The Daughter Tree (Canada)

3.0
The Daughter Tree
「The Daughter Tree」

 「The Daughter Tree」は、アジアンドキュメンタリーズで「娘の樹」という邦題と共に配信されたドキュメンタリー映画である。2019年3月13日にノルウェーのTVでプレミア放映されているが、監督のラマー・ラーウはカナダのトロントを拠点とするチェンナイ生まれの女性映画監督であり、映画の国籍はカナダになっている。同年4月27日にはHot Docsカナダ国際ドキュメンタリー映画祭でも上映されたが、インドでの上映情報はない。

 「The Daughter Tree」は、正面からインドの女児堕胎問題を扱った作品だ。インドでは男児を尊ぶあまりに女児の間引きや堕胎が横行しており、それが深刻な男女比の不均衡を生んでいる。かつて「Matrubhoomi」(2003年)という映画があった。女児堕胎をしすぎて女性がいなくなってしまった村が舞台のディストピア映画で、かなりショッキングな内容だったが、これはあくまでフィクション映画であった。このまま女児堕胎をし続けるとこういうことになるという警鐘が込められていた。

 ところが「The Daughter Tree」はドキュメンタリー映画である。そして、本当に女性がいなくなってしまった村が登場する。20年前に「Matrubhoomi」が示したディストピアが現実のものになっていることを赤裸々に映し出している。

 インド各地で撮影が行われているが、メインとなるのはパトレーリーという村で助産婦をするニーラム・バーラーという女性である。映画の冒頭では、パンジャーブ州では男女比が男性1,000人に対し女性750人と説明があり、パトレーリーはパンジャーブ州と紹介されていたが、ハリヤーナー州なのではないかと思う。看板の文字もヒンディー語であり、自動車のナンバープレートもハリーヤーナー州のものだ。ニーラムは時々アンバーラーの病院に行っていたが、これもハリヤーナー州の都市である。ただ、パンジャーブ州と隣接した地域であり、パンジャーブ州と文化は似通っている。ハリヤーナー州もパンジャーブ州と同様に男女比のバランスは悪い。

 ニーラムは、何かにつけて男児を求める社会の風潮に立ち向かっている。彼女は妊婦の家族に、胎児や新生児の性別ではなく、母子の健康に最大限の注意を払うべきだと口を酸っぱくして言うが、多くの村人たちは聞く耳を持たない。あまりに女児堕胎が深刻化したインドでは、胎児の性別検査が禁止になっているが、それでも違法に性別検査をして、女児と分かると中絶する家族が後を絶たない。

 パトレーリー村で孤軍奮闘するニーラムに加えて、他に2つの村のエピソードが語られる。ひとつはハリヤーナー州ジョージュー村である。ジャッジャルの西にある村だ。なんとこの村では過去数十年間、女児が一人も生まれていないという異常な状態にある。もちろん、自然のままでそのようなことが起きるわけがない。女児を堕胎しているのである。おかげでこの村には男性ばかりがあふれ、結婚相手が見つけられなくなってしまっている。「Matrubhoomi」が現実化した村である。

 もうひとつはビハール州ダルハラーという村だ。バーガルプル県にある人口6,000人ほどの小さな村だが、実は全国的に知られた有名な村である。この村では、インドの他の地域と違って女児が尊ばれており、女児が生まれると10本の木を植樹する習慣がある。マンゴーやライチなど商品価値のある果実が成る木を植えるのが常のようで、果実を売って得た収入でその女の子の教育や持参金を捻出するという。明らかに、アンバランスな男女比の問題を解決するひとつのアイデアとして取り上げられていた。題名の「The Daughter Tree」の由来も明らかにこのダルハラー村のユニークな習慣である。

 やはり一番深刻なのはジョージュー村だ。この村に住む3人の兄弟が登場するが、もういい年になっているのに全員未婚である。どうやら村では、妻を買って結婚する者もいるようである。この場合、「妻を買う」というのは、人身売買というわけではなく、持参金を払って嫁を取るという意味である。インドでは通常、女性側が男性側に持参金を支払うが、あまりに女性が欠如してしまっているため、男性側が持参金を支払わなくてはならなくなってしまっている。さらに、結婚する女性とは、異カーストかつ自分より低カーストの女性という意味合いも含む。ただ、このような結婚は、インドの保守的な村の価値観では、家の名誉を大いに傷付けることでもある。男性たちは家名を残すために結婚を切望するが、「妻を買う」ことで家名が汚れるのを恐れるというジレンマに陥っている。持参金を支払い、低いカーストの女性と結婚する妥協ができない者は一生結婚できないのである。

 アジアンドキュメンタリーズの日本語字幕では誤訳と思われるものがあった。ジョージュー村の三兄弟は「村の外」の女性との結婚を嫌がっているという文脈の字幕になっていたが、この「外」とは「村」ではなく、カーストである。途中、ピンキーというデリー在住の女性と結婚した男性が映っていたが、おそらくピンキーのカーストは高くないはずである。

 三兄弟の母親は彼らに、細かいことは気にせずに「妻を買う」ように説得するが、結局彼らは世間体を優先し、異カースト結婚はしないと決めた。カメラは彼らのその決断を無言のまま見つめ、彼らの未来が閉ざされたことを暗示していた。ジョージュー村の場面では水タバコが印象的な描写のされ方をしていたが、これは悪習に囚われた時代遅れの村を象徴するものであろう。

 メインエピソードとなるニーラムの奮闘は、多少曖昧なまま結末を迎えたように感じた。彼女のクリニックにかかっていたメーナカーという妊婦は、やはり男児を望んでいた。これまで男児1人、女児2人を生んでいたが、その男児は障害児であり、家族からはちゃんとした後継ぎを生むように圧力を掛けられていた。映画の最後で彼女は希望通り男児を生む。彼女にとっては良かったかもしれないが、女児堕胎を問題視するこの映画の結末としては必ずしも適切なものではなかったように感じた。

 「The Daughter Tree」は、インド社会に深刻な男女比のアンバランスを引き起こしている女児堕胎問題を取り上げたドキュメンタリー映画である。結婚したらまず男児を欲しがるインド社会の悪しき慣習、長年にわたって女児堕胎を続けたために男性しかいなくなってしまった村の惨状、そして女児を尊ぶ習慣を実践してきた村の現状などが映し出され、問題提起と解決案提示が行われていた。優等生的なドキュメンタリー映画である。