Machaan

1.5
Machaan
「Machaan」

 2021年1月22日からMovietone Digitalで配信開始された「Machaan(見張り台)」は、ウッタル・プラデーシュ州の後進的な農村を舞台に教育の遅れがもたらす災厄を描き出した作品である。

 監督はニテーシュ・ティワーリー。「Dangal」(2016年/邦題:ダンガル きっと、つよくなる)の監督と同姓同名だが、異なる人物である。どちらかというと作曲家としての活動の方がメインだ。キャストは、パワン・ワーヴァル、リチャー・カルラー、プラティーク・ゴーヤル、シェーカル・シュリーヴァースタヴ、メヘムード・ハーシュミー、プレーム・サーガル・スィンなどである。

 題名になっている「मचानマチャーン」とは、畑などに立てられる見張り台のことだ。上のポスターの奥に写っているのがマチャーンである。泥棒に作物を盗まれないように、収穫期に農民たちは見張り台で寝泊まりする。

 ウッタル・プラデーシュ州のジャードープル村に住むボーラー・シャンカル(パワン・ワーヴァル)は、天然ボケのお人好しで、仕事もせずにブラブラしていたが、親友のビルジュー(プラティーク・ゴーヤル)と共に困った村人たちの手助けをして過ごしていた。ボーラーにはカジュリー(リチャー・カルラー)という許嫁がいた。

 あるとき、外で用を足していた女性が何者かに襲われるという事件が起こった。カジュリーに相談されたボーラーとビルジューは囮となるために女装して用を足す。彼らは、同じ村に住むマーダヴ(メヘムード・ハーシュミー)が犯人であることを突き止める。ボーラーとビルジューはパンチャーヤト(村落議会)でマーダヴを追及するが、証拠不十分のため罪に問うことはできなかった。だが、マーダヴはボーラーに対して恨みを抱くようになった。

 その日、ボーラーは父親ケーシャヴ(プレーム・サーガル・スィン)と喧嘩をし家出する。都会に出たボーラーは、アーナンド(シェーカル・シュリーヴァースタヴ)と出会う。アーナンドは実直なボーラーを気に入り、彼に仕事を紹介した上、彼を実の弟のように可愛がる。

 あるときボーラーは体調を崩し、病院で検査を受ける。ボーラーはAIDSと診断される。ショックを受けたボーラーは、最期のときは故郷で過ごしたいと考え、ジャードープル村に戻る。ところがマーダヴはボーラーがAIDSになったことを知り、パンチャーヤトを召集して、ボーラーを糾弾する。ボーラーは、追放は免れたものの、隔離されることになり、畑に立てられたマチャーンで過ごすことになる。その報を聞いたカジュリーは家に閉じ込められ、ビルジューも木につながれた。

 しばらくボーラーはマチャーンで過ごしたが、我慢できなくなり、家に戻る。それを知ったマーダヴはチャンスとばかりに彼の家に押しかける。ボーラーは逃げ出すが、マーダヴの仲間たちに追われ、最後は殺されてしまう。

 その後、ジャードープル村を訪れたアーナンドはボーラーが殺されたことを知って悲しむ。アーナンドはパンチャーヤトで村人たちに対し、ボーラーは実はAIDSでなかったことを明かし、教育の遅れがボーラーの命を奪ったと訴える。

 もっとも多くの時間が割かれていたのはAIDSに関する出来事であるが、全体としては、教育の遅れがもたらすより広範な害悪に警鐘を鳴らした映画であった。多少知的障害があるのではないかと思われるほど純朴な主人公ボーラーの目を通して、村にはこびる社会悪がつまびらかにされる。

 まず取り上げられていたのが男児の誕生を喜び女児の誕生を残念がるインド社会の風潮である。産気づいた妊婦のところへ産婆を連れていく手助けをしたボーラーは、男の子でも女の子でも子供が生まれるのはめでたいと考えていた。だから、女の子が生まれて喜ぶのだが、夫は肩を落とす。ボーラーは、どうして生まれてくる赤ちゃんの性別で喜び方が違うのかを疑問に感じる。

 都会から家族計画の大切さを訴えに村に来ていた女性の姿もあった。彼女は、子供は2人までがちょうどいいと言って、村人たちにコンドームを無料で配布する。ボーラーもそれを受け取るが、コンドームを見たこともなかったため、彼はそれを風船だと勘違いして膨らませて遊ぶ。結局、教育が遅れた地域では、コンドームを配る程度では人口抑制など不可能であることが浮き彫りにされていた。

 次に取り上げられていたのが野外での排泄である。これはナレーンドラ・モーディー首相が2014年に開始したスワッチ・バーラト運動(クリーン・インディア運動)に呼応している。特に農村部では家にトイレがなく、人々は野外で排泄する。衛生上の問題からこれを撲滅しようと始まったのがこの運動だが、その目的はそれだけではなかった。女性は夜中や早朝など辺りが暗い内に野外で用を足すことが多いのだが、その際に性被害に遭いやすい。この問題は「Toilet: Ek Prem Katha」(2017年)で映画化されていた。てっきり「Machaan」のトイレ問題を扱った映画なのかと思って観ていたが、これも主題ではなかった。

 その後、いよいよ本題に入るのだが、この映画のメインテーマは意外なものだった。AIDSである。一昔前には「Phir Milenge」(2004年)や「My Brother… Nikhil」(2005年)など、AIDSを扱った映画が流行ったことがあったが、最近の映画の中では珍しい。舞台となったジャードープル村では未だにAIDSについて正確な知識が浸透しておらず、AIDSと診断されたボーラーは「大罪を犯した者」として村八分を受ける。結局ボーラーはAIDSではなかったのだが、村人たちから差別的な扱いを受けたことで体調が悪化し、最後には殺されてしまう。

 また、ボーラーの死を引き起こしたのはマーダヴであった。ボーラーに恨みのあったマーダヴは、パンチャーヤト(村落議会)の場で、「村のために」というフレーズを連呼し、ボーラーが苦しむ方向へ巧みに誘導する。「村のために」という全体主義が個人の人権を奪い、極端な場合には死に追いやってしまうという村社会の悪習が突かれていた。

 このように書くといかにも意識の高い社会派映画のように読み取れるのだが、作りは稚拙で、俳優たちの演技にも素人臭さが残る。インド映画のフォーマットに則ってソングシーンも用意されていたが、余計に安っぽさが際立つ程度の効果しかなかった。村社会の問題をひとつひとつ取り上げていくのはいいのだが、テーマを絞り切れていない印象もあり、AIDSに関しても唐突に出て来た感は否めなかった。また、ボーラーとカジュリーは幼い頃に婚約した仲だが、これも本当は幼児婚の一種であり、社会問題として取り上げるべきものだった。ボーラーとカジュリーが仲睦まじかったために問題化されていなかっただけである。

 「Machaan」は、もう一人のニテーシュ・ティワーリー監督が撮った映画だが、監督としての腕は、「Dangal」などのニテーシュ・ティワーリー監督とは雲泥の差だ。村社会の様々な問題を取り上げていたのは良かったが、あれもこれも手を出してしまったために消化不良に陥っていた。鑑賞する必要はない映画である。


Machaan (2021) HD New Movie - Directed by Nitesh Tiwari - Sonu Bhardwaj - Latest Hindi Movie