インド憲法には22の「公用語」が規定されているが、その中でも連邦公用語とされているのはヒンディー語のみである。公の場では英語が使用される場面も多いが、法規上では英語は連邦の補助公用語に過ぎない。
ヒンディー語は、インド・ヨーロッパ語族の言語である。英語、フランス語、ドイツ語など、ヨーロッパで話されている言語とも遠い親戚関係にあり、似ている部分がいくつかある。よく引き合いに出されるのが親族名称である。ヒンディー語では「母親」は「माता」というが、英語の「mother」と発音が似ているのが分かるだろう。特定の語彙の近似性は、両言語が祖先を同じくすることのひとつの証拠と考えられる。他に、名詞・形容詞が格変化する点や、コピュラ動詞が存在する点など、いくつもの共通点が挙げられる。
ただ、英語はSVO型、つまり、主語(S)、動詞(V)、目的語(O)の語順が基本の言語であるが、ヒンディー語はSOV型、つまり、主語、目的語、動詞の語順が基本の言語である。つまり、日本語と同じ語順の言語ということができる。日本人にとっては、頭に浮かんだ日本語の文を前から順番にヒンディー語に置き換えていくだけで大体それなりの文になるので、取っつきやすい言語である。
■英語(SVO) I am Anna. 私は です アンナー ■ヒンディー語(SOV) मैं अन्ना हूँ। 私は アンナー です
また、ヒンディー語の音韻は、サンスクリット語音韻学の影響を受けており、言語学的な根拠に基づいて理路整然と整理されている。サンスクリット語もヒンディー語もデーヴァナーガリー文字で書かれるが、この文字の配列は、日本語の五十音図と酷似している。これは、サンスクリット語が仏教を介して日本に伝わり、日本語の文字配列に影響を与えたからである。この点でも、日本人には親しみの湧く言語になっている。
ヒンディー語の発音も、日本人にとって特別難しいものではない。ただ、インド諸語に特徴的なのだが、子音に有気音(帯気音)と無気音の区別がある点は注意が必要である。無気音は上の表の「ka」や「ga」で、普通に「カ」、「ガ」と発音すればいい。それに対し、「kha」、「gha」などの音が有気音である。「カ」、「ガ」というときに空気を多めに吐き出して発音する。ただ、カタカナ表記する際はこの「h」は無視していい。たとえばインドの国号は「Bharat」というが、これは「バーラト」でいい。これを「ブハーラト」などと表記するのは誤りである。
他に、「ta」、「da」、「na」、「sha」などに、舌を反らして発音する「Ta」、「Da」、「Na」、「Sha」などがあることも知っておくといいだろう。これもカタカナ表記の際は「タ」、「ダ」、「ナ」、「シャ」でいい。
言語学でいう「反り舌の弾き音」という特殊な音もある。「ダ」を発音する口の形をしながら「ラ」と発音する。アルファベットでは「da」と書かれることもあれば「ra」と書かれることもある。たとえば「少女」という意味の「लड़की」は、カタカナでは「ラルキー」と表記するのが一番原音に近いが、アルファベットでは慣例で「Larki」ではなく「Ladki」と書かれる。上の表では反り舌弾き音は「Ra」や「Rha」の文字にあたる。
話者人口と分布
ヒンディー語を第1言語(母語)として使用する人の人口はインド全人口の4割強である。ヒンディー語を第2、第3言語として使用する人を含めると、全人口の6割弱がヒンディー語を理解し、話すことができることになる。インド全土の都市部を中心にヒンディー語はよく通用するが、タミル・ナードゥ州など一部の州では、ヒンディー語が必修科目として教えられていないため、通用度は低くなる。
ヒンディー語を州の公用語としている州および連邦直轄地は以下の通りである。
- ビハール州
- チャンディーガル
- チャッティースガル州
- デリー
- ハリヤーナー州
- ヒマーチャル・プラデーシュ州
- ジャールカンド州
- マディヤ・プラデーシュ州
- ラージャスターン州
- ウッタル・プラデーシュ州
- ウッタラーカンド州
これらの州は「ヒンディー・ベルト」の異名を持ち、北インド一帯に広がっている。ヒンディー語映画の大切な市場でもある。以下は、ヒンディー語話者の多い地域ほど色を濃くして表示した分布図である。
これだけ広範な地域で話されているヒンディー語であるが、もちろん、各地に各様の方言がある。ヒンディー語には、「कोस कोस पर बदले पानी चार कोस पर बानी(数kmごとに水が変わり、十数kmごとに言葉が変わる)」という諺があるが、正にその通りで、一口にヒンディー語といっても、相当多様である。また、世代によっても言葉遣いは異なる。
大スターを起用したヒンディー語娯楽映画ではきれいな標準ヒンディー語で台詞をしゃべってくれる傾向にあり、ヒンディー語初学者にとってはいい教材となる。だが、21世紀になって増えた、写実的な社会派映画や、若者言葉を忠実に再現したような青春映画では、容赦なく方言や俗語が混じるため、ヒンディー語博士号取得者であっても聴き取りが難しいことがある。
また、一部のヒンディー語方言では、独立して映画作りも行われている。有名なのは、ウッタル・プラデーシュ州東部からビハール州西部で話されているボージプリー方言の映画産業である。ボージプリー語映画の年間製作本数は、ヒンディー語映画と南インド4言語の映画のすぐ下に付けるほど多い。21世紀に入り、ヒンディー語映画が海外市場を意識しながらオシャレ路線に突き進んだことで、庶民向けのコテコテな娯楽映画を求める層が行き場を失い、その穴にボージプリー語映画がうまく入りこんだ形である。
ウルドゥー語との関係
インドにはウルドゥー語という言語もある。実はヒンディー語とウルドゥー語はほとんど一緒の言語である。一般的にヒンディー語は筆記にデーヴァナーガリー文字を使い、ウルドゥー語はアラビア文字を使う。そしてヒンディー語の語彙にはサンスクリット語からの借用語が多く、ウルドゥー語の語彙にはアラビア語・ペルシア語からの借用語が多い。両者の違いはこのくらいである。ウルドゥー語は歴史的にイスラーム教徒の多い都市部で話されている他、パーキスターンの国語にもなっている。よって、ヒンディー語話者はパーキスターンの映画やTVドラマを理解することができるし、パーキスターン人がヒンディー語映画を鑑賞するのにほとんど支障は無い。
ヒンディー語とウルドゥー語の他に、ヒンドゥスターニー語という言語名が使われることもある。ヒンドゥスターニー語は、ヒンディー語とウルドゥー語を合わせた言語という理解でほぼ間違いない。多くの場合、ヒンディー語とウルドゥー語から難解な語彙を取り除いた、庶民が生活の現場で使う言語を意味する。ただ、現在ではあまり使われなくなっている言語名である。
インド人自身から、「ヒンディー語はヒンドゥー教徒の言語で、ウルドゥー語はイスラーム教徒の言語である」との言説を聞くことがあるのだが、これは間違っている。同じ言語をヒンドゥー教徒が話したらヒンディー語になり、イスラーム教徒が話したらウルドゥー語になるということはない。ヒンドゥー教徒にもウルドゥー語の作家はいるし、イスラーム教徒がヒンディー語の文章を書いても何もおかしくはない。歴史的な経緯から、ヒンディー語はヒンドゥー教と結び付きやすく、ウルドゥー語はイスラーム教と相性が良くなっているが、言語に宗教はない。
この辺りの話はウルドゥー語がなければ・・・も参照していただきたい。