Singham

4.0
Singham
「Singham」

 ヒンディー語映画界でサルマーン・カーンを中心に始まった南インド映画リメイクブーム。一時期低迷していたサルマーン・カーンは、「Wanted」(2009年)、「Dabangg」(2010年)、「Ready」(2011年)と、南インド映画リメイクまたは南インド映画テイストの映画を立て続けに大ヒットさせ、一気にトップスターの座に返り咲いた。特にアクション映画が人気のジャンルとなっている。もちろんインドの各映画界は昔から相互に影響を与え合って来ており、南インド映画のリメイクは今に始まったことではない。アクション映画に限っても、また21世紀の映画に限っても、アーミル・カーン主演の「Ghajini」(2008年)をはじめとして南インド映画に原案を持つヒンディー語アクション映画は多い。しかし、このブームを軌道に乗せた功労者はサルマーン・カーン以外にはおらず、このブームから最大限の利益を享受したのもサルマーン・カーン以外にはいない。特に、リメイク映画ではないとは言え、しばらくの間はサルマーン主演の大ヒット作「Dabangg」が同種の映画の比較対象となって行くであろう。

 本日(2011年7月22日)より公開のローヒト・シェッティー監督最新作「Singham」も、当初から「Dabangg」との比較を免れなかった。ローヒト・シェッティーと言えば「Golmaal」シリーズで有名な、ど派手なアクションとコテコテのコメディーを得意とする監督である。そのシェッティー監督がタミル語映画「Singam」(2010年)をリメイクしたのがこの「Singham」になる。主演はアジャイ・デーヴガン。警察官が主人公のアクション映画であること、南インド映画テイストであること、土臭い雰囲気であることなど、確かに両作品には共通点が多い。しかし、サルマーン・カーンが進んで弁護したように、全く別の映画である。

監督:ローヒト・シェッティー
制作:リライアンス・エンターテイメント
音楽:アジャイ・アトゥル
歌詞:スワーナンド・キルキレー
出演:アジャイ・デーヴガン、カージャル・アガルワール、プラカーシュ・ラージ、アショーク・サラフ、サチン・ケーデーカル、ソーナーリー・クルカルニー、サナー・アミーン・シェーク、ヘームー・アディカーリー
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

 マハーラーシュトラ州とゴア州の州境にあるシヴガル村で生まれ育ったバージーラーオ・スィンガム(アジャイ・デーヴガン)は地元で警察官をしていた。常に正義を貫き、村の平和のために尽くすスィンガムを村人たちは慕っていた。スィンガムは、パナジから久し振りに村を訪ねて来た幼馴染みのカーヴィヤ(カージャル・アガルワール)と恋に落ちる。

 一方、ジャイカーント・シクレー(プラカーシュ・ラージ)は、表向きはホテル経営者や建築業者だが、実態は州内のありとあらゆる違法行為を牛耳るマフィアのドンであった。ジャイカーントは州政府や警察にも影響力を持っていた。ジャイカーントの不正を暴こうとした正義感溢れる警察官ラーケーシュ・カダムは、ジャイカーントによる策略によって汚職の濡れ衣を着せられ、絶望のあまり自殺してしまっていた。その未亡人メーガー(ソーナーリー・クルカルニー)は亡き夫の無実を晴らすために警視総監や州首相にも掛け合ったが、皆ジャイカーントの手に落ちており、何も進展がなかった。

 ジャイカーントは数々の訴訟を抱えていたが、誰も彼の有罪を実証できなかった。しかし今回、ジャイカーントは保釈を得た代わりにシヴガル村の警察署に14日間出頭しなければならなかった。当初ジャイカーントは別の人間に出頭させようとするが、スィンガムはそれを許さなかった。怒ったジャイカーントは手下を引き連れてシヴガル村へ乗り込む。だが、スィンガムも全く怯まず、ジャイカーントに屈辱を負わせる。

 怒り心頭に発したジャイカーントはスィンガムへの復讐を練る。まずジャイカーントはスィンガムをパナジの警察署へ異動させる。そして自分のテリトリーにスィンガムを置いた後、彼に様々な嫌がらせをするようになる。また、警察から州政府まで皆ジャイカーントを恐れており、汚職も最悪の状態まで進んでいるのを目の当たりにして失望する。とうとうスィンガムは村へ帰ろうとするが、カーヴィヤから止められ、反撃に出ることを決める。スィンガムの勇気を見て、やる気を失っていた部下たちも奮い立つ。また、スィンガムはメーガーからカダムの身に何が起こったかを聞き、彼女のためにもジャイカーントへの復讐の思いを新たにする。

 その頃、ジャイカーントは州議会選挙に出馬していた。同時に、スィンガムへの嫌がらせの一環としてカーヴィヤの妹アンジャリを誘拐するが、それが命取りとなり、身代金受取人から辿って行って、遂にジャイカーントの尻尾を掴む。しかしジャイカーントは州議会選挙で勝利し、大臣となることが決まる。早速ジャイカーントはスィンガムを異動させ、街から追い払うことを決める。スィンガムは24時間以内に異動しなければならなくなる。

 しばらく絶望に打ちひしがれていたスィンガムだったが、残された時間でジャイカーントに一矢報いようと、まずは警視総監のところへ行って、誰もがジャイカーントを犯罪者だと知っていながら手出ししない警察の弱腰を糾弾する。そして単身ジャイカーントの家へ乗り込むことを告げる。スィンガムの勇気を見て改心した警視総監やその他の警察官はスィンガムに加わり、共にジャイカーントの家へ向かう。

 翌日に大臣就任宣誓を控えたジャイカーントは夢見心地でベッドに横になっていた。そこへ警視総監以下多数の警察官がなだれ込む。最初はスィンガムから身を守るための護衛だとジャイカーントは考えるが、皆が彼を殺しに来たことを知り、必死に命乞いを始める。しかし当然のことながらそれは聞き入れられず、ジャイカーントは殺される。警察はそれを、汚職が発覚したことによる恥辱から自殺したことにした。また、カダムの自殺に関しても、ジャイカーントの右腕から証言が得られ、カダムの無実が明らかとなる。

 観る者の正義感を奮い立たせる入魂の作品。ローヒト・シェッティー監督のトレードマークであるど派手なアクションはよりグレードアップした一方、「Golmaal」シリーズよりも社会的メッセージをより色濃くして、娯楽映画の基本路線は守りながらも、正義の勝利を高らかに歌い上げる爽快な勧善懲悪映画となっていた。タミル語原作の影響か、序盤を中心に古風な部分、わざとらしい部分、こじつけがましい部分が散見されたが、一旦映画が軌道に乗るとそれほど気にならなくなる。アクション中心の展開の中に笑いを散りばめることも忘れていない。特に悪役のジャイカーント・シクレーが「恐怖」と「嫌悪」に加えて「喜笑」のラスを担っており、主人公スィンガム以上に魅力的なキャラクターとなっていた。

 「Singham」が「Dabangg」と大きく違うのは主人公の性格である。どちらも正義感の強い警察官ではあるが、「Dabangg」の主人公チュルブル・パーンデーイが程よく汚職に染まった融通の利く性格であるのに対し、「Singham」の主人公バージーラーオ・スィンガムは一寸の悪も許さない偏屈なまでの正義漢である。インド神話で喩えるならば、チュルブルはクリシュナ、スィンガムはラームと言ったところか。その方法論も全く正反対である。チュルブルは汚職に染まったシステムをうまく利用して正義を遂行するのに対し、スィンガムはシステムそのものを独力で塗り替え悪を根絶やしにしようとする。当然結末の意味合いも異なって来る。チュルブルはほぼ独力で悪役を倒すが、スィンガムは汚職と怠惰に染まっていた警察システムを一喝によって刷新し、システム全体で悪役を倒した。

 しかしながら、ここまで絶対的正義を貫いておきながら、最後に宿敵ジャイカーントを私刑のような形で抹殺してしまったのは脚本の破綻に感じた。いくらジャイカーントが大臣に就任して強大な権力を手にする直前だったとは言え、法の裁きに任せる終わらせ方の方がそれまでの流れから見たらより納得が行った。また、今までジャイカーントと癒着していた警察官たちを罰しなくていいのだろうか?最後の最後にスィンガムの側に付いたことで免罪符であろうか?そういう疑問も感じた。

 また、悪役ジャイカーント・シクレーのキャラクターは非常に立っていたが、残酷さが徹底されていなかったように感じる。スィンガムの身内に危害を加えたりすることは一度もなく、意外にスィンガムに対しては大した嫌がらせをしていない。もっとも疑問だったのは、なぜヒロインのカーヴィヤを誘拐しなかったのかということである。このようなプロットの映画ならば、悪役は絶対にヒロインを誘拐してヒーローを挑発するのだが、「Singham」は、故意か偶然か、ヒロインの妹が誘拐されることになった。誘拐されないヒロイン。それは何だか怠け者に聞こえないか?実際、ヒロインの出番は大したことがなく、彼女の存在や言動がストーリー展開に与える影響も限定的である。

 「Dabangg」はウッタル・プラデーシュ州の架空の田舎町を舞台にしていたが、「Singham」はゴア州とマハーラーシュトラ州が舞台になっていた。主人公も悪役もマラーターという設定で、台詞の中にもマラーティー語が多用されていた。さらに、マラーター主義がかなり前面に押し出されていたように感じた。「Dabangg」にはそういうローカリズムみたいな側面はなかったため、特異に感じた。これはタミル語原作の影響なのであろうか。

 主演のアジャイ・デーヴガンは、サルマーン・カーンに負けないほど堂々と無敵のヒーローを演じていた。肉体作りもバッチリで、街頭を引っこ抜き、悪漢を次から次へとなぎ倒すのにふさわしい外観を獲得していた。昨年から好調が続いており、この「Singham」でさらに安定を増すであろう。

 アジャイ・デーヴガン以上にインパクトが強いのは悪役ジャイカーント・シクレーを演じたプラカーシュ・ラージだ。南インド映画界のベテラン俳優であるプラカーシュは、最近ヒンディー語映画にも登場するようになり、「Bbuddha Hoga Terra Baap」(2011年)でも絶妙な悪役振りを発揮したばかりであった。今のところ芸風が似たり寄ったりなきらいもあるが、もっと幅広い演技のできる俳優であろう。今後ヒンディー語映画でも活躍の場が開けて行くのではないかと思う。

 ヒロインのカージャル・アガルワールは、ヒンディー語映画「Kyun! Ho Gaya Na…」(2004年)でデビューしたらしいが記憶にない。その後南インド映画界で活躍して来ており、この「Singham」がヒンディー語映画界カムバック作となる。さすがに場数を積んで来ているだけあって演技はこなれているが、ヒンディー語映画界で活躍する同世代の女優たちと比べるとオーラが足りないかもしれない。「Singham」は単なるきっかけで、最低でも1本はヒット作が続かないと、南インド映画界に逆戻りということもあるだろう。

 音楽はアジャイ・アトゥルというコンビ。テーマソング「Singham」は壮大な曲で映画のスケールの大きさを予感させる。だが、音楽は全体的に弱く、「Dabangg」の音楽のようなパンチ力はない。

 言語は基本的にヒンディー語であるが、マラーティー語の台詞も多く、実際にはヒンディー語・マラーティー語ミックスと言えるだろう。スィンガムの決め台詞「Jismein Hai Dum To Fakt Bajirao Singham(度胸があるのはバージーラーオ・スィンガムのみ)」という台詞も、基本的にはヒンディー語であるが、「Fakt(単に)」というマラーティー語の単語が入っている。珍しいところではカルナータカ州マンガロール近辺で話されるドラーヴィダ語族系のトゥル語が出て来る。

 「Singham」は、ど派手なアクションで有名なローヒト・シェッティーが監督、アジャイ・デーヴガンが主演の南インド映画リメイクによるアクション映画。現代ヒンディー語映画の文法から逸脱した展開もあるが、全体的には笑いが程よくミックスされた痛快なアクション映画となっている。その痛快さの源泉は何と言っても悪に対する正義の勝利。映画観見終わった直後だけでも「清く正しく生きなければ」、「悪に果敢に立ち向かって行かなければ」と奮い立たせてくれるような映画は、インドのような国には特に必要だ。そしてこういうシンプルな筋書きの映画がたまには公開されるのは悪いことではない。観て損はない。