Maharshi (Telugu)

3.0
Maharshi
「Maharshi」

 かつて、海外で成功したNRI(在外インド人)が帰郷してインドの発展に尽くすという筋書きの映画が流行したことがあった。ヒンディー語映画でいえば、「Swades」(2004年)が代表例である。2019年5月9日公開のテルグ語映画「Maharshi(大聖者)」は、米国大手IT企業のCEOに上り詰めたインド人実業家がインドで農業に立ち返るという物語で、15年前に盛り上がったあの潮流の名残が感じられる作品だ。

 監督は「Brindavanam」(2010年/邦題:ブリンダーヴァナム 恋の輪舞)や「Yevadu」(2014年/邦題:ザ・フェイス)のヴァムスィー・パイディパッリ。音楽監督はデーヴィー・シュリー・プラサード。

 主演はテルグ語映画界の大スターの一人、マヘーシュ・バーブー。ヒロインはプージャー・ヘーグデー。他に、アッラリ・ナレーシュ、ジャガパティ・バーブー、プラカーシュ・ラージ、ジャヤスダー、カマル・カーマラージュー、ムケーシュ・リシ、アナンニャー、ミーナークシー・ディークシト、ナーサル、ヴェンネラ・キショールなどが出演している。

 「Maharshi」は2024年10月18日から日本でも劇場一般公開された。邦題は「リシの旅路」である。

 ハイダラーバードの貧しい家庭に生まれ、ヴィシャーカパトナムの工科大学を首席で卒業し、米国の大手IT企業オリジン社に就職して短期間でCEOに上り詰めたインド人実業家リシ・クマール(マヘーシュ・バーブー)は、自分の成功の裏に大学時代の友人ラヴィ・シャンカル(アッラリ・ナレーシュ)の自己犠牲があったことを知り、休暇を取ってインドに戻る。

 リシは、ラヴィの故郷ラーマヴァラム村で彼と再会する。ラーマヴァラム村の村人たちは、開発のためにトライデント社によって立ち退きを要求されていたが、ラヴィは一人で座り込みをし、抗議運動を行っていた。リシは彼をニューヨークに連れて行こうとするが、ラヴィは、両親と共に過ごした村を捨てようとしなかった。そこでリシはラーマヴァラム村に臨時オフィスを立ち上げ、そこでビジネスを始める。彼の行動はメディアの注目を集め、ラヴィの主張も報道されるようになる。おかげで村人たちもラヴィの抗議運動に加わるようになった。

 トライデント社のCEOヴィヴェーク・ミッタル(ジャガパティ・バーブー)はラーマヴァラム村を訪れ、村人たちに対して立ち退きに応じた村人たちに支払われる補償金を3倍以上引き上げることを宣言する。村人たちの中にはそれに同調する者も現れた。また、ラヴィは何者かによって襲われ、重傷を負う。リシはラヴィを助け、彼を病院に連れて行く。

 リシはラヴィに代わってラーマヴァラム村で座り込みを始める。そして、年老いた農民に農業を教わり、やがて記者会見を開いて、農業の大切さを全国民に知らせる。若者たちはこぞって週末に農業を体験しに村を訪れるようになる。大学時代のリシの恋人で、彼に振られたプージャー(プージャー・ヘーグデー)もリシを見直し、彼の農業に加わる。ラーマヴァラム村の荒れ果てた大地はすぐに息を吹き返し、一面緑の畑となる。感銘を受けたジャイデーヴ・ダース州首相(ナーサル)は、ラーマヴァラム村をこのまま残すことを宣言する。

 大学時代にリシのライバルだったアジャイ(カマル・カーマラージュー)はジャーナリストになっており、ミッタルの不正を暴き、彼の逮捕を導く。リシは、回復したラヴィにラーマヴァラム村を託し、米国に帰ろうとするが、考え直し、オリジン社のCEOを辞してインドに残ることにした。

 現在、多くのインド系移民が米国にて世界有数の大企業のCEOに就いているのは周知の事実だ。マイクロソフトのサティヤ・ナーデッラやグーグルのスンダル・ピチャイが代表例である。「Maharshi」は、主人公リシが架空の米国大手IT企業オリジンのCEOに就くところから始まり、米国で繰り返されるそのようなインド人のサクセスストーリーをなぞった物語であることを匂わせる。主演マヘーシュ・バーブーの外見も、いかにも都会育ちの洗練されたインド人という感じであり、多国籍IT企業のCEOにピッタリだ。

 だが、すぐに舞台はインドに移る。しかも、土ぼこりにまみれたド田舎の農村である。リシは、大学時代の友人ラヴィが故郷ラーマヴァラム村を守るために大手企業に対してたった一人で戦っていた戦いに協力し出す。リシはラーマヴァラム村に即席のオフィスをこしらえ、ビジネスを始め、メディアの注目を集めて、その焦点をラヴィの運動へと巧みに移すのである。

 さらに、リシは自ら水田に裸足で下りたって農業を始める。前述の通り、マヘーシュは空調の効いたオフィスが似合うスタイリッシュで色白な外見をしているのだが、その彼が頭にターバンを巻いて農業を始めるのである。そのギャップがこの映画のミソになっている。

 リシはメディアの注目を巧みに利用して直接人々に語りかけ、現代人の生活や意識から農業や農民が切り離されてしまっていることへの警鐘を鳴らす。毎年多くの農民たちが借金苦などで自殺をしているが、都会に住む人々はそれをほとんど気にせず暮らしている。だが、食料は人間が生きて行く上で欠かせないものであり、本来ならば農業は全ての人々の生活に直結している。農民の自殺問題は他人事ではないのである。この分断に気付いたリシは、何とか都会人を農村と結びつけようとした。

 また、リシの成長に従い、「成功とは何か」についても深く考えさせられる内容になっていた。まず、リシは父親を負け犬だと決め付けており、彼を反面教師にして、成功を追い求めていた。聡明だったリシは米国大手IT企業に雇用され、すぐにCEOまで上り詰める。それはリシが思い描いていた成功そのものだった。リシは、現在世界を支配しているのは企業だと考えており、企業を通して世界を支配し、成功者になろうとしていたのである。だが、一度頂点に上り詰めると、彼は自分の成功が自分の実力のみによって実現したのではないことを思い知らされる。彼は成功を追い求める中で、自分との将来を思い描いていた恋人プージャーを冷酷にも切り捨てており、しかも大学時代の親友ラヴィとも絶縁状態にあった。彼が反面教師にしていた父親も、彼がCEOに就任した直後に亡くなっていた。リシは、果たして自分は成功者なのかと自問自答するようになる。

 不朽の名作「3 Idiots」(2009年/邦題:きっと、うまくいく)も究極的には「成功とは何か」を主題にした映画であった。「3 Idiots」が出した結論は、「好きなことを突き詰めれば、成功は後から付いてくる」というものだった。「Maharshi」が発信するメッセージもそう違いはない。リシの口から少なくとも2度、「成功とは目的ではなく、旅路である」という発言があり、これが映画全体を貫くメッセージになっていた。

 また、リシが負け犬だと決め付けていた父親も、実は負け犬ではなかったことも分かる。彼は望めば公務員になることができたが、人々のために尽くすことを優先し、公務員になるのを諦め、しがない事務員をして家族を養っていた。どれだけ多くの人々に尽くし、どれだけ多くの人々に感謝されるかが成功者の証であり、そういう意味では確かに父親の周囲には常に人々が集まっていた。目が覚めたリシは、父親を反面教師ではなく、見習うべき教師として捉え直し、CEOを辞して、人々のために尽くす人生に身を投じるのである。

 メッセージは明確であり、しかも単純に金銭的な成功を追い求めがちなインド社会の文脈の中で意義のあるものだった。ただ、マヘーシュ・バーブーの演技が非常に弱かった。終始薄ら笑いを浮かべたすまし顔をしているだけで、演技らしきものがほとんど見られなかった。完璧すぎるヒーローであるゆえに不完全な人間であった。戦闘シーンでは全く打撃を受けず、返り血すら浴びないため、どんなに戦っても顔はきれいなままだった。農業をしても彼の顔は全く汚れない。演技の単調さに加えて、この徹底した「汚れない」要素がマヘーシュのキャラを非現実的なものにしてしまっていた。

 ストーリーを細かく見ていくと、結末まで解決されずに終わってしまったものもいくつかあった。たとえば大学時代にリシに着せられたカンニングの濡れ衣の真犯人だ。十中八九アジャイの仕業であろうが、彼は罰を受けていない。最後にいきなり登場しリシに協力するが、それで彼の罪が拭われたことにはならないだろう。基本的にはあらゆる娯楽要素が詰め込まれたマサーラー映画であるが、ロマンスの要素は特に弱かった。リシとプージャーのロマンスが中途半端で、サイドストーリーにもなっていなかった。

 いくつか派手めなダンスシーンが入っていた。ダンスシーンによってリシとプージャーの関係の変化が象徴されていたが、場違いなものが多く、二人の心情を代弁する力は弱かった。ダンスシーン自体も取り立てて素晴らしいとはいえなかった。

 「Maharshi」は、都会人の意識を農業に向け、成功の定義を考え直させることを目的とした、非常に真面目かつ明確なメッセージが込められた作品だ。しかしながら、主演マヘーシュ・バーブーの演技が弱く、ヒロインのプージャー・ヘーグデーも使い捨てであり、スト-リーにもいくつか弱点があった。興行的には成功しており、2019年のテルグ語映画としては第3位の興収を上げたとのことだが、それに見合うだけの完成度を誇る作品とは感じなかった。