Choked: Paisa Bolta Hai

3.5
Choked: Paisa Bolta Hai
「Choked: Paisa Bolta Hai」

 現在、インドではインド人民党(BJP)のナレーンドラ・モーディー首相による長期政権が続いている。2014年に就任したモーディー首相はこれまでいくつかの思い切った政策を実行に移してきたが、その中でも全国民にもっとも衝撃を与えたのは2016年11月8日に突然発表した高額紙幣廃止である。当時のインドでは、1,000ルピー、500ルピー、100ルピー、50ルピー、20ルピー、10ルピー、5ルピー、2ルピー、1ルピーの紙幣が流通していたが、この内、もっとも高額である1,000ルピーと500ルピーの使用を禁止したのである。国民に与えられた猶予時間はたったの4時間であった。当然、インド経済は大混乱に陥った。

 2020年6月5日からNetflixで配信されているヒンディー語映画「Choked: Paisa Bolta Hai」は、モーディー首相による高額紙幣廃止の前後を背景としている。監督はヒンディー語映画界の異端児アヌラーグ・カシヤプ。キャストは、「Mirzya」(2016年)のサイヤーミ・ケールやマラヤーラム語映画俳優のローシャン・マシューなど。ヒンディー語映画界の著名な俳優はおらず、代わりに南インド映画界やマラーティー語映画界の人材を多用しており、ヒンディー語映画としては異色のキャスティングである。

 時は2016年。ムンバイーのアパートに住む下位中産階級の女性サリター(サイヤーミ・ケール)は、過去に歌手を目指していたが、オーディション番組の決勝戦のステージ上で声が出なくなってしまい、勝利を逃したことがトラウマになっていた。現在は銀行員として働いてた。夫のスシャーント(ローシャン・マシュー)はミュージシャンだったが、今では音楽から足を洗い、ほとんど無職のまま暮らしていた。

 サリターとスシャーントの家に上には政治家の個人秘書が住んでおり、裏金をビニールでくるんで下水管に隠していた。その裏金が夜な夜な彼らの家の台所の排水口から下水と共に出てくるようになった。それを発見したサリターは、夫には内緒にし、それで借金を返したり、必要な物を買ったりするようになった。急に羽振りがよくなったことで、スシャーントはサリターを疑うようになる。

 そんなある日、モーディー首相による高額紙幣廃止宣言のニュースが飛び込んで来る。銀行員のサリターは、新紙幣との交換のために銀行に詰め掛ける客の対応で毎日疲弊するようになった。だが、排水口から出てくるお金は、今度は新紙幣の2,000ルピーとなったのを見て、サリターは喜ぶ。

 そんなとき、サリターの務める銀行に強盗が押し入り、銀行の金と共にサリターが排水口から集めた金も奪って行ってしまう・・・。

 題名となっている「Choked」とは、「息が詰まる」と「パイプが詰まる」の2つの意味が掛けられている。「Paisa Bolta Hai」とは、「金が話す」という意味である。サリターの過去のトラウマである、息が詰まって歌声が出せなくなったことと、台所の詰まった排水口から下水と共に出てくる裏金の2つを指して「Choked」と言っているのだろうし、「金がサリターの詰まった歌声の代わりに声を出す」という意味が込められているのだろう。

 下位中産階級の女性の身に降って湧いた突然の幸運を巡って、いい具合に抑えられた緊迫感と共にストーリーは展開する。あたかも、観客までもが息を呑んでその展開を見守らざるを得ないような展開だ。それに加えて、彼女の周囲の人々――無職の夫や近所の噂好きな住人たち――がいい味付けとなっており、いかにもなインドの下町の人間関係が描写されていて面白かった。

 高額紙幣廃止の際にインドの一般庶民がどのような反応を示したのかが見られるのも、当時現地にいなかった身には興味深い。その日暮らしをしているような下層の人々にとって、1,000ルピー札や500ルピー札は日常的に手にしたり使ったりするような代物ではなく、資産が目減りするような衝撃はなかったようだ。逆に、これで裏金をたんまり貯め込んだ金満家たちが痛い目に遭うと大喜びしている様子が見て取れた。モーディー首相の支持率はうなぎ登りとなり、パレードまで繰り出される有様であった。どこまでが実態かは分からないが、旧紙幣と新紙幣を交換するために銀行に長蛇の列ができたのは新聞でも報道されており、この映画の通りだったことだろう。

 メインテーマではなかったが、夫がろくに働かず、妻が一家の大黒柱となっている家庭をわざわざ主人公にしているところは、ひねりが利かせてあった。夫はミュージシャンになる夢を諦め、就職と退職を繰り返す、ほぼ無職の生活をしている。家事はやらない上に借金を作ってくる。一方の妻は、銀行で働き、いい給料をもらっているが、自分の失敗のせいで夫の夢の実現を阻んでしまったと悔やんでいる。この夫婦がうまく行くはずがなく、いつも金のことで喧嘩ばかりしている。21世紀のヒンディー語映画では、女性があらゆる局面で地位を向上させてきた。それとは相対的に、男性がかつての威厳を失い、弱い存在になってきている。この「Choked」でも、その特徴が表れていた。

 「Choked: Paisa Bolta Hai」は、2016年の高額紙幣廃止を背景に、下位中産階級の不仲な家庭が、降って湧いた幸運に振り回されながら過去のトラウマを克服しようとする物語である。基本的にはヒンディー語映画だが、登場人物の所属コミュニティーの関係で、マラーティー語やタミル語(マラヤーラム語?)なども飛び交う。派手さはないが、アヌラーグ・カシヤプ監督らしいウィットに富んだストーリー展開が楽しめる作品である。