Saheb Biwi aur Gangster 3

3.5
Saheb Biwi aur Gangster 3
「Saheb Biwi aur Gangster 3」

 ヒンディー語映画界において、渋い映画を作ることで一目置かれている監督ティグマーンシュ・ドゥーリヤー。代表作は「Paan Singh Tomar」(2012年)だが、「Saheb Biwi aur Gangster」シリーズも有名だ。旧王家内の骨肉の争いをベースにした重厚な政治ドラマである。題名の「旦那、奥様、ギャング」が示すとおり、主に3人の登場人物たちによる陰謀のぶつかり合いとなるが、今まで「ギャング」にあたる人物が命を落として来ており、「旦那」と「奥様」が生き残っている。「Saheb Biwi aur Gangster」(2011年)、「Saheb Biwi aur Gangster Returns」(2013年)と2作が作られて来ており、2018年7月27日には第3作となる「Saheb Biwi aur Gangster 3」が公開された。

 監督は引き続きティグマーンシュ・ドゥーリヤーである。「旦那」と「奥様」は、前々作、前作に引き続き、ジミー・シェールギルとマーヒー・ギルが演じている。今回「ギャング」を演じるのはなんとサンジャイ・ダット。ジミーとマーヒーよりも格上の俳優となり、ポスターでも彼が前面に押し出されている。前作でラージ・バッバルが演じたブリジェーンドラ・プラタープ・スィン、通称バニー叔父さんは、今回は何らかの理由でザーキル・フサインに交替している。一方、前々作、前作で「旦那」の右腕役を演じたディープラージ・ラーナーは続投である。

 セカンドヒロインとしてチトラーンガダー・スィンが出演し、前作で「旦那」の2番目の「奥様」を演じたソーハー・アリー・カーンが少しだけ特別出演している。また、パメーラー・スィン・ブートーリヤーとリシナー・カンダーリーもヒロインの一種と呼べるだろう。

 他には、ディーパク・ティジョーリー、カビール・ベーディー、ナフィーサー・アリーなどが出演している。

 前作で、妻のマーダヴィー(マーヒー・ギル)の策略によって逮捕・拘留されることになった、ウッタル・プラデーシュ州デーヴガル旧王家出身の政治家アーディティヤ・プラタープ・スィン(ジミー・シェールギル)は、釈放のためにあらゆる手を尽くしていた。頼れる右腕カナイヤー(ディープラージ・ラーナー)の娘ディーパル(パメーラー・スィン・ブートーリヤー)が弁護士として彼の釈放のために表立って動いていた。

 一方、マーダヴィーは国会議員となっており、旧王家出身の政治家として絶大な権力を誇るようになっていた。マーダヴィーは、なるべくアーディティヤの拘留期間を延ばそうと画策していたが、彼はとうとう釈放されることになった。釈放直後に彼を暗殺しようともするが、カナイヤーにより暗殺者たちは一網打尽にされた。また、マーダヴィーはアーディティヤ釈放直前に、自殺と見せかけてラーンジャナー(ソーハー・アリー・カーン)を殺そうとする。ラーンジャナーは生き残るが、昏睡状態となる。ラーンジャナーの父親バニー(ザーキル・フサイン)は、アーディティヤのせいだと考える。

 アーディティヤは釈放され、マーダヴィーはアーディティヤを邸宅に迎え入れる。久々に顔を合わせた二人は情事に耽るが、それでもアーディティヤのマーダヴィーに対する敵意は変わらなかった。だが、マーダヴィーが妊娠したことで気持ちが変わる。

 そこへ、ロンドンから、アーディティヤと遠縁の、ウダイ・プラタープ・スィンが帰って来る。彼は20年間ロンドンで暮らしていたが、向こうで殺人を犯してしまい、インドに強制送還されて来た。ウダイの父親ハリ・スィン(カビール・ベーディー)はかつての大藩王国の当主であったが、乱暴なウダイを嫌っていた。ウダイの弟ヴィジャイ(ディーパク・ティジョーリー)も兄を邪魔だと考えていた。ウダイには、踊り子をするスハーニー(チトラーンガダー・スィン)という恋人がいた。また、ウダイはロンドンでマーダヴィーと会ったことがあった。

 ウダイは、バニーが所有する邸宅を購入し、ヘリテージホテルにしようと考えていた。だが、バニーはそれを拒否する。マーダヴィーはバニーと相談し、ウダイにその邸宅を売却することを了承させる。ただ、条件があった。それはアーディティヤを殺すことだった。ウダイはロシアンルーレットのエキスパートで、アーディティヤとロシアンルーレットをし、事故と見せかけて殺すことにする。だが、その計画は情報セキュリティーの専門家であるディーパルを通してアーディティヤにも漏れていた。

 ハリの邸宅において、アーディティヤとウダイはロシアンルーレットをすることになる。だが、決着が付く直前にヴィジャイがスハーニーを殺し、憤ったウダイはハリとヴィジャイを惨殺し、自らも息絶える。アーディティヤはマーダヴィーを殺そうとするが、マーダヴィーのお腹にいる子供が生まれるまでは生きることを許す。

 7ヶ月後。マーダヴィーは男児を産む。だが、アーディティヤに捕まる前に子供を連れて逃げ出す。

 第1作、第2作と、乾燥した土地に建つ古びた邸宅を舞台に、渇いた人間ドラマが繰り広げられて来た。「Saheb Biwi aur Gangster」シリーズのひとつの特徴は、通常のヒンディー語映画のようなグラマラスな描写がなく、非常に地に足の着いた映像と、頭脳を駆使したライバルの足の引っ張り合いにあった。だが、第3作に至って、急にロンドンのシーンがストーリーに組み込まれ、サンジャイ・ダットが起用されたこともあり、かなりグラマラスな映画になってしまっていた。また、第2作までは、ジミー・シェールギル演じる「旦那」アーディティヤが地域でもっとも権力を持つ旧王家であったが、第3作では、さらに強大な旧王家であるハリ・スィンが登場し、ヘリテージホテルとして美しく整備された邸宅も出て来るので、さらにその印象は強まった。ただ、回を重ねるごとにスケールアップしたいという願望は理解できる。

 ただ単に殺したい相手を殺すのではなく、相手の権力を奪った上で殺そうとする点は、「Saheb Biwi aur Gangster」シリーズのもうひとつの特徴である。第3作では、むしろ、長く拘留され、権力を失いかけたアーディティヤが旧王族としての復権しようとする過程が描かれた。アーディティヤはインド政府に対し、旧王家への年金を復活するように署名活動を始める。これは、自身の存在を知らしめる広報活動でもあった。200以上の旧王家がこのキャンペーンに賛同したが、規模の大きな旧王家は、ハリ・スィンを含め、様子見であった。第3作では、アーディティヤのこの動きに弱点を見出したマーダヴィーが、ハリ・スィンの息子ウダイと共謀して、アーディティヤをロシアンルーレットで事故死させようとする。

 ロシアンルーレットを映画の冒頭と終盤に持って来てストーリーの重要な触媒としたのは面白かった。インドにおいてロシアンルーレットが横行している例はないと思うが、武勇を何よりの誇りとするラージプートの精神性に合った決着の付け方であり、違和感はなかった。ただ、ロシアンルーレットのエキスパートというのが存在するのかは疑問だった。完全に運に左右されるゲームだと思っていたが、必ず勝つコツがあるのだろうか。

 第2作では、どちらかと言えばマーダヴィーがアーディティヤに勝利したことになっていた。だが、第3作の勝者はアーディティヤと言えるだろう。アーディティヤは一連の事件の中を生き延び、最終的にはマーダヴィーが築き上げた政治家としての地位をそのまま受け継げるまでに復権した。ただ、生まれたばかりの男の子をマーダヴィーに奪われてしまったため、もし第4作が作られるとしたら、それを巡る物語となるのだろう。

 第2作のエンディングで暗示されていたが、ソーハー・アリー・カーン演じるラーンジャナーが酒に溺れて正気を失ってしまい、自殺に見せかけて瀕死の重傷を負ってしまうのは可哀想だった。「Saheb Biwi aur Gangster」シリーズでは、邸宅に住むと皆、陰謀を巡らすようになるか、正気を失ってしまう様が描かれるが、ラーンジャナーもその轍を踏むことになった。第2作の冒頭のマーダヴィーの繰り返しである。だが、第4作があり、もし彼女が息を吹き返すならば、第4作で重要な役割を果たすことも考えられる。

 「Saheb Biwi aur Gangster 3」で弱く感じたのは音楽だ。ほぼ全ての曲をラーナー・マズームダールが手掛けているが、元々プレイバックシンガーであり、作曲家としてのキャリアは浅い。音楽が弱かったのに加えて、ムジュラーソング「Davaa Bhi Woh」などの踊りも弱かった。

 「Saheb Biwi aur Gangster」シリーズは一貫してウッタル・プラデーシュ州を舞台にしていたと思うのだが、なぜか第3作においてそれが曖昧になっていた。ハリ・スィンの邸宅はラージャスターン州特有の建築様式であったし、風景にも砂漠がよく登場した。土地の雰囲気も重要な個性になるのだが、「Saheb Biwi aur Gangster 3」ではこの部分が重視されていなかったように感じた。

 「Saheb Biwi aur Gangster 3」は、ティグマーンシュ・ドゥーリヤー監督の「Saheb Biwi aur Gangster」シリーズ第3作である。ジミー・シェールギルとマーヒー・ギルなど、主要キャラはそのままに、今回はサンジャイ・ダットが「ギャング」役を担って登場し、骨肉の争いに加わる。重厚な人間ドラマは健在だったが、味付けの点で少し手が滑ったような印象を受けた。興行的にはフロップで終わったようだが、決して悪い映画ではない。