Devi Aur Hero

4.0
Devi Aur Hero
「Devi Aur Hero」

 「Devi Aur Hero(女神と英雄)」は、奇才アーディティヤ・クリパラーニー監督の第3作である。2019年11月10日にコールカーター国際映画祭でプレミア上映されたが、劇場一般公開はされていない。第1作「Tikli and Laxmi Bomb」(2017年)と同様に売春婦を主人公とし、第2作「Tottaa Pataaka Item Maal」(2019年)と同様に性的搾取をされてきた女性による加害男性への報復が主題になっている。

 主演は、クリパラーニー監督の「ディーヴァ」といえるチトラーンガダー・サタルーパー。他に、ヴィナイ・シャルマー、アルジュン・ガネーシュ、マドゥスーダン・ヴィシュワカルマー、アニル・クマール・パーンデーイ、アンジュム・ラージャーバリー、ヴィバーワリー・デーシュパーンデー、マーナスィー・バワルカルなどが出演している。

 カーリー・ゴーシュ(チトラーンガダー・サタルーパー)はコールカーターの売春街で生まれ育ち、幼少時から実の父親の州議会議員アニーシュ(アニル・クマール・パーンデーイ)にレイプされてきた。実業家の息子ミッタル・ジュニア(アルジュン・ガネーシュ)に水揚げされて幽閉され、性欲のはけ口にされてきたが、あるとき彼女を見張っていた警備員がリーと名乗る男に襲われて気絶し、カーリーは自由の身となった。ただ、カーリーは時々記憶を失うことがあった。

 カーリーは、新聞広告で見つけたセラピストのヴィクラーント・サーラスワト(ヴィナイ・シャルマー)の診察を受ける。ヴィクラーントは3年前に妻を亡くし、セックス依存症になって、自分もセラピストのパルヴェーズ・ミストリー(アンジュム・ラージャーバリー)の診察を受けていた。ヴィクラーントはセックス依存症再発を恐れ女性患者と接するのを恐れていた。案の定、彼はカーリーに魅了されてしまう。

 ヴィクラーントはカーリーを診察し、解離性同一症と診断する。カーリーの中には、「マムター」という中年女性の人格と、「ルクミニー」という75歳の老婆の人格が同居しており、時々彼女たちがカーリーの意識を乗っ取っていた。別の人格が支配的な期間、カーリーは記憶を失っていた。

 ヴィクラーントはカーリーに、スマートフォンのボイスメッセージ機能を使ってマムターやルクミニーとコミュニケーションを取るように勧める。その通りにしたカーリーは、マムターやルクミニーと会話することができるようになる。

 カーリーはミッタル・ジュニアの手下に追われてアパートからスラム街に引っ越し、そこでケーシャヴ(マドゥスーダン・ヴィシュワカルマー)という年下の青年と出会う。ケーシャヴはカーリーをデートに誘うが、彼は夜、仲間たちとカーリーをレイプする。マムターはヴィクラーントにSOSを発する。新たに「ティールター」という人格が生まれてカーリーを支配し、立ちんぼになってしまっていた。ヴィクラーントはカーリーに会いに行き、彼女を落ち着かせようとするが、逆に手錠を掛けられて捕まってしまう。

 翌朝、ヴィクラーントが目を覚ますと、カーリーは正気に戻っていた。ヴィクラーントを傷付けてしまったカーリーは深く反省し、解離性同一症と決着を付けるため、アニーシュ、ミッタル・ジュニア、そしてケーシャヴに対して復讐をする。

 セックス依存症に悩み女性との接触を恐れるセラピストのヴィクラーントが、元セックスワーカーで解離性同一症を抱えていながらも魅惑的な女性カーリーと出会い、苦しみながら関係を深めていくという心理的な物語だった。いくつかの点で革新的である。

 まず、アーディティヤ・クリパラーニー監督作品の特徴でもあるが、全くタブーがない。タブーを恐れていない。幼少時から父親を含む多くの男性によって性的搾取されてきたカーリーの身の上話には際どいエピソードばかりであるし、セックス依存症のヴィクラーントは毎晩オナニーばかりしている。どちらも極端だが、インド社会のセクシャルな暗闇に惜しげもなくスポットライトが当てられている。

 また、テクノロジーの面白い活用法が提案されている。カーリーはいわゆる多重人格者であり、彼女の中には「マムター」「ルクミニー」など複数の人格が共存している。ひとつの人格がオンになると、他の人格はオフになる。よって、カーリーはたびたび記憶を失っていた。だが、スマートフォンのボイスメッセージ機能を使うことで、カーリーはマムターやルクミニーと会話することができるようになった。マムターとルクミニーの性格は正反対で、カーリーはこの二人の間で板挟みになることも多かったが、自分の中に住む自分以外の人格の存在は彼女の孤独感を和らげる効果があったのにも注目したい。

 では、なぜカーリーは解離性同一症になったのか。それには幼少時から彼女が受けてきたトラウマが関係していると思われた。カーリーは実の父親にレイプされ、売春宿から水揚げされた後もアパートの一室に幽閉されて性欲のはけ口にされてきた。彼女が性的に搾取されるたびに人格が増えてきたと解釈できる。劇中で新たにケーシャヴからレイプされたことで、さらに「ティールター」という新しい人格が生まれたが、彼女はもっとも暴力的で危険な人格であった。

 多重人格者は俳優にとって実力を試される役柄だ。ずば抜けた演技力を持つチトラーンガダー・サタルーパーにとってカーリー役はかなりやりがいがあったのではなかろうか。特に「カーリー」の状態のときに全身から湧き出るミステリアスなオーラが素晴らしかった。「マムター」や「ティールター」の人格になっているときには、クリパラーニー監督の趣味であろうか、多少エキセントリックな演技と映像になっていた。

 映画の最後では、カーリー女神とサラスワティー女神の絵が並列される。当然、カーリー女神は主人公カーリーの名前と共通しており、関連性があると考えるべきである。カーリー女神は、シヴァ神の妃の忿怒相である。悪魔の首を切って血を飲み干すという、悪魔よりも悪魔らしい最恐の女神だ。カーリーは自身の解離性同一症に決着を付けるため、今まで彼女を性的搾取してきた男性たちを殺して回る。その姿は確かにカーリー女神を思わせる。では、サラスワティー女神は何を象徴しているだろうか。サラスワティー女神は一般的に学問と芸術の女神とされている。日本の弁財天のモデルになった女神でもある。カーリーは趣味で絵を描いており、その姿がサラスワティー女神を想起させる。また、カーリーがヴィクラーント・サーラスワト(Vikrant Saraswat)の表札をいじって「V krant Saraswati」にしてしまう悪戯をする場面が何度かあった。「サラスワティー」には何か格別な思い入れがあると思われる。ただ、映画の中の描写だけでははっきりとそれが分からなかった。

 カーリーには右乳首がなかった。それをヴィクラーントが見て号泣するシーンはもっとも印象的だ。ヴィクラーントは、「マムター」の人格に乗っ取られたカーリーに睡眠薬を注射して眠らせる。ヴィクラーントも気を失ってしまうが、目を覚ますと、腹部を露出したカーリーが隣でまだ寝ていた。それを見たヴィクラーントはムラムラしてしまい、セックス依存症が再発したのか、彼女に覆い被さる。そして上着を脱がせるが、彼女の右乳首がないのを見てギョッとするのである。カーリーがこれまでたどってきた壮絶な人生を直感し、ヴィクラーントはセックス依存症ごときで悩む自分が情けなくなったのだと解釈できる。

 「Devi Aur Hero」は、セックス依存症に悩むセラピストと多重人格者の患者を中心に回るサイコロジカルな物語だ。奇抜さはあるが、それがうまくコントロールされており、ギリギリのところでリアリズムに収まっている。このバランスが素晴らしい。主演のチトラーンガダー・サタルーパーもまたひとつずば抜けた演技力を披露した。低予算かつスター不在だが、それでもここまで面白い映画を作れるということを雄弁に語る、圧巻の映画である。


DEVI AUR HERO FULL FILM