インド映画から歌は切っても切り離せない。踊りはなくとも、必ず歌は入る。音楽は言わずもがなである。ただでさえ、歌が中心の映画作りが行われるため、いっそのこと主人公を歌手や音楽家にして、劇中に楽曲をふんだんに盛り込むということもよくある。だが、歌や音楽を主題にした映画ほど、歌や音楽の質が映画の質を支配するようになる。ヒンディー語映画界で歌の使い方が一番巧みなのはTシリーズとバット・キャンプ(マヘーシュ・バットなどの一族)のタッグが送り出す映画の数々である。「Aashiqui 2」(2013年)などは、未だに名曲の数々が歌い継がれ語り継がれている。
2019年10月9日に釜山国際映画祭でプレミア上映され、インド本国では2021年4月16日から公開された「99 Songs」も、その題名が示す通り、シンガーソングライターを主人公にした、歌と音楽が主題の映画である。監督はヴィシュウェーシュ・クリシュナムールティという人物で、TVやラジオで活躍して来たようだが、映画監督としては本作がデビュー作となる。この映画がユニークなのは、インド映画界が誇る音楽の巨匠ARレヘマーンがストーリー構想とプロデューサーを務めていることである。今まで彼は国内外の映画音楽を多数手がけて来ており、「Slumdog Millionaire」(2009年)ではアカデミー賞やゴールデングローブ賞などを総なめした。だが、彼が映画のストーリー部分に関わるのはこれが初めてのはずである。
主役に起用されたのは、エーハーン・バットとエディルシー・ヴァルガス。2人とも無名の新人である。エディルシーに至ってはドミニカ共和国生まれの米国人である。助演のテンジン・ダルハは「Margarita with a Straw」(2014年)や「Axone」(2019年)に出演していた男優で、前述の2人に比べたら見覚えがある。だが、彼にしてもラサ生まれのチベット人であり、インド映画界では押しも押されぬマイノリティーである。
それに対して脇役は豪華で、「Bombay」(1995年/邦題:ボンベイ)や「Dil Se..」(1998年/邦題:ディル・セ 心から)で有名なマニーシャー・コーイラーラー、「Bollywood Hollywood」(2003年)出演のカナダ人女優リサ・レイ、インド音楽界の伝説レモ・フェルナンデスなどが出演している。
ジャイ(エーハーン・バット)は幼少時から音楽に惹かれていたが、父親からは「音楽が家族を滅ぼした」と言われ、音楽を禁止されていた。だが、父親の死後、音楽の道を歩んでいた。ジャイは実業家スィンガーニヤーの娘ソフィー(エディルシー・ヴァルガス)と出会い、恋に落ちる。スィンガーニヤーからは、音楽家では稼げないと言われるが、彼は夢を諦めようとしなかった。そこでスィンガーニヤーは、100曲作るまで、結婚はおろか、ソフィーのことは考えるなと言われる。ジャイは、親友でバンド仲間のポロ(テンジン・ダルハ)に連れられてメーガーラヤ州のシロンへ行き、作曲漬けの毎日を送るようになる。 ある日、ジャイはポロに誘われてシロンのジャズクラブで演奏をする。ジャイは、そこの歌手シーラー(リサ・レイ)に気に入られ、彼女の家でジャズの研究に打ち込む。ところが、ポロが結婚を発表した夜、ジャズクラブでドラッグパーティーがあり、警察の急襲を受ける。ジャイは誤ってドラッグを大量摂取してしまい、意識が朦朧とする中、シーラーを乗せて運転し、交通事故を起こす。そのドラッグが原因でジャイの精神は崩壊し、精神病院に入院する。このときまでに彼は99曲を完成させていた。一方、ソフィーはジャイを待ち続けたが、ジャイの事故を知って絶望し、海外に留学する。 果たしてジャイは100曲目を完成させることができるだろうか。そしてソフィーとの仲はどうなるだろうか。
父親から音楽を禁じられた主人公が、その束縛を振り切って音楽の道を突き進み、大きな壁を越えながら、音楽の素晴らしさを世に広めるという筋書きの映画だった。この辺りはいかにも音楽家が構想を練った物語という感じがする。
ジャイはソフィーの父親に対し、若者らしい情熱と共に、「1曲が世界を変える」と豪語する。まるでノーベル平和賞を受賞したマラーラー・ユーサフザイーの「1本のペンが世界を変える」を想起させる名言である。だが、ソフィーの父親はそんな彼の言葉をせせら笑い、「1曲だけか?100曲作ってみろ」と無理難題を課し、ソフィーを諦めさせようとする。ソフィーの父親から課せられたこの条件が、映画の原動力となる。
ジャイは99曲まで完成されるが、あと1曲に迫ったところで大きなトラブルに巻き込まれ、音楽家の夢すらも捨て去ろうとするまでに沈没してしまう。だが、そんな困難を乗り越え、死んだ母親からも力をもらい、最後の1曲を完成させる。そして、彼が宣言した通り、この曲が世界を変えることになる。
こうなると、100曲目は名曲中の名曲でなければならない。100曲目として作られたのが、この「O Aashiqa」であった。
はっきり言って、ARレヘマーンのベスト曲ではない。近年のヒンディー語映画の中では、挿入歌の数は多めだったが、「O Aashiqa」ばかりか、この映画で使われていた曲の全てが、ARレヘマーンの渾身の作品とは思えなかった。例えば、ロックスターを主人公にし、ARレヘマーンが音楽監督を務めた「Rockstar」(2011年)は、映画の質もさることながら、音楽が非常に良かった。そのような彼の過去の業績をよく知っている者からすれば、「99 Songs」はまず音楽に気合いが入っていないと評せざるを得ない。
一方のストーリー部分は非常に観念的だった。音楽を禁じられて来た音楽家と、しゃべれないデザイナーの恋愛。この二人を何が結びつけたのか、何が引力となっているのか、全く説明されず、上映時間の大部分では別離の状態が映し出される。二人は離れ離れになっていても、どこかでつながっており、片方が危機に直面すればもう片方も苦痛を感じる。また、スィンガーニヤーは二人の結婚を最終的に認めたのかどうかも観客の想像に委ねられる。歯痒いストーリー展開だった。
ジャイにとって、父親との関係は非常に重要だ。だが、なぜ父親がそこまで音楽を嫌っていたのか、そのミステリーは最後に突発的に明かされる。今まで伏線も何も全く示されて来なかった母親の存在が急にクローズアップされ、父親が音楽を嫌っていた理由が説明されると同時に、ジャイに100曲目を作る力を与える。この辺りも雑な作りに感じた。
どの場所の物語なのか、いまいち分からなかったのも、歯痒さにつながっていたように感じる。この映画はヒンディー語がオリジナルだが、タミル語版やテルグ語版も作られている。楽曲の歌詞も、ヒンディー語、タミル語、テルグ語の3言語が用意されている。これらから分かるように、汎インド的な映画にしようと画策したのであろう。どの街で展開している物語なのか明示されなかった。唯一、メーガーラヤ州シロンだけは明示されていた。しかも、音楽の楽園という扱いであった。確かにノースイースト地域は独自の音楽文化が根付いている。シロンがヒンディー語映画のロケ地となることは珍しい。しかし、シロンだけ明示されて、他のシーンがどこの都市を舞台にしているのか明示されないのはチグハグに感じた。ソフィーがヨーロッパのどこかの国へ留学する場面もあるのだが、やはりこれについても国や都市が示されることはなかった。なぜそこまで場所を隠すのか、気になってしょうがなかった。
「99 Songs」は、2019年の釜山国際映画祭でプレミア上映されたヒンディー語映画で、ARレヘマーンが制作とストーリー構想を担当しているのが最大のセールスポイントである。しかしながら、音楽に力がなく、ストーリーも観念的過ぎて、これでは名作と評価するのは難しい。だが、今後彼が立ち上げたYMムービーズが映画を作って行くことになるようで、今後、レヘマーンらしい名曲で彩られた名作が生まれることを期待したい。