情愛監督

 インド映画業界には「~監督」という肩書きがいくつかある。もちろん、「監督(Director)」は映画監督であり、映画全体を統轄する最高責任者である。だが、それ以外にも複数の「~監督」が存在する。

 インド映画業界でもっともよく目立つ「~監督」が「音楽監督(Music Director)」である。他国の映画業界では「作曲家(Composer)」などとされるところであろうが、インド映画界では音楽がより映画の本質に近い要素になっているため、最大限の敬意と共にこのように呼ばれているのだと感じる。BGMの作曲家ではなく、歌詞が載せられ、多くの場合ダンスも伴う楽曲を作曲する人々のことである。BGMの作曲家は別にいることが多い。映画のポスターなどでは、音楽監督は監督と肩を並べてクレジットされることもあるくらい地位が高い。

 21世紀に入り、インド映画にもハリウッド並みのアクションシーンが盛り込まれるようになったことで、「アクション監督(Action Director)」と呼ばれる人々にも注目が集まった。「ファイトマスター(Fight Master)」とか「アクションコレオグラファー(Action Choreographer)」などと呼ばれることもある。ハリウッド映画に遜色ないアクションシーンやカーチェイスシーンなどが入る映画では、ハリウッドの人材が起用されていることも多い。

 「キャスティング監督(Casting Director)」という仕事も興味深い。映画の台本に従って、最適な俳優を見つけてくる仕事である。かつてはキャスティングは監督が行っていたが、監督と俳優の間に入ってキャスティングの手助けをするキャスティング監督を置くことが主流になり、現在では多くの映画にキャスティング監督がクレジットされている。

 他に、「撮影監督(Director of Photography)」があるが、これは他国の映画にもある肩書きである。たまに「コレオグラファー(Choreographer)」が「振付監督(Director of Choreography)」とクレジットされていることもある。「メディア監督(Media Director)」という肩書きを見たことがあるが、これは広報担当であろうか。

 そして2022年、遂に「情愛監督(Intimacy Director)」なる肩書きが誕生した。これは、米国映画業界などでは「インティマシー・コーディネーター(Intimacy Coordinator)」と呼ばれている人々で、いってみればキスシーンやベッドシーンをコーディネートすることを専門としている。どうも米国ではMe Too運動などによって映画業界の性的搾取がクローズアップされたことで、情愛シーン撮影の際に、監督と俳優の間に入り、第三者的立場でコーディネートできる専門家の存在が必要となってできた肩書きのようである。

 インドにおいて初めて「情愛監督」がクレジットされたのはシャクン・バトラー監督の「Gehraiyaan」(2022年)である。しかも、ダル・ガイ(Dar Gai)というウクライナ人女性が情愛監督を務めた。確かに「Gehraiyaan」のベッドシーンなどは自然かつ情熱的なもので、一般的なインド映画レベルを越えていた。今後、ヒンディー語映画界などで情愛監督の起用が一般化していくのだろうか。

Gehraiyaan

 情愛監督は具体的に何をするのか気になるところだが、2022年2月6日付けのデリー・タイムス紙に、「Gehraiyaan」の主演の一人、スィッダーント・チャトゥルヴェーディーのインタビューが掲載されており、ダル・ガイが何をしたのかが何となく読み取れる。その部分を翻訳して抜粋する。

セットにはダル・ガイという情愛監督がいた。それを初めて聞いたときは、情愛監督が必要なほどの映画なのかと少し怖くなった(笑)。でも、それがシャクンのやり方だと分かった。情愛シーンの描き方は身体的だけではなく、感情的で、しかも繊細だ。カメラは、「見ろ、二人がキスしているぞ」とは言わない。有機的に流れていく。(中略)それはチームビルディングだった。私が舞台劇をしていたときにしていたのと似ていた。ゴアで私たちは皆、朝7時にヨーガをして、10時に朝食を取った。正午にはボディーコーチが準備体操をしてくれて、その後、ダルが力を抜いて集中する術を教えてくれた。このような専門家は撮影現場に常にいるべきだ。私自身が知らなかった自分のことがたくさんあった。私はとてもシャイだが、ゴアで一緒に過ごし、一緒に食事をした1ヵ月間が私の心の壁を取り払った。

 キスシーンやベッドシーンを演じる役者たちを心理的に親密にさせ、彼らが身体的に自然に愛し合うことができるような雰囲気作りをするエキスパートといった感じだ。今後、インド映画のクレジットに「Intimacy Director」の名前を見る機会が増えてくるかもしれない。