最近PVRディレクターズカットが非常にいい。PVRディレクターズカットはインド最高級の映画館であり、入場料は日と時間にも依るが1,000ルピー前後と、日本とそんなに変わらない。だが、サービスや設備は値段に見合ったレベルで、静かにまったりと映画を鑑賞したい人にはうってつけの場所だ。さらに重要なのは、一般の映画館では公開されない、限れた観客向けの映画も果敢に上映していることである。僕の住むJNUのすぐ隣に立地していることも、僕にとっては好都合だ。PVRのこの試みは、きっとデリーの映画文化の発展に大きく貢献することだろう。願わくは、チケット代を抑えて欲しいものだ。
今日PVRディレクターズカットで観たのは、2012年8月24日公開の「Delhi in a Day」という映画である。監督はプラシャーント・ナーイル。インド生まれ、ヨーロッパ、アフリカ、北米育ち、現在パリ在住というインターナショナルな人物で、本作が彼の長編映画デビュー作となる。キャストには、リレット・ドゥベー、クルブーシャン・カルバンダー、ヴィクター・バナルジーなど、演技派として知られる俳優たちが名を連ねている。言語は基本的にヒンディー語で、英語も頻出する。英語以外の台詞には英語字幕が付いていた。
監督:プラシャーント・ナーイル
制作:プラシャーント・ナーイル
音楽:マティアス・ドゥプレシ
衣装:マヒマー・シュクラー、ナローラー・ジャミール
出演:リー・ウィリアムス、リレット・ドゥベー、クルブーシャン・カルバンダー、ヴィクター・バナルジー、アンジャリー・パーティール(新人)、ヴィディヤ・ブーシャン、アルン・マリク、ディネーシュ・ヤーダヴなど
備考:PVRディレクターズカットで鑑賞。
デリーの富裕層であるムクンド・バーティヤー(クルブーシャン・カルバンダー)とカルパナー(リレット・ドゥベー)の家に、ムクンドのロンドン留学時代の親友の息子ジャスパー(リー・ウィリアムス)がやって来ることになる。カルパナーは準備に大忙しだった。ムクンドとカルパナーには2人の子供がいた。長男はジャイ、長女はマドゥであった。また、バーティヤー家にはカルパナーの祖父(ヴィクター・バナルジー)が同居していた。さらに、彼らの家では5人の使用人が働いていた。ラグ(ヴィディヤ・ブーシャン)は20年間バーティヤー家に仕える最年長。その養女のローヒニー(アンジャリー・パーティール)も共に働いていた。ローヒニーはラグの実の娘ではなかったが、彼女の両親が共に死んだことで、彼女を引き取ったのだった。ローヒニーの夢はムンバイーへ行って女優になることだった。ウダイ・スィン(ディネーシュ・ヤーダヴ)は料理人。ターター家で15年間働いていたことが誇りであった。チョートゥー(アルン・マリク)は雑用。他にタミル人運転手のヴェーンカトとナトラージがいた。 早朝ジャスパーは空港に着き、そこからタクシーに乗ってバーティヤー家までやって来る。とりあえず午前中はバーティヤー家の自動車を借りてデリーを散策した。昼食を取りにバーティヤー家まで戻るが、そのときジャスパーは部屋に置いておいたポンドの現金がなくなっていることに気付く。その額はルピーにすると30~40万ルピーになった。それを聞いたムクンドとカルパナーは血相を変える。カルパナーは使用人を一人一人呼んで問い質す。ジャスパーが外出している間、彼の部屋に入ったのはラグのみだった。という訳で自動的にラグが犯人に仕立て上げられてしまいそうだった。ムクンドは翌日警察を呼ぶことを決める。 ローヒニーは、ラグが逮捕されてしまうかもしれないことに焦り、何とか盗まれた分だけのお金をどこからか調達しようとする。彼女は単身マフィアから金を借りに行くが、借りることはできなかった。 その日の晩にはジャスパーを歓迎するためのパーティーがバーティヤー家で開かれ、たくさんの友人がやって来た。そのパーティーも終わり、カルパナーが一息付いていると、彼女は窓の外で娘のマドゥが、恋人のビリーと交わしている会話を聞いてしまう。ビリーはならず者で、前々からカルパナーは娘とビリーの関係に反対していた。その会話で、ビリーがマドゥに金を盗ませたことが発覚する。翌朝、カルパナーはマドゥを問い質す。マドゥは自分が盗んだことを白状する。 その頃、早起きしたジャスパーは、ローヒニーが泣いているのを見る。ローヒニーは英語が話せなかったため、2人の間でコミュニケーションは取れなかったのだが、ジャスパーは彼女の置かれた状況を察知した。朝食のとき、ジャスパーはバーティヤー家の人々にお金が見つかったと明かし、一件落着となる。おかげでラグも警察に逮捕されなくて済んだ。しかし、実際にはお金は見つかっていなかった。ジャスパーはローヒニーを助けるために嘘を付いたのだった。 この日、ジャスパーはヴァーラーナスィーへ向かう予定だった。バーティヤー家に見送られながらジャスパーは家を出る。ジャスパーが向かう先は、鉄道駅ではなく、空港であった。ジャスパーはお金がなくなってしまったため、インド旅行を続行することができなくなり、そのまま英国に帰ることを決めたのだった。
インドが「インディア」と「バーラト」の2つに分かれ、昨今これらの距離がますます広がっているとの指摘がされるようになって久しい。「インディア」とは、急速な経済成長、都市在住富裕層とその高い購買力、IT、ショッピングモール、多国籍企業や国際ブランドの進出などなどが象徴する「インドの光の部分」であり、対する「バーラト」は、農村、スラム、貧困、悪習などが象徴する「インドの影の部分」である。「Delhi in a Day」では、とあるデリー在住富裕層の家という限られたロケーションを舞台にしながらも、この2つが非常にコンパクトに対比されていた。バーティヤー家の家族とその使用人の関係は、もちろん雇用者と使用人という関係であるのだが、インドではこの2者の間の溝は想像以上に深く、同じインド人でありながら、全く別の世界に住み、全く異なった運命を持っているかのごとくである。
さらに、英国人若者が外国人旅行者の視点を持ちながらその世界に飛び込んで来ることで、「外国人の目から見たインド」も加わる。多くの外国人にとって、インドとはスピリチュアルでミステリアスな国のイメージが今でも根強い。主人公のジャスパーも全くそのようなイメージを持ちながらインドに飛び込んで来た。僕が「Delhi in a Day」で面白いと感じたのは、この外部からのインドに対する視点が、我々外国人にとって非常に共感できるものであったからである。
バーティヤー家の家族やその友人たちも描写されていたのだが、この映画の中でもっとも優れていたのは、使用人たちの心情描写である。例えば料理人のウダイ・スィン。ジャスパーの歓迎パーティーで腕を振るうのだが、カルパナーはデリーの有名レストラン、モーティー・マハルからカバーブを注文する。カバーブならウダイ・スィンも作れた。しかしカルパナーは、ジャスパーが「モーティー・マハルのカバーブ」を食べたいと言ったためにそうしたのだった。この出来事がウダイ・スィンを酷く傷付けてしまう。きっとジャスパーはガイドブックを見てモーティー・マハルの名前を出したのだろう。彼に全く悪気はなかった。だが、ウダイ・スィンの心の傷は深く、最終的には「もうこの家で働くのを辞める」とつぶやくに至る。このような使用人の微妙な心情描写は、今までのインド映画であまり見たことがない。
使用人の弱い立場をもっともストレートに表現したのはローヒニーであった。ローヒニーはジャスパーに対して、その理不尽さをヒンディー語でとうとうと語る。家でお金が盗まれると、何の証拠もないのに、使用人が疑われ、警察に突き出されてスケープゴートにされるのである。今回スケープゴートにされたラグは、20年間バーティヤー家に仕えて来た、忠実な使用人であった。だが、このような事件が起こると、それまでの実績は全く考慮されず、犯人にされてしまう。使用人には何の人権もない。そんな現状が訴えられていた。
使用人同士の人間関係もよく描写されていた。家の中のことを取り仕切る使用人は皆ヒンディー語圏から来た人々だったが、運転手はタミル・ナードゥ州出身で、明らかにこの2つのグループの間で溝があった。タミル人運転手は満足にヒンディー語も話せないので尚更である。また、バーティヤー家の人々が眠っている間、使用人たちが集まって、彼らの悪口や物真似をするシーンもあった。その癖カルパナーに一喝されると皆そそくさと仕事に戻る。何だかんだ言って使用人たちは絶対に主人には逆らえないのである。この辺りはかなり現実に即した描写だったと感じる。一方で、ムクンドとカルパナーは、おそらく恋仲になってしまった使用人と娘が両親によって殺されたと言われる有名なタルワール事件をテレビで見て、「世も末だ」と嘆き合う。インディアはバーラトを恐れ、バーラトはインディアを恐れる。お互いがお互いを異質なものと捉え、陰口をたたき合いながら、お互いを利用できるだけ利用しようとする。そんなインド社会の危機的な状況に対する警鐘が、この一見穏やかな雰囲気の映画において鳴らされていたと感じた。
外国人の視点からは、ジャスパーの行動もとても理解できる。ホームステイ先のインド人家庭で自分のお金がなくなり、使用人たちが疑われることになった。一生懸命働いて稼いだお金で、それがないとインド旅行もできない。インドは憧れの土地で、今回はその夢の実現だった。しかし、そのせいで使用人たちの人生が脅かされていることを感じ取る。ジャスパーは、その損失の責任を自分で取ることを決める。バーティヤー家の人々に、お金が見つかったと嘘を言い、ヴァーラーナスィーに向かう振りをして英国に戻ってしまうのである。もしかしたらこの辺りの行動は一般のインド人には理解されないかもしれない。だが、日本人なら理解できると思う。それだけでなく、ジャスパーがローヒニーに対して好意を抱いていたことも暗示される。ジャスパーはスケッチが趣味で、密かに描いたローヒニーのスケッチを別れ際に彼女にそっとプレゼントする。しかし、彼の行動は、ローヒニーへの好意のみに起因するものではなく、先進国の人間としての倫理観から来るものだと信じたい。お金はまた稼げる。インドにもまた来られる。だが、下層に位置するインド人の人生は吹けば飛ぶような脆弱なもので、一度失われたら二度と取り戻せないのである。
ちなみに、ジャスパーが受けた「洗礼」も外国人にとってはお馴染みだ。彼は空港からバーティヤー家までタクシーで来る。カルパナーは空港まで迎えをよこすと言っていたのだが、ジャスパーは「ディスカバー・インディア」にこだわっており、それを断って自力でバーティヤー家まで行こうとするのである。この情熱もよく理解できる。彼はタクシーを捕まえ、やっとのことでバーティヤー家まで到着する。今までフレンドリーに接していたタクシー運転手は急に真顔となって、2,000ルピーを要求する。ジャスパーは、タクシー運転手が吹っ掛けて来ることを事前にガイドブックか何かを通して知っており、「それ来た」とばかりに「1,000ルピー以上は払わない」と値切る。結局運賃は彼の主張通り1,000ルピーとなる。ジャスパーは「悪徳ドライバーから首尾良く値切ってやった」と自慢気にカルパナーに語るのだが、実際には正規の運賃は数百ルピー程度だった。半額まで値切ったつもりが、まだまだ法外な値段だったのである。デリーではよくある出来事である!
ネタバレになるが、ジャスパーのお金はカルパナーの娘マドゥが盗んでいた。カルパナーは偶然それを知り、彼女を問い詰める。マドゥもそれを白状する。しかし、カルパナーはマドゥを守るために、そのことを秘密にする。そしてラグに罪をなすりつけることを決める。家の名誉を守るためである。この辺りの考え方も非常に現実に即しており、インド人富裕層の欠点だと言える。
1時間半ほどの短い映画だったが、インドの社会で今後ますます問題になりそうなこの「インディア」と「バーラト」の剥離問題を、非常にミクロな事件を通して突いており、優れた映画だと感じた。特にインドにおいて使用人を使う立場にいる人が見ると参考になるのではないかと思う。
低予算映画ではあったが、演技の面で妥協はなかった。リレット・ドゥベー、クルブーシャン・カルバンダー、ヴィクター・バナルジーなど、インドを代表する演技派俳優たちが非常にリラックスした演技を見せていたし、使用人グループを演じた俳優たちも素晴らしかった。特にラグを演じたヴィディヤ・ブーシャンは、本物の使用人のような風貌と演技で、絶賛に値する。ローヒニーを演じたアンジャリー・パーティールも良かった。
音楽を担当したマティアス・ドゥプレシはフランス人ミュージシャンで、「Peepli Live」(2010年)でもBGMを担当したことがあり、本作は彼のインド映画参加2作目となる。一般的なインド映画のフォーマットからは外れており、ダンスシーンなどなかったが、音楽は非常に効果的に使われていた。
題名の通り、デリーが舞台となっており、デリー在住者にはお馴染みの風景がいくつも登場する。ジャーマー・マスジドがもっとも有名なランドマークであろう。だが、それらのランドマークをこれ見よがしに映し出すことはしておらず、デリーの何の変哲もない街角を切り取っており、好感が持てた。
ちなみに、一瞬だが、「JAF」という日本航空(JAL)の旧ロゴ(鶴丸ではない方)にそっくりなロゴを持った飛行機が出て来る。ジャスパーが乗って来たもので、ロンドン-デリー便だと思われる。「Japan Air Flight」か何かの略だろうか?
「Delhi in a Day」は、非常に限られた上映となっているが、今年のベストに入れてもおかしくはない傑作である。富裕層の家庭で働く使用人に焦点を当てた点でもっとも賞賛されるべきであるが、外国人の視点から見たデリーもよくスクリーン上に再現されており、外国人観客にとっても興味深い。必見の映画である。