自分が自分であることの証明をどのようにすべきか、日本に住んでいる限り我々はあまり意識しない。日本には戸籍制度があり、生まれたときから書類に存在が記録されるため、自分の存在を証明するために苦労することはないからだ。自分が生きている限り、自分が生きていることを証明することはたやすいと考えがちである。だが、例えば一度海外に出てみると、我々の存在を保証するものは我々自身ではなく、パスポートやヴィザなどの書類となることに気付く。戸籍制度のない国では、出生証明書、卒業証明書、結婚証明書など、人生の節目で入手できる書類がその人の存在の証明となっていく。では、もし生きているにもかかわらず誤って死亡証明書が出てしまったら?その人は生きながらにして死人となってしまうのか?書類上、死人となってしまった人は、どのように生きているということを証明すればいいのか?そんなことを考えさせられる物語が、2021年1月7日からZee5で配信中のヒンディー語映画「Kaagaz(紙)」である。生きながらにして書類上死人とされてしまった実在の人物ラール・ビハーリーの半生をもとにした伝記映画である。
サルマーン・カーン・フィルムがプロデュースしており、監督は「Tere Naam」(2003年)などのサティーシュ・カウシク。主演はパンカジ・トリパーティー。他に、モーナール・ガッジャル、ミーター・ヴァシシュトなど。カウシク監督自身も重要な役で出演している。さらに、サルマーン・カーンが冒頭と最後で詩の朗読をしている。
時は1976年、舞台はウッタル・プラデーシュ州アーザムガル県の農村。楽隊をしていたバラト・ラール(パンカジ・トリパーティー)は、叔父の一家によって書類上死人とされ、土地を奪われてしまった。地元の記録管理の役人には、政府の書類上、死人となったからにはどうにもならないと突き放される。バラトは同様の事件を多数担当して来た弁護士サードーラーム(サティーシュ・カウシク)に依頼するが、なかなか進展しなかった。そこでバラトは叔父の孫を誘拐し、逮捕されることで生きている証拠にしようとするが、それもうまく行かなかった。そこで今度は全インド死人党を作って、同じ境遇にある人々を組織して政界に進出する。
バラトが生きながら書類上の死人となってしまった理由は、親戚の詐欺であった。バラトの死んだ父親の土地を全て手に入れるため、バラトを死んだことにしてしまったのである。同様のケースはインドで多く起きているようだ。バラトは当初、村の笑いものになることに困っていたくらいで、深刻には捉えていなかったが、どんな恐ろしいことになったか、徐々に実感して行く。彼は、結婚式などのおめでたいときに音楽を鳴らす楽隊をしていたが、死人は不吉だということで、全く仕事が来なくなってしまう。さらに、一度死人となってしまった自分を生きているということにするためには、気の遠くなるような作業が必要であった。裁判所に通い、州首相や首相に手紙を書き、あらゆる手を尽くすが、うまく行かなかった。
一方で、生きている死人だからこそ享受できる利点もあった。彼はいくら犯罪を犯しても逮捕されなかった。裁判所でどんなに裁判官を侮辱しても罪に問われなかった。だが、彼にとってそれは幸運ではなく、生きていることを証明するための手段であった。弁護士から、寡婦の年金がもらえるはずだと入れ知恵を得て申請するが、こちらは拒絶されてしまった。だが、書類上バラトが死人であったら、うまく手続きすることで、その妻は年金がもらえて然るべきである。
また、何の変哲もない人生を送っていた一般庶民だったバラトにとって、ある日突然死人となってしまったことで、特別な人生を送ることができるようになった。これも利点と言えば利点であった。彼は、自分と同じ境遇の人々を組織して政党を立ち上げ、政治の世界に飛び込む。そこで人々から尊敬を受けることもできた。メディアにも取り上げられ、世界中から取材を受けるようになった。2003年にはイグノーベル賞を受賞した。現在、彼は、死人とされた期間の補償として2億5千万ルピーを政府に求めて係争中であるが、それが認められたら大きな資産も手にすることになる。
主演のパンカジ・トリパーティーは、国立演劇学校卒で、ナワーズッディーン・スィッディーキーと同様に「Gangs of Wasseypur」(2012年)あたりから注目されるようになった俳優だ。とぼけたおじさん役からギャングスター役まで芸域が広く、現在、引く手あまたの俳優となっている。特にネット配信の映画やドラマでよく見るようになっている。今後も楽しみな俳優である。
「Kaagaz」は、生きながら死人になってしまった実在の人物ラール・ビハーリーの半生を描いた伝記映画であり、またインド社会の風刺映画である。サティーシュ・カウシク監督の映画は編集や脚本に素人っぽいところがあり、「Kaagaz」からも同様の印象を受けたが、着想が秀でている上に、主演パンカジ・トリパーティーの演技が素晴らしく、とても楽しめる映画となっている。