Madam Chief Minister

3.0

 インドの政界には豪腕女性政治家がひしめいている。1960年代から80年代に掛けては、インディラー・ガーンディーという女性首相を輩出しているし、地方政治に目を転じれば、シーラー・ディークシト、マーヤーワティー、マムター・バナルジー、ジャヤラリターなど、多くの強力な女性州首相が政権を担って来た。国民会議派の党首を長らく務めたソニア・ガーンディーも首相以上に権力を持っていたとされる。そういうこともあって、政界を舞台にしたインド映画には女性政治家がよく登場する。

 2021年1月22日公開のヒンディー語映画「Madam Chief Minister」は、その題名の通り、女性州首相を主人公とした政治ドラマである。ウッタル・プラデーシュ州の政界が舞台であり、同州で女性州首相と言うと真っ先にマーヤーワティーが思い浮かぶ。マーヤーワティーは、ダリト(不可触民)を票田とする大衆社会党(BSP)の党首で、1995年、1997年、2002-03年、2007-12年と過去4回、州首相を務めている。ただし、マーヤーワティーの伝記映画と言い切れるほど彼女の半生をベースにしている訳ではなく、完全なフィクションとして受け止めた方がいいだろう。

 監督は「Jolly LLB」(2013年)などのスバーシュ・カプール。主演はリチャー・チャッダー。他に、マーナヴ・カウル、アクシャイ・オーベローイ、サウラブ・シュクラー、スブラジョーティ・バラト、ニキル・ヴィジャイ、サンガム・バフグナー、シュレーヤー・アワスティー、ラヴィザー・チャウハーンなどが出演している。

 ダリトの女性ターラー・ループラーム(リチャー・チャッダー)は大学の司書をしていた。学生政治家インドラマニ・トリパーティー(アクシャイ・オーベローイ)と恋に落ち、2回妊娠するが、2回目も堕胎を強要されたことで憤り、インドラマニの父親を脅す。ターラーは暴徒に襲われるが、それを助けたのが、ダリトの政党、革新党を率いるマスター・スーラジバーン(サウラブ・シュクラー)だった。ターラーはスーラジバーンの弟子となり、政治に関わるようになる。

 州選挙が近づくと、ヤーダヴを票田とする発展党の党首アルヴィンド・スィン(スブラジョーティ・バラト)は、スーラジバーンに選挙協力と連立政権樹立を持ちかける。その話をまとめたのがターラーであった。ターラーは、州首相の選挙区から出馬し、ダリトの票を集めて、州首相を負かして当選する。スーラジバーンはその功績から全く政治未経験のターラーを州首相に据える。連立政権のため、最初の2年半はターラーが州首相をし、次の2年半は発展党から州首相を出すことになっていた。

 ターラーは矢継ぎ早に改革を進め、今まで虐げられて来た人々に優先的に恩恵を与える。今まで寺院に入場できなかったダリトたちを寺院に入れる運動も行った。一方、発展党の政治家になっていたインドラマニを大臣から蹴落とし、彼の髪の毛をそり上げて屈辱を与える。次第にターラーの独善的な政策に反発する政治家が出始めた。スーラジバーンはそれでもターラーを後援するが、彼はインドラマニの策略によって暗殺されてしまう。

 アルヴィンドは連立を解消しようとするが、ターラーは発展党の政治家たちをゲストハウスに閉じ込めて反対票を投じさせなくする。アルヴィンドやインドラマニはゲストハウスに踏み込むが、銃撃戦となって多くの死傷者が出る。アルヴィンドは逮捕され、インドラマニは殺される。この事件により発展党は解散となり、ターラーに政敵はいなくなった。

 ターラーは秘書ダーニシュ・レヘマーン・カーン(マーナヴ・カウル)と結婚することにした。ダーニシュは、ゲストハウス事件のときにターラーを身を挺して守ったのである。ダーニシュの代わりにシャシ(ラヴィザー・チャウハーン)という秘書が雇われた。だが、ターラーは次第に体調不良を訴えるようになる。調べたところ、毒を盛られていることが分かった。ターラーは、シャシとダーニシュが共謀していると考える。また、ゲストハウス事件でターラーは中央捜査局(CBI)の捜査を受ける寸前まで行くが、裁判所の判断により、それは免れる。ターラーはシャシを殺し、ダーニシュを追及する。

 次の州議会選挙が近づいていた。ターラーは群衆の前で演説をし、2期目を目指す。

 政界を舞台にした映画には一般的に多数の登場人物が出て来て、それぞれの思惑や人間関係が複雑に絡み合い、権謀術数が渦巻いて、非常に重厚なドラマになることが多い。ところが「Madam Chief Minister」は登場人物が限られており、この手の映画としてはとても分かりやすい筋の映画となっていた。だが、その代わりに深みに欠け、展開が幼稚だと感じてしまった。

 「Madam Chief Minister」の一番の欠点は、多くの主要な登場人物が割と早い内に死んでいってしまうことだ。まずは主人公ターラーの師匠スーラジバーンが死に、中盤にはターラーの個人的な敵であったインドラマニが死ぬ。政敵アルヴィンドは逮捕され、彼の政党は解散し、政治的力を失う。こうして、中盤までに敵らしい敵がいなくなってしまうのである。

 そうなると残った人物は、ターラーの夫ダーニシュのみとなる。終盤でダーニシュがターラーを毒殺して自分が州首相になろうと、浅はかな野望を抱いていたことが明らかになるが、はっきり言って主要キャラはもう彼しか残っていないため、ほとんど驚きのないどんでん返しになっていた。

 この映画は、カーストの観点から観るとさらによく分かる。カーストについてはほとんど触れられていないが、インド人が見ればどの政党がどのカーストを票田としているか、一目瞭然だ。スーラジバーンが立ち上げ、ターラーが所属した革新党は、ダリトを票田とする政党である。ダリト出身の政治家BRアンベードカルの像が神格化されていたことからもそれは明らかである。現実世界では大衆社会党(BSP)に対応する。革新党と連立政権を組んだ発展党は、牛飼いカーストであるヤーダヴを票田としている。ゲストハウス事件のときに、ヤーダヴ姓の警察官僚を買収していたことからそれがはっきりと分かる。現実世界では社会党(SP)に対応する。

 また、映画の冒頭でターラーの父親が殺されるシーンがあるが、それをしたのはタークル、つまりラージプートである。インドラマニは、トリパーティー姓であるため、ブラーフマン(バラモン)であることが分かる。インドラマニはブラーフマンでありながらヤーダヴのための政党である発展党に所属していた。また、ターラーが選挙で打ち負かした前州首相は、上位カースト出身であることが分かるが、どのカーストに所属しているかは不明であった。

 寺院にダリトが大挙して押しかけるシーンは、インド文化に疎い人にはよく分からなかったかもしれない。インドの寺院は一般にダリトの入場を禁止している。ダリトは不浄とされているからだ。だが、不可触民差別は憲法でも禁止されており、ダリト政治家たちはダリトの寺院入場を政治的なシンボルとする傾向にある。ターラーも自ら寺院に足を踏み入れると同時に、他のダリトたちを招き入れて、カースト制度の破壊を試みたのだった。

 「Madam Chief Minister」は、女性政治家を主人公にした映画と言うよりも、権力を持った政治家は権力の酔いから逃げられないというジンクスを体現した映画だと言えるだろう。ターラーは元々勝ち気な女性であったが、政治家になったことでますますその性格に磨きが掛かり、政治的勘や嗅覚も備えるようになって、権力に留まるために何でもするようになる。彼女は、自分を裏切った夫の効果的な使い方すらも心得ていた。ターラーはダーニシュを殺さずに植物人間として、敢えて大衆の面前でさらすことによって同情票を獲得し、州首相2期目を目指したのだった。

 主演のリチャー・チャッダーは、敢えてヒロイン女優の道は歩まず、演技力を要する土臭い役を好んで引き受けて来た女優だ。今回は独壇場を用意され、そのチャンスを存分に活かした。映画を一人で背負える女優に成長しつつある。マーナヴ・カウルも個性的な演技派男優で、リチャーの活躍を支えていた。サウラブ・シュクラー、アクシャイ・オーベローイなども好演していた。

 「Madam Chief Minister」は、リチャー・チャッダー演じる女性州首相が主人公の政治ドラマである。その設定は大衆社会党のマーヤーワティー党首を彷彿とさせるが、完全に一致している訳ではない。この手の映画としてはかなり単純な筋書きの物語であり、主要なキャラが次々に死んで行ってもっと分かりやすくなるという幼稚な脚本であったが、不可触民差別問題に触れるなど、一定の挑戦はあったと評せられる。