Kill/Dil

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Kill/Dil
「Kill/Dil」

 クエンティン・タランティーノ監督の「キル・ビル」(2003年)という映画があったが、それによく似たタイトルのヒンディー語映画が2014年11月14日に公開された。「Kill/Dil」である。監督のシャード・アリーは、時々映画も撮る芸術家ムザッファル・アリーの息子で、過去に「Saathiya」(2002年)や「Bunty Aur Babli」(2005年)などのヒット作を監督している。ライトなノリのラブコメを得意としているといえる。音楽監督はシャンカル・エヘサーン・ロイ、作詞はグルザール。制作はヤシュラージ・フィルムスである。

 主演は若手人気男優ランヴィール・スィンとパーキスターン人俳優兼歌手アリー・ザファル。ヒロインはパリニーティ・チョープラー。他に、往年のコメディアン俳優ゴーヴィンダーが重要な脇役で登場する。

 捨て子の兄弟デーヴ(ランヴィール・スィン)とトゥートゥー(アリー・ザファル)は、マフィアのドン、バイヤージー(ゴーヴィンダー)に拾われ、育てられた。やがて2人は敏腕の殺し屋に成長し、バイヤージーの命令に従って人殺しを請け負うようになった。

 ある日、デーヴはディシャー(パリニーティ・チョープラー)という女の子の命を救う。デーヴは職業を偽ってディシャーと会うようになり、やがて二人は恋仲となる。しかし、この関係が仕事に影響を与えるようになる。デーヴは銃を埋め、人殺しの道から足を洗うことを決意する。しかし、とうとうバイヤージーにも恋人の存在が明らかとなり、デーヴは叱責を受ける。デーヴはディシャーとの関係を諦めざるを得なくなる。

 落ち込むデーヴを見て、トゥートゥーはデーヴのために一肌脱ぐことにした。人殺しの仕事はバイヤージーに内緒でトゥートゥーのみが担うこととし、デーヴは別の仕事ができることになった。早速デーヴは仕事を探し、生命保険会社で営業の仕事を得る。

 ところが、デーヴが人殺しをせずに保険会社で働いていることがバイヤージーにばれてしまう。バイヤージーは腹心のバトゥクにデーヴ暗殺を命じる。同時にトゥートゥーに電話をし、狂ったバトゥクがデーヴを殺しに向かったと伝え、さらにディシャーに対し、デーヴの本業を明かす。バイヤージーの策略が見事にはまり、デーヴを殺そうとしたバトゥクをトゥートゥーが殺し、その様子をディシャーが目撃してしまう。ディシャーはデーヴと絶交する。

 失意のデーヴは地中に埋めた銃を掘り出し、再び暗殺者の道を歩き始める。だが、仕事へ向かう前にデーヴはメッセージビデオをディシャーに送る。暗殺はデーヴが銃を撃てなかったことで失敗し、代わりに彼が銃弾を受ける。トゥートゥーは負傷したデーヴを病院に連れて行く。そこへディシャーも駆けつける。デーヴは一命を取り留める。

 バイヤージーは、デーヴを使って殺そうとしたライバルマフィアに殺される。バイヤージーの拘束がなくなったデーヴは、晴れてディシャーと結婚する。一方、トゥートゥーは生命保険会社に就職するために面接を受ける。

 「Kill/Dil」という題名は、主人公デーヴが板挟みとなった、人殺しとしての「Kill」(英語の動詞「殺す」)と、恋人ディシャーとの関係を表す「Dil」(ヒンディー語の名詞「心」)を示しているだろう。殺し屋が恋に落ち、まっとうな道を志すという、非常にシンプルな筋書きの映画だった。

 まず印象深かったのがヒロインの性格である。「Jab We Met」(2007年)辺りからヒンディー語映画のヒロイン像はかなりの変化を経験し、女性が恋愛をリードする場面が一般的になった。「Kill/Dil」のディシャーも関係を支配しており、デーヴにプロポーズまでする。現代ヒンディー語映画ヒロイン像の典型である。とは言っても、だんだんこういうヒロインばかりになってきたので、そろそろ次の一手が必要ではないかとも思う。特にパリニーティ・チョープラーはポスト「Jab We Met」時代にデビューした女優であるため、こういうヒロインしか演じていないような気もする。

 シンプルな筋書きの物語にスパイスとして加えられていたのは、デーヴとトゥートゥーの兄弟愛である。「Sholay」(1975年)でのヴィールーとジャイを思わせるコンビであり、互いに絶対的な信頼をしている。ヒロインのディシャーを巡る三角関係になることもなく、兄のトゥートゥーはデーヴの恋を全力で支える。いわゆる「ブロマンス」(Bromance:男性同士の友情)モノの映画の一種であり、男と男の友情が小気味よい快感を男性客に与えてくれる。

 前述の通り、デーヴは、育ての親であり、仕事の糧を与えてくれるバイヤージーと、恋人であるディシャーとの間でジレンマに陥る。その解決が結末となるわけだが、ここがうまくまとまっていると作品として一段上を目指せた。じれったいのは、殺し屋にもかかわらず度胸がないのか、それともよほど義理と人情に厚いのか、デーヴがバイヤージーに反旗を翻さないことだ。そればかりか、一喝されてバイヤージーに許しを請うことまでする。ディシャーに正体を知られ絶好されてからようやく吹っ切れるが、やはりもう人殺しをすることができず、改めて請け負った暗殺の仕事は失敗する。しかし、失敗したおかげでバイヤージーは命を落とし、ジレンマは自然に解消されてしまう。かなり都合の良すぎる終わらせ方だったと感じた。

 あまり前面に押し出されてはいなかったが、物語の舞台はデリーのようで、デーヴとトゥートゥーの家はデリーメトロの線路を見下ろす建物の屋上にあった。ディシャーのプロポーズはなんと高さ73mの塔クトゥブ・ミーナールの上。もちろんCGが使ってあり、実際にクトゥブ・ミーナールで撮影されたわけではないだろう。ディシャーは「重要な決断をするときはいつもここでしてきた」と語っていたが、久しくクトゥブ・ミーナールには上れなくなっているため、現実世界でそんなことはできない。

 興行評価は「フロップ」。特にアピールポイントもなく、ヒットすべき理由もない。ランヴィール・カプールにしても、何だか弱々しい男を演じていたので、「らしさ」がない。パリニーティ・チョープラーはいつも通りの演技すぎる。敢えて挙げるならばゴーヴィンダーの存在か。軽い気持ちで鑑賞できるのはいいが、残るものはない映画である。