ヒンディー語映画界では長らく「スポーツ映画はヒットしない」とのジンクスがあり、スポーツ映画がほとんど作られなかったのだが、「Lagaan」(2001年)の大ヒットにより流れが変わり、以後、スポーツを題材にした映画が作られるようになった。今まで、クリケット、ホッケー、サッカー、ボクシング、陸上競技、インラインスケートなどが題材になっており、スポーツ映画は既にジャンルとして確立したと言っていいだろう。
最近のスポーツ映画では、実在のスポーツ選手の伝記映画が作られているのが注目に値する。陸上競技選手から盗賊になったパーン・スィン・トーマルの伝記映画「Paan Singh Tomar」(2012年)と伝説的陸上競技選手ミルカー・スィンの伝記映画「Bhaag Milkha Bhaag」(2013年)が相次いで作られ、そして2014年9月5日にはインド女子ボクシング界のヒーロー、メリー・コムの伝記映画「Mary Kom」が公開された。インドにおいて宗教的人気を誇っているのはクリケットだが、まだクリケット選手の伝記映画が作られていないのは面白い逆転現象である。
メリー・コムは1983年3月1日にマニプル州チューラーチャーンドプル県のカンガテイ(Kangathei)村に生まれた。マニプル州はインド最東部にあり、ミャンマーと国境を接している。同州には多数の部族が住んでいるが、メリー・コムも貧しい部族の家庭に生まれた。元々は陸上競技をしていたが、2000年頃にボクサーに転向し、以後才能を開花させて、快進撃を続けた。今までに5回、世界チャンピオンに輝いており、2014年に仁川で行われたアジア競技大会でもフライ級で金メダルを勝ち取っている。インドを代表するスポーツ選手だ。
映画「Mary Kom」の監督はオーマング・クマール。新人ではあるが、名監督サンジャイ・リーラー・バンサーリーがプロデューサー兼クリエイティヴ・ディレクターとして後ろに控えており、信頼性がある。作曲はシャシ・スマン、作詞はプラシャーント・インゴーレー、サンディープ・スィンの他、マニプリー語歌詞をビジョウ・ターンジャムが担当している。主演のメリー・コムを演じるのは、ヒロイン女優としてキャリアをスタートしながら演技派として認められるようになったプリヤンカー・チョープラー。その他のキャストは新顔が多く、スニール・ターパー、ダルシャン・クマール、ロビン・ダースなど。また、我々日本人にとって興味深いのは、撮影監督を日本人女性のナカハラ・ケイコが担当していることだ。手持ち撮影と自然光にこだわりがあるようで、ドキュメンタリータッチの映像作りに貢献している。
マニプル州の農村に生まれたマンテ・チュンネイジャン・コムは、幼い頃からボクシングに興味がある女の子だった。高校生の頃、父親マンテ・トンパ・コム(ロビン・ダース)に内緒でナルジート・スィン(スニール・ターパー)の運営するボクシングジムに通うようになる。ナルジートは彼女にメリー・コム(プリヤンカー・チョープラー)というリングネームを与える。メリーはすぐに頭角を現し、州チャンピオン、インド・チャンピオン、そして世界チャンピオンになる。 3度の世界チャンピオンに輝いた後、メリー・コムは恋人のオンレル(ダルシャン・クマール)と結婚することを決める。しかし、ナルジートは彼女の勝手な決断を許さなかった。ナルジートはメリーのコーチを外れる。結婚後、妊娠したメリーはボクシングから引退する。メリーは双子を産み、主婦となる。 しかし、メリーのボクシング熱は冷めなかった。常に、またリングに戻りたいと願っていた。また、周囲の人々が急速にメリーのことを忘れているような気がしてならず、それが悔しかった。だが、結婚後にリングに戻った女子ボクサーは今までインドに存在しなかった。メリーはボクサーとしての功績を活かして警察官になろうとするが、かつての世界チャンピオンに用意されたのは巡査部長という低い地位であった。メリーは絶望してその職を蹴る。 オンレルは理解のある夫だった。オンレルはメリーにボクサー復帰を提案し、メリーは再びトレーニングを開始する。しかし、2年振りの復帰戦では判定負けし、しかも判定に不服だったメリーは審査員に椅子を投げつけて抗議をし、物議を醸す。元々メリーはインドのボクシング協会と不仲であった。メリーはこの一件によりボクサー生命を絶たれそうになるが、メリーは謝罪をし、何とかボクシングを続けられることになる。また、メリーはナルジートとの関係も修復し、再びコーチをしてもらえることになる。 その後、メリーはインド代表となり、2008年、中国の寧波で開催された女子ボクシングの世界大会に出場する。決勝戦まで進んだ彼女の対戦相手は、ドイツ代表のサシャであった。サシャとは、メリーが最初に世界チャンピオンになった2002年の大会の決勝戦でも対戦しており、因縁があった。また、このときメリーの子供が心臓手術を受けており、メリーは放心状態にあった。当初、メリーはサンドバッグ状態となり、ダウンもするが、復活し、サシャに反撃する。メリーは勝利を収め、再び世界チャンピオンに返り咲く。また、子供の手術も成功する。メリーの快進撃はまだ続いている。
実在の人物や実際の出来事を題材にした映画は、得てして時系列に沿って事件や出来事を追うだけになってしまい、まるで歴史の教科書や歴史番組のようになってしまいがちだ。「Mary Kom」の前半もそのきらいがあった。だが、映画がグリップ力を持つようになるのは、メリー引退後からである。かつてキャリアの絶頂にあった女性が、結婚・妊娠・出産を機に、そのキャリアを捨てざるを得なくなり、葛藤に苛まれる。その姿はおそらく多くの女性の共感を呼ぶはずであり、それを克服して再び世界チャンピオンに返り咲いたメリー・コムの生き様からは勇気をもらえるはずだ。
よって、この映画の長所はまず、引退後のメリーの葛藤をよく描けていたことにあると言える。特に、バスでたまたま乗り合わせた人がメリーに対し、今正に話している相手がメリー・コムであると知らずにメリーの話をするシーンが印象的であった。結婚前にほぼ独力で築き上げた名声が急速に失われて行くことにメリーは焦燥感を抱く。だが、優しい夫と双子の子供に囲まれた今の生活も十分に幸せだった。ボクシングを選ぼうにも、家庭生活を選ぼうにも、メリーは完全な満足感を得ることができなさそうだった。そんな彼女を支えたのが夫の存在だった。地元サッカーチームの主将を務めていたオンレルはメリーのボクサー復帰を後押しし、子育てや家事を一手に引き受けることまで提案する。オンレルの支えのおかげでメリーはまたトレーニングを開始し、やがて世界チャンピオンとなる。「内助の功」という言葉があるが、メリー・コムの場合はその逆バージョンであった。
日本人でメリーと比較するならば、やはり谷亮子が思い浮かぶだろう。メリー・コムと谷亮子のスポーツ人生はかなり似ている。母となった後、谷亮子は世界選手権で金メダルを取っているが、オリンピックでは銅メダル止まりだった。メリー・コムも、母となった後、今までに2回世界チャンピオンに輝いており、オリンピックでは銅メダルを獲得している。
女性のキャリアと結婚・出産についての話はスポーツに限らないが、インドのスポーツ映画では、女性がスポーツをすることに対する風当たりの強さもよく取り上げられる。インドでは社会的にスポーツと女性は結びついていない。女性がスポーツに余りに熱中し過ぎると、必ず「嫁のもらい手がいなくなる」という話になる。当然、メリーの場合も家族、特に父親から反対があり、ボクシングのために一時は勘当寸前まで行く。メリーはそういう抗力とも戦わなくてはならなかった。
インドのスポーツ映画では、該当スポーツを統括する組織に対する批判もよく見られる。「Mary Kom」でも、ボクシング協会はほぼ悪役で登場した。国際試合への遠征において代表選手たちには最低限の宿泊施設と食事しか宛がわれないのに、協会の人間は高級ホテルで贅沢三昧している状況が指摘されていた。メリーは常にそのような汚職に声を上げて来た。また、12億人の人口を誇る国から世界的なスポーツ選手が多数輩出されない理由としても、行政側のスポーツに対する支援不足や無関心が挙げられていた。メリーの戦いは、単に自分との戦いや社会的風潮との戦いに留まらず、国家や州などのシステムとの戦いでもあった。そしてメリーはそれらの全てに勝利するのである。
映画でメリー・コムを演じたのは典型的インド人の顔付きをしたプリヤンカー・チョープラーであったが、メリー・コム本人の写真を見れば分かる通り、彼女は東洋系の顔立ちをしている。インド東北部にはモンゴロイド系の人々が住んでおり、彼らもれっきとしたインド人だ。日本人が同地域を旅行すると、懐かしい顔付きの人々に会うことになる。知り合いの日本人によく似た顔を見つけることもあるだろう。東北部の人間が映画の主人公となったのはおそらく初のことであるが、それを演じる俳優まで東北部の人間をキャスティングできなかったのは、マーケティング上の限界と言える。また、ロケ地もマニプル州ではなく、ヒマーチャル・プラデーシュ州のマナーリーやダラムシャーラーであった。マニプル州は僻地である上に治安も安定せず、こういう点でも限界が見て取れる。しかし、この映画によって東北部が注目を浴びることになったのは喜ばしい変化だと言える。メインランドのインド人は東北部の人々のことを「チンキー」などと呼んで差別する傾向にあり、インドの一部と認めていないところがある。デリーにも東北部出身の人々が多数住んでいるが、彼らに対する差別が原因となった暴力事件は後を絶たない。だが、この映画によって、東北部の英雄が国際舞台の場でインドの三色旗をはためかせた偉業が広く知られることになった。メインランドのインド人の、東北部のインド人に対する意識に何らかのポジティヴな影響があったのではないかと予想される。
マニプル州の英雄を主人公とした映画であるため、言語は基本的にヒンディー語でありながら、台詞の端々に現地のマニプリー語が混ざっていた。もちろん意味は分からない。また、登場人物が話すヒンディー語も意図的にブロークンなものになっていた。この点はマニプルらしさを出したということなのだろうが、あまりやり過ぎると差別的な設定と思われるのではなかろうかと思う。ただ、確かに東北部の人々の話すヒンディー語は、母語ではないため、ブロークンである。
「Mary Kom」は、新人監督の作品なだけあって、多少退屈な時間帯もある。だが、この映画が送るメッセージは、ヒンディー語映画では今まであまりなかったもので、新鮮さがある。自分で運命を切り拓く強い女性が最近のヒンディー語映画のトレンドだが、そのひとつとして数えることも十分にできる。プリヤンカー・チョープラーの演技も素晴らしいし、日本人女性の撮影監督が作品に参加していることも特筆すべきだ。2014年のお勧めの作品のひとつである。