Becoming Who I Was (South Korea)

4.0
Becoming Who I Was
「Becoming Who I Was」

 チベット仏教では輪廻転生が信じられている。有名なのはチベット仏教ゲルク派の最高指導者ダライ・ラマだ。現在、インドのヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムシャーラーに鎮座するダライ・ラマは14代目になるが、ダライ・ラマは輪廻転生によって継承されてきたと信じられている。チベット仏教には他にもいくつもの高僧称号があり、それぞれ輪廻転生によってその地位が受け継がれている。リンポチェもそのひとつだ。リンポチェは高僧の一種で、チベット仏教文化圏に点在するゴンパ(チベット仏教寺院)の主である。

 韓国人監督ムン・チャンヨンの「Becoming Who I Was」は、インド最北部ラダック地方のサクティ村に生まれた少年パドマ・アンドゥの物語である。アンドゥは5歳くらいの頃、突然自分はカムで生まれたと語り出す。カムとは、チベット東部にあるカム地方のことである。彼はカムにあるゴンパのリンポチェの生まれ変わりと認定され、その後はリンポチェとして生きることになった。また、彼にはウルゲンという世話役が付いた。ウルゲンはアンドゥとは血のつながりがない、単なる伝統医であった。だが、リンポチェの世話ができることを前世の功徳のおかげとありがたがり、その役目に残りの人生を捧げる。

 「Becoming Who I Was」は、アンドゥとウルゲンの強い絆を描き出すドキュメンタリー映画だ。2017年2月15日にベルリン国際映画祭でプレミア上映された。この映画には46分の短縮版もあるようだが、アジアンドキュメンタリーズでは95分のノーカット完全版を「輪廻の少年」という邦題と共に配信している。ドキュメンタリー映画といっても、全くカメラの存在を感じさせず、まるでフィクション映画のようにきれいにストーリーがつながり、盛り上がりも用意されている。どのように撮ったのか不思議になるくらいの巧さである。

 リンポチェに認定されたアンドゥは、まず近くのゴンパに入り勉強をすることになる。幼くして急に人々から信仰の対象になり、戸惑いもあっただろうが、映像を見る限りではすぐに新しい環境に適応していた。しかし、なかなかカムから迎えがやって来なかった。周知の通り、現在チベットは中華人民共和国の占領下にあり、チベット仏教は弾圧されている。いかにアンドゥが転生したリンポチェであろうと、カムからラダックまで使者がやって来るのは困難である。やがて彼はゴンパを追い出されてしまう。

 ゴンパを追い出された、というキャプションを見たときには、そんなことがあるのかと非常に驚いた。だが、ひとつのゴンパに複数のリンポチェが併存することはできないのかもしれない。アンドゥはウルゲンと共に質素な生活をし始める。「なぜ、僕にはお寺がないの?」「誰かから偽のリンポチェだと言われた」など、アンドゥがつぶやく言葉はウルゲンの心に突き刺さる。アンドゥが持っていた前世の記憶は、自信の喪失と共に次第に失われていく。また、経典を厳しく教えようとするウルゲンに対しアンドゥが反発する場面もあった。

 サクティ村は、レーから「3 Idiots」(2009年/邦題:きっと、うまくいく)のロケ地として有名なパンゴン湖に行くまでのルート上にある。小さいが、とても美しい村だ。この村でアンドゥは、普通の少年から突如としてリンポチェになり、そしてゴンパを追い出され「偽のリンポチェ」とからかわれるほど転落も経験する。まだ小学生くらいの少年にとって、あまりに大きな変化であった。彼の数奇な人生は、これだけでも十分に映画の題材になった。

 だが、終盤に入り、映画は急展開を迎える。ウルゲンはサクティ村を出て、アンドゥをカムに連れて行くことを決意したのだ。このときアンドゥは12歳になっていた。

 カムは外国であり、しかも中華人民共和国の占領下にある。この二人がカムに行けるとは到底思えない。だが、そんな荒唐無稽な旅を観客は見守ることになる。まず彼らが辿り着いたのはウッタル・プラデーシュ州ヴァーラーナスィーだった。静寂なサクティ村から、一気に喧噪のヴァーラーナスィーに場面転換するため、落差が激しい。しかも、ラダックの仏教僧がガンガー河の上に舟で浮かんでいるシーンは不思議な感じがした。

 そこから彼らはスィッキム州に入り、チベットとの国境を目指す。だが、冬のために国境は雪で閉ざされていた。しかも、彼らはパスポートも持っていない。どう考えてもチベットに入域することは不可能だった。結局、国境近くの雪山に登り、そこからカムの方角へ向けて法螺貝を吹いただけだった。

 そのままラダックに引き返すのかと思ったが、幸い、スィッキム地方にアンドゥを受け入れてくれるゴンパが見つかり、彼はそこで教育を受けることになる。だが、ウルゲンとはお別れだった。ウルゲンは、今まで奉仕できたことをアンドゥに感謝し、去って行く。アンドゥも、そこでしっかり勉強し、15年経ったら、今度はウルゲンの世話をするために帰ると約束する。「そのときは僕の人生で一番幸せなときだ」という最後の純粋な言葉は涙腺を刺激せずにはいられない。

 アンドゥとウルゲンがしゃべっていたのはラダッキー語のはずである。彼らがヴァーラーナスィーやスィッキム州へ行くと、アンドゥは地元の人々と片言のヒンディー語で会話をしていた。ウルゲンはヒンディー語がほとんどしゃべれなかった。だが、スィッキム州のラチャンでは、チベットから亡命してきた女性と出会い、ラダッキー語で意思疎通ができている様子だった。もちろんラダッキー語はチベット諸語のひとつであるが、チベット人とそのまま会話ができるほど似ているのだろうか。とても気になった。

 「Becoming What I Was」はドキュメンタリー映画という体裁ではあるが、そのストーリーは、ほとんどフィクション映画のような完成度を誇っている。監督は数年を掛けてこの二人を追い続け、この作品を完成させたことだろう。映画には外国人特有の押しつけがましさもなく、ひたすら存在感を消して、静かに二人を見守り続けている点にも好感が持てる。ドキュメンタリー映画の傑作である。