アミーン・ハージーと言えば、インド映画史の分水嶺となった金字塔「Lagaan」(2001年)にバーガー役で出演していた俳優である。その後もいくつかの映画に俳優として出演していたのだが、「Lagaan」ほどの注目を浴びることはなかった。そのアミーン・ハージーがいつの間にか監督業にも進出しており、ドキュメンタリー映画や短編映画を撮っていた。そして、2021年4月2日には初の長編映画となる「Koi Jaane Na(誰も知らない)」をリリースした。製作や脚本も彼が手掛けており、野心作となっている。
「Koi Jaane Na」のキャストは、あたかも「Lagaan」の同窓会のようである。主演こそ、クナール・カプールとアマーイラー・ダストゥールであり、「Lagaan」とは無関係だが、脇を固める俳優陣の何人かは「Lagaan」に出演していた俳優たちである。ラージ・ズトシー、アーディティヤ・ラキヤー、そしてアーミル・カーンが特別出演している。スペシャル・サンクスには「Lagaan」の監督アーシュトーシュ・ゴーワリカルの名前も見えた。
他には、アミーン・ハージーの双子の兄弟であるカリーム・ハージー、アミーンの双子の娘、スカイ・ハージーとサマー・ハージー、「Chak De! India」(2007年)出演、いわゆるチャク・デー・ガールズの一人、ヴィディヤー・マールヴァデー、スウェーデン人女優エリ・アヴラムをはじめ、アトゥル・クルカルニー、ネーハー・マハージャン、アシュヴィニー・カルセーカルなど、バラエティーに富んだ俳優たちをキャスティングしている。
ムンバイー在住で、啓発本の売れっ子作家カビール・カプール(クナール・カプール)には裏の顔があった。彼は夜な夜な変装して様々な場所に出没していた他、「ザラーン・カーン」というヒンディー語のパルプフィクションシリーズを書いていた。 カビールは最近、ラシュミー(ヴィディヤー・マールヴァデー)と離婚していた。その原因はラシュミーと出版社の社長との不倫であった。だが、出版社とはもう1冊啓発本を出版する契約を結んでいた。カビールは期限の延期を求めていたが、とうとう書かざるをえなくなる。そこで、カビールはパンチガニーの別荘へ行って執筆を始める。別荘へ行く途中、彼はスハーナー(アマーイラー・ダストゥール)という女性をヒッチハイクし、バンチガニーまで連れて来る。カビールとスハーナーは恋仲となる。 ラシュミーは、リッキー・ロザリオ(カリーム・ハージー)を偵察のためにパンチガニーに送り込んでいた。だが、リッキーはカビールがザラーン・カーンであることを察知し、ラシュミーを裏切って、彼を脅迫し出す。ところがある晩、リッキーは遺体で発見される。また、リッキーの助手を務めていた男もその後何者かに殺される。スハーナーは、ザラーン・カーンが殺したと言い張る。 警官トルプティ・ソーンワネー警部補(アシュヴィニー・カルセーカル)はカビールを疑うが、決定的な証拠はなかった。スハーナーはザラーン・カーンの影に怯えるようになる。そして遂にザラーン・カーンが彼女の前に現れる。だが、実はそれはスハーナーの担当医ラーオ(アトゥル・クルカルニー)だった。スハーナーは、父親に母親と妹を殺された後、精神に異常をきたし、バンガロールの精神病院に入院していた。ある日、病院から逃げ出し、カビールと出会ったのだった。スハーナーは解離性同一性障害であり、物語などを現実のものと思い込む症状があった。彼女は「ザラーン・カーン」を読み、ザラーン・カーンになりきってしまったのである。リッキーらを殺したのも彼女だった。 スハーナーは精神障害のため罪には問われず、また精神病院に戻った。カビールは精神病院の隣に住み、彼女と共に時間を過ごすようになる。だが、ソーンワネー警部補はまだ事件は完全に解決していないと考えていた。
アミーン・ハージーが製作・脚本・監督などを務め、自身の家族を総出演させて撮った野心的なサスペンス映画であった。様々な要素や人間関係が絡み合い、サスペンス映画に付きもののどんでん返しも小気味よく、最後に別の真実の可能性を匂わせたオープンな終わり方もしていた。各所に伏線を張りすぎて回収し切れていない要素もあったように感じたが、総じてよくできた娯楽映画であった。
犯罪を題材にした小説のストーリーに沿って殺人事件が起き、その作家が犯人と疑われる、という筋書きは、古今東西のサスペンス映画によく使われるものだ。「Koi Jaane Na」にもそういう要素はあった。だが、それだけに留まっていなかった。主人公カビールはゴーストライターとして探偵小説を書いており、表の顔は啓発本の作家であった。妻との離婚をきっかけにスランプに陥り、負の感情を書き殴って作り上げたのが「ザラーン・カーン」のシリーズで、これが思いのほかヒットし、彼はそちらの方に生き甲斐を感じ始める。だが、妻の不倫相手である出版会社社長との契約があり、彼は表立って本を出せずにいた。
さらに、カビールには父親から受け継いだ変装術があった。彼は変装して場末の人々と出会い、そこで小説のネタを仕入れていた。映画の冒頭でも、彼はスィク教徒に変装してバーに侵入する。この変装術がストーリー上、重要な役割を果たす訳ではないのだが、これがあるおかげで、カビールを本当に信じていいのか観客も分からなくなる仕掛けであった。映画は、スハーナーの解離性同一性障害に全ての責任を転嫁して一応の幕を閉じているが、他の真実が存在する可能性がある。その真実とは、実はカビールが全ての殺人を行っていたというものである。スハーナーの精神疾患を使って警察の目をごまかした可能性がまだ残っており、観客の想像に任せられている。
ただ、カビールの元妻ラシュミーや、パンチガニーの別荘で働く家政婦ビンディヤーの存在が宙に浮いてしまっていた。単に観客の想像力を四散させて真実を不明確にする役割を担わされていただけかもしれないが、結末で彼女たちのその後の顛末が全く語られていなかったため、消化不良に終わっていた。
主演のクナール・カプールは、「Rang De Basanti」(2006年)での演技が印象的だが、それを超えるような作品に恵まれておらず、くすぶっている俳優である。だが、最近になって、「Koi Jaane Na」を含め、いい映画のいい役をもらえるようになっており、今後まだ伸びしろがありそうだ。ヒロインのアマーイラー・ダストゥールは、単なる天真爛漫な女性役かと思いきや、後に精神疾患を抱えた悲劇のヒロインであることが発覚する役で、実は難易度の高い役柄であった。そのヘビーさをいい意味であまり感じさせない演技をしており、天性のものを感じた。彼女も今後伸びる可能性があるだろう。
渋い俳優が脇を固めていたので、彼らの演技を見るのも楽しかった。特に印象的だったのは、女性警官トルプティ・ソーンワネーを演じたアシュヴィニー・カルセーカルだ。冷静沈着で頭の切れる女性警官を迫力ある演技で演じ切っていた。
「Koi Jaane Na」は、「Lagaan」に出演していた俳優アミーン・ハージーが、アーミル・カーンを含む「Lagaan」仲間たちの協力を得て、製作・脚本・監督などを一手にこなし、しかも自分の兄弟や娘たちを出演させて作った野心的なサスペンス映画である。そう書くと、どこか自費出版的な素人臭さを感じてしまうかもしれないが、なかなかどうして、練り込まれた作品に仕上がっていた。隠れた逸品だが、ヒットのためには口コミが重要な作品だ。コロナ禍における劇場公開となったことが災いし、客足は伸びなかったようである。