Kalank

3.5
Kalank
「Kalank」

 1990年代、「Saajan」(1991年)や「Khal Nayak」(1993年)など多数の共演作があるサンジャイ・ダットとマードゥリー・ディークシトが恋仲にあったのは公然の秘密であった。だが、1993年のボンベイ連続爆破事件に関与した容疑でサンジャイが逮捕されてからマードゥリーはサンジャイと関係を断ち切り、二人の共演作も「Mahaanta」(1997年)が最後となった。プロデューサーのカラン・ジョーハルがこの二人をスクリーン上で再共演させた話題作がヒンディー語映画「Kalank(汚点)」である。2019年4月17日に公開されたこの映画は、印パ分離独立前、ラホール近郊、コミュナル暴動が起きる寸前にあったフスナーバードを舞台とする時代劇である。

 監督は「2 States」(2014年)のアビシェーク・ヴァルマン。ただ、「2 States」もそうだったが、プロデューサーのカラン・ジョーハルが相当取り仕切っていると思われる。「Kalank」のストーリーも題名も、カランが長年温めてきたものであり、カランのドリーム・プロジェクトだと考えるべきだ。

 キャストには相当力が入っている。一言で言えばオールスターキャストの映画だ。ヴァルン・ダワン、アーリヤー・バット、アーディティヤ・ロイ・カプール、ソーナークシー・スィナー、サンジャイ・ダット、マードゥリー・ディークシト、クナール・ケームー、キヤーラー・アードヴァーニー、クリティ・サノーンなどが出演している。キャストを三分割して映画を3本撮ってもそれぞれヒットが狙えるほどの俳優たちが1本の映画に揃っている。

 だが、結論から言ってしまえば、それほどのキャストを一ヶ所に集めて作られた「Kalank」は、残念ながらフロップに終わった。才能ある人物が思いを込めて作った作品が多くの人に受け入れられないことはよくあることだ。この映画を鑑賞してみて、確かに心に重くのしかかるシーンが多く、冗長で、ヒットしなくてもおかしくないということは感じた。しかし、非常に心に残る映画であった。

 カラン・ジョーハルは「Kabhi Alvida Naa Kehna」(2006年)で、メインストリームのヒンディー語映画ではおそらく初めて、結婚後の不倫を成就させて見せる作品を作り、世に問うた。この映画は海外市場ではヒットとなったが、インド国内では酷評され、フロップとなった。インド映画には不文律があり、結婚前の恋愛は成就するが、結婚後の恋愛は成就しない。その法則を破ったことで、「Kabhi Alvida Naa Kehna」はそっぽを向かれてしまったのである。

 「Kalank」は、再び同様のテーマに挑戦した映画だ。とは言っても、今回は結婚外の恋愛を成就させていないので、「Kabhi Alvida Naa Kehna」よりは冒険していない。しかしながら、結婚の外にある恋愛を不滅のものとして肯定的に見せており、やはり大きな挑戦だと感じた。

 まずキーとなるのは、ループ(アーリヤー・バット)がデーヴ(アーディティヤ・ロイ・カプール)の2番目の妻として、新聞社を経営するチャウダリー家に嫁ぐことだ。デーヴにはサティヤー(ソーナークシー・スィナー)という妻がいたが、彼女は癌で余命わずかであった。サティヤーの望みで、幼馴染みであるループにデーヴを託したのだった。だが、デーヴはサティヤーを深く愛しており、ループに、彼女を愛することはないと宣言する。この設定が、ループが結婚外の恋愛をすることを可能としていた。

 ループは、売春街ヒーラー・マンディーで歌と踊りを教えるバハール・ベーガム(マードゥリー・ディークシト)と出会い、弟子となる。また、そこで鍛冶屋をするザファル(ヴァルン・ダワン)とも出会い、彼に惹かれるようになる。折しも、フスナーバードに工場が建設されようとしていた。ザファルの友人アブドゥル(クナール・ケームー)は活動家で、工場は職人たちの職を奪うとして反対運動を展開していた。一方、デーヴの新聞社は、工業化が国の発展に寄与するという論陣を張っており、アブドゥルと対立していた。そんな中、サティヤーは息を引き取る。

 実は、ザファルはデーヴの父バルラージ・チャウダリー(サンジャイ・ダット)とバハールの息子であった。バルラージはバハールの妊娠が分かると彼女を捨て、バハールは息子を捨てていた。ザファルは、チョードリー家への復讐を誓っており、ループをたぶらかして目的を達成しようとしていた。ところが、ザファルは本当にループに恋をするようになっていた。

 バルラージは、ループとザファルが恋仲になっていることを知り、バハールを訪ねる。バハールも、2人の関係は破滅を招くと考え、ループを訪ねて、ザファルは復讐のためにループを使っていると明かす。ショックを受けたループは、デーヴとの結婚を身体的にも受け入れることを決める。

 そのとき、フスナーバードに工場が建設された。怒ったアブドゥルは仲間たちと共にデーヴの新聞社や家を襲撃する。ザファルはループとデーヴを助け、駅まで送り届ける。そこでザファルはアブドゥルに殺されるが、ループとデーヴはアムリトサルに逃げることに成功する。このような物語である。

 ループとデーヴは形の上では夫婦だが、ループはザファルを想い、デーヴはサティヤーを想い続ける、という結末になっていた。果たしてこれは不適切なことであろうか。ループは最後に観客に問いかける。興行的にはインドではこの関係は受け入れられなかったと見ていいだろう。だが、一般的な、単純なロマンス映画に飽きている観客には目新しく映ったのではないかと思う。

 また、「Kalank」は愛と憎しみの物語でもあった。ザファルは自分の出自を負い目に感じ、チャウダリー家を破滅させることを目的としていたが、純粋なループとの交流を通じて愛を知り、チャウダリー家を破滅させる前に彼は欲しかったものを手に入れたのだった。印パ分離独立も、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の間の憎しみから起こったことであった。もし2つのコミュニティーの間に愛があれば、どうなっていただろうか。そんな大きな問いも問いかける映画であった。

 多くのインド人観客が待ち望んでいた、サンジャイ・ダットとマードゥリー・ディークシトがスクリーン上で一緒に立つシーンも見事に実現していた。バルラージとバハールの関係は、そのままサンジャイとマードゥリーの関係に置きかえることが可能だ。彼らが交わす台詞も、どうしても現実の2人の会話に聞こえてしまう。だが、それがこの映画のひとつの見所になっている。

 最近のヒンディー語映画にしてはダンスシーンも豊富で、しかも金がかかっていた。アーリヤー・バットの導入曲「Rajvaadi Odhni」、ヴァルン・ダワンの導入曲「First Class」、マードゥリー・ディークシトのダンスを堪能できる「Ghar More Pardesiya」や「Tabaah Ho Gaye」、クリティ・サノーンのアイテムソング「Aira Gaira」など、全てが豪華絢爛な群舞であった。

 「Kalank」は、カラン・ジョーハルが長年温め続けてきた映画であり、印パ分離独立前夜のラホール近郊を舞台にした、オールスターキャストの重厚な時代劇ドラマである。既婚女性の恋愛物語ということで、インドでは容易に受け入れ可能なものではなかった上に、冗長であったため、興行的には振るわなかった。だが、カラン・ジョーハルの気迫のようなものを感じる大作だった。90年代のインド映画を観てきたファンにとっては、サンジャイ・ダットとマードゥリー・ディークシトの再共演も見所だ。