをアミターブ・バッチャンがしていた。
1978年のイタリア。ヴィクラマーディティヤ(プラバース)は著名な手相師であり、インディラー・ガーンディー首相の緊急事態宣言発令を予言したことでインドにいられなくなり、イタリアに滞在していた。ヴィクラマーディティヤの手には恋愛線がなく、恋愛や結婚を信じていなかった。彼はそれを「Flirtationship(浮気な友情)」と呼んでいた。 あるときヴィクラマーディティヤは女医プレールナー(プージャー・ヘーグデー)と出会う。プレールナーは、叔父チャクラボルティー(サチン・ケーデーカル)が院長を務める病院に勤めていた。二人は一旦離れ離れになるが、ヴィクラマ-ディティヤが交通事故に遭って病院に搬送されたことで再会し、親密な関係になる。プレールナーは当初、彼の手相のスキルを疑うが、列車事故を言い当てたことで信じるようになる。ヴィクラマーディティヤは、プレールナーが長生きすることを予言するが、彼女は不治の脳腫瘍に冒されており、余命数ヶ月と診断されていた。意識を失ったプレールナーは病院に搬送される。 意識を回復したプレールナーは、医学よりもヴィクラマーディティヤの言葉を信じるようになる。チャクラボルティーはヴィクラマーディティヤの手相スキルを試すが、彼はピタリと言い当てる。チャクラボルティーも、姪が生き残ることを信じるようになる。そのとき、プレールナーの脳腫瘍の治療法が発見され、すぐにでも手術が行われることになる。生きる希望を完全に取り戻したプレールナーはヴィクラマーディティヤにプロポーズするが、彼は拒絶する。 ヴィクラマーディティヤは、プレールナーの命を救うために自分の命を捧げようとしていた。それを知ったプレールナーは、逆にヴィクラマーディティヤを救うために自殺しようとする。交通事故に遭ったプレールナーは入院し、手術を受ける。そのときヴィクラマーディティヤはロンドンにいたが、プレールナーの事故の報を聞き、嵐の中を船でイタリアへ向かおうとする。しかし、津波に遭って船は沈没する。 プレールナーの手術は成功する。そこへボロボロになったヴィクラマーディティヤがやって来る。
1966年から1977年、そして1980年から暗殺されるまでの1984年までインドの首相を長期に渡って務めたインディラー・ガーンディーは、政治的に重要な決定を下す前に占星術師に相談していたといわれる。「Radhe Shyam」が時間軸に設定する1978年は、占星術師が影で政治的な力を持っていた時代だといえる。主人公は、まだ青年ながらインドを代表する手相師になったヴィクラマーディティヤである。ただ、舞台はインドではない。彼があまりの予知能力を持っていたために、インディラー・ガーンディー首相から危険人物と目され、半ば亡命の形でインドを出て、現在はイタリアに滞在しているという設定であった。
だが、あくまでこれは導入部であり、世界的な手相師であるヴィクラマーディティヤが海外で悠々自適の生活を送っている理由を念のために説明しただけだった。「Radhe Shyam」は全く政治劇ではない。メインテーマはロマンスである。
まず、ヴィクラマーディティヤ自身の手には恋愛線がなかった。これは、恋愛や結婚とは全く縁がないことを意味する。女性に興味がないわけではなく、むしろプレイボーイであり、数々の女性と深い関係にならずにデートを繰り返すことで、独身貴族を楽しんでいた。彼はそれを「いちゃつき」「浮気」という意味の「Flirtation」と、「関係」という意味の「Relationship」の合成語である「Flirtationship」と呼んでいた。
そんな彼が、運命の人であるプレールナーと出会う。「プレールナー」とは「インスピレーション」という意味であり、示唆的である。
プレールナーは不治の病を患っており、余命数ヶ月と診断されていた。だが、ヴィクラマーディティヤの手相占いでは、彼女の未来は70歳以上まで続いていた。ヴィクラマーディティヤにとって、彼の占いは100%正しかった。医者は否定するが、彼女の病気の治療法が見つかったことで、ヴィクラマーディティヤの占いの正しさが証明される。
だが、ヴィクラマーディティヤ自身の余命もあと少ししかなかった。彼は1978年11月26日に死ぬ運命にあった。自身の占いの正しさが証明されればされるほど、彼の死は絶対に避けられないものとなっていった。だが、彼は占いの精度を上げ、占いを絶対的に信じる道を選ぶ。なぜならそれこそが、プレールナーを助ける道だったからである。彼がもし生き残ってしまったら、プレールナーの長生きが信頼できないものになってしまう。
一方、ヴィクラマーディティヤの決意を知ったプレールナーは、彼の占いが間違うこともあるのだということを逆に証明しようとする。彼女が死ねば、彼の占いが100%正しいわけではないことになり、彼が生き残る道も拓ける。果たして運命は最初から決まっているのか、それとも1%でも変える余地があるものなのか。この命題をロマンスに引っ掛けて映画化した作品であった。それと軌を一にして、ヴィクラマーディティヤの師パラムハンサの著書「手相:99%の科学」が出版されようとしていた。パラムハンサは、占いも科学も正確性は99%が最大で、残りの1%は強い決意があれば変えられるとしていた。
言わば、運命と闘うという要素が入ったロマンス映画だが、似たようなプロットの映画として思い付くのは「Jab Tak Hai Jaan」(2012年/邦題:命ある限り)だ。
基本的にはロマンス映画ではあるが、終盤ではヴィクラマーディティヤの乗る船が津波に襲われ沈没し、パニック映画的なクライマックスになっている。そのシーンの映像効果からも分かる通り、かなりの予算を掛けて作られた力作で、ストーリーの着眼点も良かったが、ペースが遅く、少しこんがらがっていたところがあって、分かりにくい映画になっていたように感じた。プラバースの演技もベストではなかった。
ちなみに、題名になっている「Radhe Shyam」とは、インド神話のパワーカップル、クリシュナとラーダーのことだ。おそらくヴィクラマーディティヤがクリシュナでプレールナーがラーダーということだろうが、劇中で題名とリンクするような要素があったわけではなかった。
「Radhe Shyam」は、汎インドスターに成長したプラバース主演のロマンス映画である。テルグ語とヒンディー語で同時製作され、インド全土でのヒットを狙ったことは明白だが、興行的には大失敗に終わった。個人的には着眼点が気に入ったが、ほぼ全編海外ロケで、浮世離れしたような雰囲気だったのがインド人観客から嫌われたのかもしれない。もったいない作品である。