Fan

3.5
Fan
「Fan」

 ダブルロール(一人二役)はインドで好まれる演技的ギミックだ。監督が俳優にさせるのか、俳優が選んでいるのか、それは分からないが、多くの俳優がキャリアアップの過程の中でダブルロールに挑戦する。双子・兄弟姉妹であったり、親子であったり、または偶然のそっくりさんであったり、その使い方は様々だ。スターシステムが採られているインド映画界では、予算の中に占める主演俳優のギャラの割合が高く、俳優を何人も起用するよりも、一人の人気スターに何役か演じさせた方が結果的に安上がり、という事情もダブルロールが好まれる背景にあるようだ。ちなみに、ヒンディー語映画界において、ひとつの映画の中でもっとも多くの役を一人で演じたのは、「What’s Your Raashee?」(2009年)のプリヤンカー・チョープラーであろう。この映画でプリヤンカーは一人で12役を演じ分けたが、これはさすがにやり過ぎであった。

 ヒンディー語映画界の「キング」、シャールク・カーンもダブルロールとは無縁ではない。「Karan Arjun」(1995年)、「English Babu Desi Mem」(1996年)、「Duplicate」(1998年)、「Om Shanti Om」(2007年)、「Ra.One」(2011年)など、その25年以上に及ぶ俳優人生の中で、何度もダブルロールに挑戦して来た。そんな彼が再びダブルロールに挑戦したのが、2016年4月15日公開の「Fan」である。

 「Fan」の監督は、「Band Baaja Baaraat」(2010年)や「Shuddh Desi Romance」(2013年)のマニーシュ・シャルマー。非常に才能のある若手監督の一人だ。音楽はヴィシャール=シェーカルだが、「Fan」は挿入歌がなく、主にプロモーションで使用された「Jabra Fan」の担当のみだ。この曲はヒンディー語の他、パンジャービー語、ボージプリー語、グジャラーティー語、マラーティー語、ベンガリー語、タミル語、オリヤー語で歌われており、それぞれ作詞者が違う。主演はシャールク・カーン。他に、ワルーチャー・デスーザ、サヤーニー・グプター、シュリヤー・ピルガーオンカル、ディーピカー・アミーン、ヨーゲンドラ・ティークーなどが出演している。

 デリーで生まれ育ち、サイバーカフェを経営する若者ガウラヴ・チャーンダー(シャールク・カーン)は、ヒンディー語映画界のスーパースター、アーリヤン・カンナー(シャールク・カーン)の大ファンだった。しかも彼の顔はアーリヤンに似ており、アーリヤンの物真似が得意だった。地元の隠し芸大会でアーリヤンの物真似をして優勝し、賞金2万ルピーを手にしたガウラヴは、アーリヤンの誕生日に彼に会うため、ムンバイーへ向かった。かつてアーリヤンが俳優になることを夢見てデリーからムンバイーへ乗り込んだときのように、わざわざキセル乗車をして移動し、ムンバイーでは若き日のアーリヤンが最初に投宿したデライトホテルの205号室に宿泊する念の入りようだった。

 アーリヤンの誕生日、ガウラヴは早速アーリヤンの自宅を訪れる。そこにはアーリヤンのファンが彼の誕生日を祝うために多数詰めかけていた。当然、ガウラヴは群衆の中に埋もれ、アーリヤンに気付いてもらえなかった。彼は何とかアーリヤンに会う方法を考える。

 そのとき、テレビではアーリヤンのスキャンダルが報じられていた。若手スターのスィド・カプールと喧嘩をしたとのことだった。そこでガウラヴはスィドに会いに行き、彼を脅迫して、アーリヤンに謝罪させた。この件はこれで一件落着になったかと思われたが、ガウラヴは、スィドを脅迫している映像をアーリヤンに送り、自分がスィドを謝らせたからそのお礼として会って欲しいと申し出る。アーリヤンは、精神異常のファンが犯罪を犯したことに心を痛め、警察にガウラヴを逮捕させて懲らしめる。そして、ガウラヴに直接会って、二度と目の前に現れないようにと警告する。

 釈放後、デリーに戻ったガウラヴは、自室を埋め尽くしていたアーリヤンのグッズを全て焼き払い、サイバーカフェも引き払う。そして一人デリーを去って行く。ガウラヴは、ファンがスターを追うのではなく、今度はスターがファンを追うようになる状況を作り出してアーリヤンから謝罪を引き出そうとし始める。

 1年後、アーリヤンは公演のためロンドンに来ていた。そのときガウラヴもロンドンにおり、アーリヤンの振りをしてマダム・タッソー館で暴れる。アーリヤンは警察に逮捕されるが、何のことか分からない。大使館や弁護士の助けにより何とか保釈される。次にアーリヤンはクロアチアのドゥブロヴニクへ向かう。そこでは大富豪の結婚式が行われており、アーリヤンはパフォーマンスをするために呼ばれていたのだった。だが、このときまでにガウラヴからアーリヤンに電話があり、アーリヤンも状況を理解していた。アーリヤンは、式場に不審者を入れないように警備を強化させる。

 それでもガウラヴは変装して式場に潜入しており、新婦に対してセクハラをする。アーリヤンは参列者から非難を受け、追い出される。この事件はすぐに報道され、アーリヤンは糾弾されるようになる。ロンドンに戻ったアーリヤンは公演を行うが、ファンたちはボイコットをし、会場には誰も来なかった。

 アーリヤンはムンバイーに戻るが、それより一足先にガウラヴも戻っており、彼の自宅に彼の振りをして潜入して部屋を荒らし回っていた。彼はアーリヤンの妻(ワルシャー・デスーザ)から拳銃も奪っていた。妻や子供たちにも危害が及ぶことを恐れたアーリヤンは、今度はガウラヴに反撃を開始する。アーリヤンはデリーへ行き、ガウラヴの家に押しかけて、両親(ヨーゲンドラ・ティークーとディーピカー・アミーン)にガウラヴがして来たことを全て話す。そしてガウラヴに電話をさせる。ガウラヴは、アーリヤンが自宅に来たことに激怒する。また、アーリヤンは、ガウラヴに片思いの相手がいることも知る。それは、近所に住むネーハー(シュリヤー・ピルガーオンカル)であった。アーリヤンはネーハーにも協力してもらうことにする。

 昨年、ガウラヴが優勝した隠し芸大会が今年も行われようとしていた。そこにアーリヤンはガウラヴの振りをして出場し、ネーハーに公衆の面前で告白すると同時に、自分がアーリヤンの振りをしてロンドンやクロアチアで悪さをして来たことを暴露する。その様子を遠くから見ていたガウラヴは銃で狙撃するが当たらなかった。会場はパニックとなるが、その中でアーリヤンはガウラヴを見つけ、追いかける。最終的にアーリヤンはガウラヴを追い詰めるが、ガウラヴは自殺してしまう。

 技術の進歩により、ダブルロールも格段に進化したことを感じる。かつてのダブルロールは、そっくりさんという設定に安住して、一人の俳優が服装や髪型などを変えるだけで二人以上の役を演じていたり、メイクによって外見に多少変化を付けたりするぐらいだった。しかし、「Fan」の挑戦は、「似ているけども違う」という二人の人間を一人の俳優によって作り出すことであった。そのために、演技とメイクアップとVFXが駆使された。演技はもちろん、主演シャールク・カーンによるもの。メイクアップは、世界的に有名な特殊メイクアップアーティスト、グレッグ・キャノム(Greg Cannom)が担当。そして仕上げとしてVFXによって、メイクアップでは不可能な顔の加工――例えば鼻を小さくしたり、目を大きくしたり――を行った。そのおかげで、かつてないダブルロールが完成したのである。

 シャールク・カーンは、どちらかというと演技力を高く評価されて来たスターではなかった。演技力を売り物にしているのは、彼と同世代のスター俳優では断然、「ミスター・パーフェクト」の異名を持つアーミル・カーンであり、シャールクの演技力はアーミルとの比較の中で過小評価されることが多い。確かにシャールクは役に同化するタイプの俳優ではなく、多くの場合、「シャールクらしさ」を求められている。シグネチャーとなっている独特な話し方や素振りもあり、物真似しやすい俳優でもある。そんなシャールクが今回、「演技」をする機会を与えられ、それを物にしたと言える。

 「Fan」で彼が演じたダブルロールの中で、アーリヤン・カンナーの方は、完全に素のシャールク・カーンである。便宜上、役名が変えられているだけで、劇中でアーリヤンが体現するのは、年齢も生い立ちもそのスターダムも、現実世界のシャールクそのものである。よって、こちらは素の演技をすれば良かった。一方のガウラヴ・チャーンダーは、デリー下町育ちの20代半ば。シャールク・カーン自身もデリー生まれであり、アーリヤンもそれに従っていたが、ガウラヴはパンジャービー訛りの若者言葉を話し、アーリヤンとはだいぶ異なる。VFXだけでなく、演技によっても若さを出そうと努力しており、結果、アーリヤンとガウラヴは、たまたま顔が少し似ているだけの、全く違った人間になっていた。シャールクの潜在的な演技力が引き出されたと言っていい。

 シャールク・カーンのこの演技は、アーミル・カーンを意識してのものであろう。アーミルは「3 Idiots」(2009年)において、実際の年齢より25歳も若いキャラを演じ、「Dhoom: 3」(2013年)において、全く性格の異なる双子の兄弟を演じた。言わばシャールクはこの「Fan」において、アーミルが「3 Idiots」と「Dhoom: 3」で達成した演技に、一度に挑戦したことになる。そしてそれは、成功を収めている。

 そっくりさんが本人になりすましてトラブルを起こす、というのは、最近ではTwitterやFacebookなど、ネット上でよく起こる事件だ。また、シャールクはデビュー以来、比較的スキャンダルとは縁遠いスターだったのだが、近年、暴力事件など、多少好ましくない分野での報道があった。また、911事件以降、米国ではイスラーム教徒に対する監視が厳しくなっており、イスラーム教徒特有の名字「カーン」を持つシャールクは、米国の入国審査などにおいて辱めを受けることが度々あった。「Fan」のストーリーの源泉は、このような実際の事件から来ているのではないかと感じた。

 「Fan」は、インド映画界におけるスターとファンの関係に重要な示唆を与えている。シャールク・カーンは、「今の自分の地位は全てファンのおかげ」ということを言っており、彼の分身であるアーリヤンもその台詞を引き継いでいた。アーリヤンの大ファンであるガウラヴは、その言葉を信じ、アーリヤンに会いに行く。アーリヤンの物真似で優勝したほどなので、それだけの権利があると考えたのだ。だが、ガウラヴはアーリヤンに会えないし、アーリヤンに会うために行った行為はアーリヤンから「犯罪」と一蹴される。アーリヤンのこの対応は、行き過ぎはあったものの、完全に責められるものではないと思うが、これがきっかけで彼の大ファンは一転して大きな敵となって立ちはだかる。アーリヤンはガウラヴに仕返しをし、最終的にガウラヴは自殺をしてしまうが、その後のアーリヤンは、ファンをより温かい目で見るようになったということが暗示されていた。「Fan」は、「ファンあってのスター」という大切な事実を、シャールク自身が自己への戒めとして噛みしめる構造にもなっていた。

 娯楽映画の範疇に入るストーリーでありながら、挿入歌が一曲も入っていなかったことも特筆すべきであろう。いくつかのシーンで挿入歌を入れようと思えば入れられたはずだ。例えばロンドンでの公演リハーサルや、ドゥブロヴニクでの結婚式など。それを敢えてせず、最初から最後までストーリーのみで通した。インド映画の文法に真っ向から立ち向かっている。今後こういう映画が増えて来るのであろうか。

 意外にアクションシーンにも力が注がれていた。アクションシーンと言っても、多くはチェイスである。ムンバイー、ドゥブロヴニク、デリーなど、各所でアーリヤンとガウラヴのチェイスがあった。もちろん、ここでもダブルロールなので、シャールクは基本的に一人で2回走らなければならなかったはずである。これらがヒンディー語映画離れしていた。それもそのはず、「Fan」ではアクションシーンを韓国人アクション監督オ・セヤン(O Se-young)が担当した。特殊メイクアップアーティストのグレッグ・キャノムと言い、このオ・セヤンと言い、国際的なスタッフが揃っているのは、プロデューサーのアーディティヤ・チョープラーの力であろう。

 ロケ地についても、ロンドンのマダム・タッソー館でロケを行ったり、クロアチアのドゥブロヴニクという、中世の町並みが残る美しい町で撮影したりと、豪華だった。マダム・タッソー館にはシャールク・カーンの蝋人形があり、今回はそれがちゃんとネタになっていた。マダム・タッソー館で映画の撮影が行われるのは稀なことであるらしい。また、ドゥブロヴニクは、「アドリア海の真珠」と呼ばれる美しい町で、その町並みは世界遺産にも登録されている。インド映画のロケが行われたのは初めてではなかろうか。

 「Fan」は、シャールク・カーンで始まりシャールク・カーンで完結する、シャールク・カーンのためにあるような作品だ。彼の潜在的な演技力も引き出されており、シャールク・カーンのファンならば必見中の必見と言えよう。ただ、興行的には振るわなかったようで、残念である。おそらく一般的な娯楽映画の作りでなかったことや、終わり方が悲しかったからであろう。それでも、2016年のヒンディー語映画の重要作であることに変わりはない。