「Unpaused」(2020年)は、新型コロナウイルス感染拡大防止のためのロックダウンがまだ完全に解除されない中で、感染対策をしながら撮られたコロナ禍題材の映画だった。映画館では公開されず、Amazon Prime Videoで直接配信された、いわゆるOTTスルー映画でもあった。正にコロナ禍の申し子だ。視聴者からは好評だったようで、その続編が作られることになった。それが2022年1月21日からAmazon Prime Videoで配信開始された「Unpaused: Naya Safar」である。「Naya Safar」とは「新しい旅」という意味だ。前作は5作の短編映画が収められたオムニバス映画の体裁だったが、今作はウェブドラマの形式を採っており、シーズン1は5話で構成されている。
第1話は「The Couple」。監督は「Bewakoofiyaan」(2014年)のヌープル・アスターナー。キャストは「Rashmi Rocket」(2021年)などのプリヤーンシュ・パイニューリーと「Why Cheat India」(2019年)などのシュレーヤー・ダンワンタリーのみ。二人の会話でストーリーが進む密室型の物語だ。
ディッピー(プリヤーンシュ・パイニューリー)とアークリティ(シュレーヤー・ダンワンタリー)は共働きの夫婦であり、高級マンションの一室に住んでいた。コロナ禍に伴うロックダウンで外出できなかったため、リモートワークでそれぞれ仕事をしていた。しかし、コロナ禍によってアークリティの勤める会社の業績が悪化し、彼女はレイオフされてしまう。それがきっかけでアークリティの精神が不安定になり、二人の間で喧嘩が始まる。次第に二人はお互いに無視を決め込むようになり、離婚の危機を迎える。 そんなとき、二人の結婚記念日がやって来る。お互いの母親からお祝いの電話があったが、二人の仲は険悪なままだった。しかし、そこに予め注文していたケーキが届く。それはアークリティの好物のケーキだった。しかも、結婚する前のツーショット写真がケーキにプリントされていた。これをきっかけに二人は仲直りをする。
まずはモダンな夫婦の形が提示される。ディッピーとアークリティは共働きで、家事も平等に分担し、家計も割り勘をしていた。まだ子供はおらず、どちらもキャリアを優先した生き方をしていた。コロナ禍でロックダウンになったために二人は自宅からリモートワークをしていた。
その調和の取れた関係が、アークリティのレイオフによって一変してしまう。ディッピーは気を遣って、彼女の次の就職先が見つからない間は自分が家計を負担すると言うが、対等な関係が崩れるのを恐れたアークリティはそれを頑なに拒絶したばかりか、女性だけがレイオフの対象になっていると、社会の不平等や理不尽さをディッピーにぶつける。それが原因で二人は離婚の危機を迎える。
コロナ禍によって崩れた関係であったが、コロナ禍のおかげで二人は同じスペースに居続けなければならなかった。二人の関係はなかなか改善されず、数日が経ってしまうが、そうこうしている内に結婚記念日がやって来る。ディッピーが予め注文しておいたケーキが届いたことで、アークリティに笑顔が戻り、一気に仲直りする。
コロナ禍故に仲睦まじい若い夫婦に亀裂が走ったが、コロナ禍故に二人の仲も修復され、より強い絆を築くことができた。そんなホッとする小話だった。
第2話は「War Room」。監督はアイヤッパKM。広告代理店出身の監督で、過去に数本短編映画を撮っているが、まだ無名だ。キャストは、「Mukti Bhawan」(2017年/邦題:ガンジスに還る)のギーターンジャリ・クルカルニー、シャルヴァリー・デーシュパーンデーなど。
サンギーター(ギーターンジャリ・クルカルニー)の本業は数学教師で、コロナ禍のロックダウン中には「COVIDウォールーム」でヘルプラインのオペレーターをしていた。新型コロナウイルスの患者が発生すると、その家族などから掛かってきた電話に出て、患者の詳細を聞き、基準を満たす場合にはICUのベッドを宛がうという仕事だった。サンギーターはテキパキと電話の応対をこなしていたが、とある人物から電話が掛かってきたことで動きを止めてしまう。 サンギーターは寡婦で、一人息子がいた。しかし、大学生だった息子は自殺してしまい、大学の学長は自殺教唆の罪で服役していた。ところがその電話は学長の息子からで、学長が新型コロナウイルスに感染したというものだった。いつの間にか学長は釈放されていたのである。 サンギーターは学長が命を奪ったと信じ込んでおり、彼を強く憎んでいた。まだICUには空きがあり、それを宛がえば学長を救うことができた。しかし、彼女はそれをすることができなかった。彼女は職務と感情の間で板挟みになる。行動が怪しかったため、サンギーターは上司から呼び出され、ICUのベッドを使って闇営業をしているのではないかと疑われる。だが、電話の主に確認したことで彼女の疑いが晴れる。学長にはICUが宛がわれる。サンギーターは早退し帰路に就く。
題名が「War Room」と物騒だったが、これは戦争中の作戦司令室をそのまま指すわけではなく、コロナ禍において患者の対応をするためのヘルプラインのようなものだった。また、そこでオペレーターをしていたのは学校の先生たちだった。おそらくロックダウンになって学校が休校になり、教師としての仕事がなくなったために、代わりにウォールームの人員として駆り出されたのだろう。
主人公はサンギーター。本業は数学教師だが、現在はオペレーターをして国に貢献していた。真面目な性格であり、次から次へと掛かって来る電話に手際よく対応しており、優秀な人物であることが分かる。ところが一本の電話が彼女の動きを全く止めてしまった。
実はサンギーターには大学生の息子がいたのだが、自殺をして死んでしまっていた。既に夫も亡くしており、彼女は天涯孤独の身になっていた。しかも、どうやら息子の自殺には大学の不手際が関わっていたようで、学長が自殺教唆の罪に問われて服役していた。電話の主は学長の息子で、学長が新型コロナウイルスに感染したためにCOVIDウォールームに電話をし、たまたまサンギーターがその電話を取ったのだった。
息子を愛して止まなかったサンギーターは学長を憎んでおり、服役してもたった2ヶ月で刑務所の外に出ていることを知って憤る。咄嗟に彼女は「ICUのベッドに空きはない」と答え、自分の携帯電話の番号を相手に伝えてしまう。これは規則に反していた。実はICUにはまだ空きがあった。彼女は、ICUを彼に宛がうかどうか、職務上のモラルと個人的な感情の間で板挟みになる。
なぜオペレーターが電話の相手に自分の連絡先を教えてはいけないのかは、終盤で分かってくる。インド特有の問題かもしれないが、オペレーターが不正に賄賂を受け取ってICUを宛がう恐れがあったからである。正にサンギーターはそれを上司に疑われ、呼び出されてしまう。結局、学長にはICUのベッドが宛がわれ、彼の命が助かる可能性が高くなった。
それについてサンギーターがどう思っているのかは明示されない。ただ、その日は早退したことから考えると、決して晴れやかな気分ではなかったに違いにない。それでも、命を救うことにはつながった。閑散とした地下道を歩くサンギーターに、ペン売りの少年が話しかけてくる。彼女は少年が持っていたペンを全て買いとる。ウォールームではペンが不足していたのだ。彼女のこの行為から、彼女は翌日もウォールームに出勤することが暗示される。ということは、彼女は元の真面目なオペレーターに戻るのだろう。彼女のどちらとも付かない複雑な感情をよく醸し出すことができた良作であった。
第3話は「Teen Tigaadaa」。ヒンディー語には「तीन तिगाड़ा काम बिगाड़ा(三人組が仕事を台無しにした)」という慣用句があるが、これから取られた題名だ。監督はルチル・アルン。ウェブドラマ「Little Things」(2016-21年)の監督として知られる人物である。キャストは、サーキブ・サリーム、アーシーシュ・ヴァルマー、サム・モーハンなど。
チャンダン(サーキブ・サリーム)、アジート(サム・モーハン)、ディンプル(アーシーシュ・ヴァルマー)の三人組は600万ルピー相当の家電製品を盗み出し、廃工場に身を隠した。だが、このときロックダウンが始まってしまう。ボスのナッリからはその廃工場にしばらく留まるように言われる。 チャンダンには身重の妻がおり、臨月を迎えていた。早く家に帰り出産に立ち会いたかったが、ロックダウンのせいで廃工場に缶詰になってしまった。だが、600万ルピーの分け前がもらえなければ帰ることはできなかった。仕方なく廃工場に留まり続ける。食いしん坊のディンプルとは喧嘩ばかりだったが、常に冷静なアジートに助けられた。 予定日よりも早くチャンダンの妻は出産し、女の子が生まれた。そのとき、ナッリが死んだというニュースが入る。とうとう分け前はもらえずじまいだった。三人組は徒歩で故郷に戻ることを決意する。
ロックダウン時の無為に時間だけが過ぎていく感覚がよく再現された映画だった。泥棒を働いてこれから分け前をもらえるというところでロックダウンとなり、主人公の三人組は廃工場に身を隠す。当初は数日そこにいればいいと安直に考えていたが、ロックダウンは長引き、分け前もなかなかもらえなかった。特にチャンダンには出産を間近に控えた妻がおり、焦っていた。
イライラしていたチャンダンは、トラブルメーカーなディンプルに何かと突っかかり、喧嘩ばかりしている。一方のアジートは自己啓発のビデオばかりを観ていた。彼はかつて大酒飲みで、父親の金をくすねてギャンブルに投じ、全てを失ってしまった過去があった。それ以来アジートは酒を止め、父親の金を返すために泥棒稼業をしていたのだった。3人のキャラはよく個性的に描かれていた。
チャンダンとディンプルが外に出て取っ組み合いの喧嘩をし、それをアジートが止めようとしていたシーンがあった。そこに警察がやって来て、三人に職務質問をする。彼らはマスクをしていなかったので罰金を取られてしまう。そんなところもコロナ禍の様子をよく伝えている。
彼らを廃工場につなぎ止めていたのは、これから入るであろう報酬のためであった。だが、その報酬を支払うはずのボスが急死してしまう。新型コロナウイルスに感染したためだと思われる。このまま廃工場にいても何も実入りがないと察知した三人は、徒歩で村に戻ることにする。欲望が消えたら、わだかまりも消えた。最後のシーンでは、青い光の中に三人のシルエットが向かっていく。前途多難というよりも、むしろ希望のようなものが見えたような気がした。
第4話は「Gond Ke Laddu」。題名は、食用ガムでできた団子状の菓子のことを指す。監督はシカー・マーカン。広告代理店上がりの映画監督だが、あまり情報がない。キャストは、ニーナー・クルカルニー、ダルシャナー・ラージェーンドラン、ラクシュヴィール・サラン、パッラヴィー・バトラーなど。
スシーラー・トリパーティー(ニーナー・クルカルニー)は、出産したばかりの娘リトゥ(パッラヴィー・バトラー)のことを心配していたが、コロナ禍中でなかなか会いに行けなかった。そこでスシーラーは、リトゥの大好物である「ゴーンド・カ・ラッドゥー」を作って送る。送付にはオンラインのクーリエサービスを利用した。 ローハン(ラクシュヴィール・サラン)はクーリエ会社に勤める若者だった。ローハンはリトゥ宛ての荷物を届ける役割を任せられるが、途中で交通事故に遭い、ラッドゥーを道にばらまいてしまう。発送から48時間以内に届けないとペナルティーがあり、タイムリミットは迫っていた。 ローハンの妻ギーター(ダルシャナー・ラージェーンドラン)はその話を聞いて、ラッドゥーを作ろうと言い出す。だが、なかなか家庭の味を出すことができなかった。そこでギーターは、レシピをシェアするサービスのオペレーターとしてスシーラーに電話をし、彼女が作ったラッドゥーのレシピを聞き出す。ギーターはそれに従ってラッドゥーを作り、ローハンに渡す。ローハンは急いでリトゥに荷物を渡すが、異変に気付いたスシーラーが苦情を送ったため、上司には彼が48時間以内に届けられなかったことがばれていた。 その後、スシーラーからローハンに電話が掛かってくる。ローハンはギーターに電話を渡す。スシーラーは、ギーターが作ったラッドゥーがリトゥに好評だったと明かし、自分にも作って送るように言う。ローハンは星5つの評価を付けてもらった。
もう厳格なロックダウンは行われていない時代の物語だと思われるが、まだ気軽に移動することもできていなかった。主人公のスシーラーは娘のリトゥにクーリエサービスを使ってラッドゥーを送る。そのクーリエサービスは48時間以内に届けることを売りにしていた。ところが、配達員のローハンは配達中に交通事故に遭ってリトゥ宛ての荷物を損傷してしまう。中に入っていたラッドゥーは道路に散らばってしまっていた。これでは顧客から低評価を付けられ、上司からも大目玉を喰らい、最悪の場合、クビになる恐れもあった。ローハンは途方に暮れる。
ローハンの妻ギーターは、まずはラッドゥー作りに挑戦する。つまり、スシーラーが作ったものではなくてもとにかくラッドゥーをリトゥに届け、ローハンの評価が下がるのを防ごうとする。この辺りの発想はいかにもインドらしい。正直に謝る前に、まずは何とか取り繕おうとするのである。
偶然、ギーターはレシピのシェアをするサイトを運営していた。日本のクックパッドのようなものであろうか。なかなか「家庭の味」を醸し出すラッドゥーを作れなかった彼女は、オペレーターとしてスシーラーに連絡をし、秘伝のレシピを聞き出す。ちなみに、スシーラーが明かした隠し味はナツメグだった。
ようやく満足いくラッドゥーができ、ローハンは急いでそれをリトゥに届ける。だが、ローハンは中身が変わっていることを黙っていることができなかったと思われる。明示はなかったのだが、行間を読むことで、彼がリトゥに一部始終を明かしたと予想できる。彼は顧客から最低評価を付けられることを覚悟した。
ところが、リトゥはラッドゥーの味を気に入り、それはスシーラーの耳にも入る。スシーラーはギーターに電話をし、彼女が作ったラッドゥーを褒め、自分にも送るように注文する。そしてローハンは最高評価である星5つを付けてもらえるのである。
コロナ禍やそれに伴うロックダウンでは一般市民の往き来が制限され、人と人が直接会うことが困難になった。だが、人々の生活を支えるオンラインサービスも急速に発達し、違った形で人と人が出会える機会も増えた。「Gond Ke Laddu」では、クーリエサービスやレシピ共有サイトなどを通して、対面なしに接点を持った人々が、温かい交流をする様子が描かれていた。ギーターには母親がいなかったが、電話越しにスシーラーと会話をすることで母性愛に触れることができていた。
もちろん、コロナ禍には辛い思い出が多かったことだろう。だが、コロナ禍だからこそ実現した出会いもあったに違いない。それぞれのそんなエピソードを凝縮したような物語だった。
第5話は「Vaikunth」。題名は「天国」という意味だが、同時に作品の舞台となる火葬場の名前にもなっている。監督はナーグラージ・マンジュレー。マラーティー語映画の傑作「Fandry」(2013年)や「Sairat」(2016年)などを撮った人物だ。マンジュレー監督は自身で主演も務めている。他に、アルジュン・カールチェーとハヌマント・バンダーリーが出演している。
ヴィカース・チャヴァーン(ナーグラージ・マンジュレー)は火葬場「ヴァイクント」で働いていた。コロナ禍により次々に遺体が運び込まれたが、ヴィカースは黙々と作業をこなしていた。 ヴィカースの父親トゥカーラーム(ハヌマント・バンダーリー)は新型コロナウイルスに感染しジャンヒト病院に入院していた。息子のアヴィナーシュ(アルジュン・カールチェー)は祖父の容体を心配していた。大家は、トゥカーラームが入院したこともあってヴィカースに対し立ち退きを要求していた。ヴィカースはアヴィナーシュを連れて火葬場に行き、そこで生活をし始める。 あるとき火葬場にジャンヒト病院の救急車が来て、運転手がヴィカースに呼びかける。その救急車に父親が乗っていると言う。ヴィカースは父親が死んだと思って立ち尽くす。救急車には数体の遺体が積み込まれていた。だが、よく見るとトゥカーラームは助手席に座っており、無事だった。アヴィナーシュがトゥカーラームに駆け寄る。
衝撃のラストで知られる「Sairat」の監督の作品なので、最後に何かとんでもないことがあるのではないかと身構えていたが、意外にも感動的に締められていた。新型コロナウイルスに感染して入院していた父親が無事に退院するのである。一瞬、父親は亡くなり、遺体で火葬場に運び込まれたと思わされるのだが、肩透かしをして感動を倍増する構造になっている。
ただ、その感動的なラストよりもむしろ、そこに行き着くまでの映像に監督の類い稀な才能を感じた。セリフはほとんどなく、火葬場で遺体を燃やす主人公ヴィカースの仕事振りが淡々と映し出される。その映像が素晴らしかった。時代はインドでデルタ株が蔓延し死者が急増した2021年のことのようだ。火葬場に次から次へと運び込まれる遺体の大半は新型コロナウイルスを死因としていることは想像に難くない。そういう状況の中でもエッセンシャルワーカーのヴィカースは感情を込めずに仕事をこなしていく。ヴィカースが遺体のそばで黙々と飯を喰らうシーンがあったが、強烈な生と死の対比であった。
ヴィカースが火葬場で働いていること、また、父親が新型コロナウイルスに感染して入院したことから、ヴィカースは大家から家を追い出されることになった。おそらくこれに似たことは実際にあったことだろう。ヴィカースは息子のアヴィナーシュと共に火葬場を仮の住居とする。コロナ禍は、ただでさえ貧しかったヴィカースを路上生活者同然の状態に追い込んでしまった。それでもヴィカースは黙々と火葬の仕事を続けた。彼の生き様に美学のようなものすら感じられるようになる。