Sachin: A Billion Dreams

4.0
Sachin: A Billion Dreams
「Sachin: A Billion Dreams」

 インド人クリケット選手サチン・テーンドゥルカルは、インドのみならずクリケットの世界で最高のプレーヤーの一人に数えられる生きた伝説である。1973年にボンベイの中産階級に生まれたサチンは、幼少時からクリケットの才能を見出され、1989年、弱冠16歳でインド代表に選ばれ伝統のパーキスターン戦でデビューしたのを皮切りに、2013年に40歳で引退するまで、664の国際試合に出場し34,357ランを達成、100センチュリーを記録するなど、数々の前人未踏の記録を打ち立てた。「マスターブラスター」の異名を持ち、「もしインドに国教があるならばクリケット、もしインドに唯一神がいるならばサチン」とまでいわれるほどの人気を誇った。

 2017年5月26日公開の「Sachin: A Billion Dreams」は、サチン・テーンドゥルカルの栄光の半生を追ったドキュメンタリー映画である。監督はジェームズ・アースキンという英国人監督だが、インドのプロダクションによる作品であり、インド映画に分類していいだろう。

 サチン・テーンドゥルカルの現役時代をリアルタイムで生きたインド人ならば、このドキュメンタリー映画は単なる偉大なスポーツマンの伝記ではなく、その人自身の物語にもなるだろう。なぜなら、サチンの活躍は同時代を生きた全てのインド人の心に何らかの形で刻み込まれているはずだからだ。サチンが人生で経験したアップダウンを、鑑賞者は自らの人生と結びつけて吟味することになるはずである。

 筆者がインドに住み始めた2001年には、サチンは既にスーパースターの地位にいた。その直前、世界のクリケット界は八百長疑惑に揺れており、インド代表にもその余波が押し寄せ、浄化が必要になった。2000年代初頭のサチンは、新チームの精神的支柱として、失われたファンの信頼回復を取り戻す使命を帯びていた。クリケットはインドでもっとも人気のあるスポーツであり、インドに住む以上、クリケットには触れずにはいられない。周囲に影響され、自然と重要な国際試合をテレビで観戦するようになる中で、筆者もサチンに特別な感情を抱くようになった。

 インドでクリケットがここまで人気になったのは、1983年のワールドカップ優勝がきっかけだといわれている(参照)。サチンも、1983年をきっかけに、自分もインド代表として母国にワールドカップを持ち帰りたいと夢を抱くようになったと映画では述べられていた。だが、それ以来インド代表はなかなか再びその高みまで到達できなかった。サチンは1990年代から2000年代を通して世界最高のクリケット選手として認められ、多くの記録を打ち立てていたが、ワールドカップだけは手にしていなかった。サチン自身もワールドカップを求めていたし、インド国民もサチンの手にワールドカップを見たがっていた。映画の中で2000年代は後半になるが、そのほとんどはいかにサチンがワールドカップを求め続けていたのかが語られる。

 そして「事実は小説よりも奇なり」とはよくいったもので、サチンは引退直前となる2011年のワールドカップで、地元ムンバイーにおいて開催された決勝戦でスリランカを破り、優勝を果たしたのである。その前には準決勝戦でパーキスターンも破っている。この2試合のことはよく覚えており、インド人の友人たちと一緒に応援したものだった。もちろん、インド人の喜びは留まるところを知らなかった。いかにインド人がサチンと共にワールドカップで優勝したかったのかをまざまざと思い知らされることになった。ただ、決勝戦を改めて見返してみると、サチンは早々とアウトになっていた。勝利は、後輩のガウタム・ガンビールやマヘーンドラ・スィン・ドーニーなどが引き寄せてくれたのだ。チームが一丸となって「サチンのために」と戦った結果だろう。この辺りにも熱いドラマがある。

 そんな自分の思い出と共にこの「Sachin: A Billion Dreams」を観たため、涙が止まらなかった。デビュー以来、彼の活躍を見続けてきたインド人ならば尚更のことだろう。ドキュメンタリー映画としては、あまり作家性を表に出しすぎることのない、ニュートラルな作りであり、それが功を奏していた。前半は、サチンの幼年時代を再現するために俳優を使った再現映像も使われていたが、全体的に試合映像を含む実際の記録映像も豊富に使われ、彼を支えた重要人物のインタビューも織り交ぜながら、サチンの半生を適度なスピードと情報量で振り返ることができる。

 サチン・テーンドゥルカルは、毎日ひたすら練習に取り組む修行僧であり、ひとたびフィールドに降り立てば抜群のセンスでバッティングをするクリケット選手であったが、普段の彼はおっとりとした人柄でも知られている。ゆえに国民から絶大な人気と信頼を勝ち得たのだろうが、そんな彼の普段の姿も「Sachin: A Billion Dreams」では余すところなく捉えられている。やはり、まずは家庭の教育が素晴らしかったのだと思われる。父親はマラーティー語の教師だったようで、家庭は勤勉と規律と謙遜を重視する中産階級であった。そしてサチンに秘められた才能に最初に気付いたのは兄のアジトであった。サチンの活躍は彼だけのものではなく、兄との二人三脚であったことが分かる。また、サチンは若くして結婚しており、妻や子どもたちにも愛された存在だった。妻は医学を志していたが、サチンと結婚したことでその道は諦め、彼のサポートに全力を尽くした。ごく当たり前のことではあるが、サチンが類い稀な業績を上げることができたのも、家族の支えがあったからだと改めて感じる。

 サチンにとって精神統一の秘訣は音楽のようだ。彼の家族は音楽好きで、彼の名前「サチン」も偉大な音楽監督サチン・デーヴ・バルマン(SDバルマン)から取られた。落ち着きたいときは、ひとつの曲を繰り返し聴いていたそうだ。バッピー・ラーヒリーがお気に入りのようである。

 彼がカーマニアであることは有名だが、意外にもその点についてはあまり触れられていなかった。一時期、インドで数少ないフェラーリのオーナーとしてムンバイーではよく知られており、「Ferrari Ki Sawaari」(2012年/邦題:フェラーリの運ぶ夢)という映画が作られたくらいであるが、残念ながら彼の自慢のフェラーリは映画に登場しなかった。

 インドが誇る伝説的なクリケット選手サチン・テーンドゥルカルの伝記ドキュメンタリー映画「Sachin: A Billion Dreams」は、サチンと同時代を生きたインド人には涙なくして観られない作品だ。1990年代から2010年代初頭あたりにクリケットに関心を持ちながらインドに住んでいた日本人の心にも響くものがあるだろう。サチンのことを全く知らない人にとっては、彼がいかに偉大なクリケット選手だったのかを手っ取り早く知るための教材になる。ドキュメンタリー映画として優れていたというよりも、世紀のスポーツマン、サチンの伝記であるがゆえに別格の輝きを放っている作品だ。