Hope Aur Hum

3.5
Hope Aur Hum
「Hope Aur Hum」

 2018年5月11日公開の「Hope Aur Hum(希望と私たち)」は、古いコピー機を巡る一家の心温まる物語である。映画中で古いコピー機は「Mr. Soennecken」と呼ばれている。ドイツ人発明家フリードリッヒ・ゾーネッケン(1848-1919年)のことだが、調べてみたところ、彼がコピー機を発明したわけではないようである。ゾーネッケンは穴開けパンチやリングバインダーの発明者として知られている。映画中に登場する「Mr. Soennecken」は復元されたもので、本物ではないようだ。

 監督は新人のスディープ・バンディヨーパディヤーイ。キャストは、ナスィールッディーン・シャー、ソーナーリー・クルカルニー、アーミル・バシール、ナヴィーン・カストゥーリヤー、カビール・サージド、ヴィルティ・ヴァーガニー、ネーハー・チャウハーン、ビーナー・バナルジーなどである。

 ムンバイー在住のナーゲーシュ・シュリーヴァースタヴァ(ナスィールッディーン・シャー)は骨董品のドイツ製コピー機を大切にしており、「ミスター・ゾーネッケン」という愛称まで付けていた。ミスター・ゾーネッケンのおかげで家族を支えることができたのである。だが、最近ミスター・ゾーネッケンの調子が悪かった。新品のレンズに交換すれば直ると考えていたが、古すぎてスペアパーツが見つからない。息子ニーラジ(アーミル・バシール)の妻アディティ(ソーナーリー・クルカルニー)はミスター・ゾーネッケンを処分したがっていた。受験を控えた長女タヌ(ヴィルティ・ヴァーガニー)は、四六時中クリケットの実況ばかりしている弟のアヌ(カビール・サージド)に迷惑しており、自分の部屋を欲しがっていた。ミスター・ゾーネッケンをどかせばそのスペースができたのである。

 ある日、ニーラジはアヌを連れてグジャラート州ラージピープラーにあるアディティの実家を訪れる。アヌの母方の祖母(ビーナー・バナルジー)がアヌに会いたがっていたのである。また、祖母は古いハヴェーリーを所有しており、その処分に困っていた。その助言のためにもニーラジは呼ばれていた。ハヴェーリーは業者によってホテルにリノベーションされることになっていた。

 ニーラジとアヌがラージピープラーに行っている間、ニーラジの弟ニティン(ナヴィーン・カストゥーリヤー)が帰ってくる。彼はドバイで働いていた。ニティンはナーゲーシュのために最新型のコピー機を買ってきた。当初、ナーゲーシュはありがた迷惑な顔をしていたが、ミスター・ゾーネッケンのなかなか替えレンズが見つからないため、とうとう観念して、ミスター・ゾーネッケンを引退させる決断をする。また、ニティンは帰ってきた途端、携帯電話を紛失する。彼が自分の携帯電話に電話を掛けると女性が出て、会話が弾む。ニティンは彼女と会う約束をする。

 ラージピープラーから帰ってきた後、アヌには元気がなかった。祖母の家で箱の中に少女を閉じこめてしまったかもしれないという罪悪感にさいなまれていたのである。大好きなクリケットも遊ばなくなってしまい、アディティは心配していた。ニティンはドバイに帰り、ナーゲーシュは新しいコピー機と共にコピー屋を再開した。ミスター・ゾーネッケンは廃品回収屋に持って行かれてしまった。

 ナーゲーシュの昇進を機にシュリーヴァースタヴァ家はそろってラージピープラーを訪れる。ハヴェーリーのリノベーションが進んでいた。そのとき、ミスター・ゾーネッケンの替えレンズが見つかったとの連絡が入り、ナーゲーシュは落ち込む。アヌは少女を閉じこめてしまったと思い込んでいた箱を恐る恐る開けてみた。箱には穴が空いており、自由に出入りができるのを知って安心する。アヌは再び元気にクリケットをし出す。そこにはナーゲーシュも加わる。

 この映画を観ていてまず脳裏に浮かんだのは、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ(Old soldiers never die, They simply fade away)」という言葉であった。物語の中心になっているのは、老齢のナーゲーシュが大事にする骨董品のコピー機「ミスター・ゾーネッケン」だ。ナーゲーシュはこのコピー機と共にコピー屋を経営しており、それで稼いだ金で家族を支えてきた自負があった。だが、巷には最新型のコピー機があふれており、こんな骨董品では商売にならなかった。なにしろ1枚コピーするために30分も掛かるのである。特に息子の嫁アディティはミスター・ゾーネッケンを「役立たず」と決め付けており、一刻も早く処分したがっていた。

 当然、ミスター・ゾーネッケンは消えゆく旧世代を象徴している。かつて一家の大黒柱だったナーゲーシュが既に現役世代から退いているように、ミスター・ゾーネッケンにも引退の時期が迫っていた。他にも、映画中にはハヴェーリーやビンテージカーが登場し、やはり年季の入った事物が進退を迫られるという共通のモチーフが重ねられる。よって、てっきり、古いものが新しいものに置き換わっていく寂しさを描いた映画なのかと思って観ていた。もしそうだとしたら、映画はしんみりと終わることになっただろう。

 だが、「Hope Aur Hum」という題名が示す通り、この映画は明るく前向きな終わり方をする映画であった。ミスター・ゾーネッケンは日本製の最新コピー機に置き換えられ、しばらく家の隅に保管された後、廃品回収屋に持って行かれてしまった。しかも、処分した後に替えのレンズが入手できることが分かり、ナーゲーシュは部屋に閉じこもって年甲斐なく涙を流す。彼の心情がセリフで吐露されることはなかったが、「まだ使えたのに・・・!」という魂の叫びが聞こえてきそうだ。だが、ナーゲーシュも最後には笑顔を見せる。吹っ切れたのである。

 この映画が描きたかったのは、むしろ「運命」であることが分かる。映画の中でこの言葉が何度も出て来た。それをもっともよく体現していたのはニティンのエピソードだ。ニティンは携帯電話をなくすが、そのおかげでとある女性と出会い、しかも彼女は偶然にもお見合い相手の候補であった。悪い出来事も含め、あらゆる出来事には何らかの意味があり、進んで受け入れることで道が開ける。ナーゲーシュにとっても、ミスター・ゾーネッケンとの別れは運命が決めたことであり、それを受け入れることが最善の選択肢であった。彼は、生前の妻が言っていた「物を愛するな、人を愛せ」という言葉も思い出す。確かにミスター・ゾーネッケンはシュリーヴァースタヴァ家に不和を呼び込んでいた。ミスター・ゾーネッケンは確かに貴重品かもしれないが、家族円満を犠牲にしてまで大事にすべき代物でもなかった。運命という概念を受け入れることで、ナーゲーシュは気付きを得ることができた。

 よって、意外にも「Hope Aur Hum」は、古いものをいつまでもそのままの形で大事にしようとは主張していない作品になる。ハヴェーリーのホテル化がそれを象徴している。引退すべきときが来たら引退すべきだし、変化することで生き残れるなら変化すべきであるというメッセージが発せられていた。

 アヌのエピソードだけは毛色が違った。アヌは一人で罪悪感を戦っていた。祖母のハヴェーリーを訪れたとき、倉庫に置いてあった古い箱の中に少女を閉じこめてしまったと思い込んでいたのである。アヌはその少女をそのままにしてハヴェーリーを後にしてしまった。もしかしたらあのまま少女は閉じこめられ、死んでしまったかもしれない。それを思うと大好きなクリケットもできなかった。だが、再びハヴェーリーを訪れたとき、彼はその箱に穴が空いていることに気付く。あのとき見た少女も元気に遊び回っていた。やっと安心できたアヌは、再びクリケットを遊び出すのである。

 キャストの中でもっとも知名度があるのはナーゲーシュ役のナスィールッディーン・シャーである。とぼけた老人役がうまい彼にとって、ミスター・ゾーネッケンをかわいがる老人役はピッタリだった。アディティ役を演じたソーナーリー・クルカルニーは往年の女優といっていいだろう。中産階級の家庭を切り盛りする母親役を自然に演じ切っていた。

 アヌ役のカビール・サージドは「Secret Superstar」(2017年/邦題:シークレット・スーパースター)に出演していた子役俳優だ。多少オーバーアクティング気味だが、生意気な弟役を表情豊かに演じていた。タヌ役のヴィルティ・ヴァーガニーはさらに有名な子役俳優で、幼い頃から多くのTVCMに出演してきた。年齢や経験の差もあるだろうが、演技力でいえばカビールよりも安定感があった。

 「Hope Aur Hum」は、古きものが時代の変化にさらされて岐路に立たされる様を描いた作品だ。そのような作品では往々にして、古きものの良さやその保存の意義が強調されるきらいにあるが、この映画は意外にも古きものの潔い退場や時代に合わせた変化などを肯定する内容になっており、新鮮に感じた。そのおかげで希望に満ちた結末になっており、気持ちよく鑑賞することができる。確かにインドでは更新のスピードが早い。新しいテクノロジーがやって来ると、古いものはどんどん廃棄される。インド人が持つその柔軟性が表れた作品だった。