インドの下町を散歩すると、道端で暇そうな人たちがトランプで遊んでいるのをよく見掛ける。列車で安い座席に乗って移動しているときも、乗客が寄り集まっておもむろにトランプを始めるのを見ることがある。こういうときに遊ばれることが多いのが、ティーン・パッティーというインド独自のゲームである。ポーカーに似た、より高い役を揃えて競い合うゲームであるが、通常ルールでは各プレイヤーに配られるカードは3枚のみで、カード交換もできず、絶対的な運とハッタリを押し通す度胸と引き際の良さが物を言う、よりギャンブル性の高いゲームになっている。また、一般のカードゲームに比べて多額の金が動きやすいルールになっている。一度やったことがあるが、ケチで臆病なプレーヤー多数とやると面白くない。ハッタリ上手なギャンブラーが揃って初めて面白味の出るゲームである。
2010年2月26日より公開された新作ヒンディー語映画「Teen Patti」は、その名の通りティーン・パッティーをテーマにしたギャンブル映画である。つい最近公開された「Striker」(2010年)は、これまたインド人に人気のボードゲーム、キャロムを主題にした映画であり、ギャンブル映画が続くが、これは偶然であろう。
「Teen Patti」の監督は、「Shabd」(2005年)で監督デビューして注目された女性監督リーナー・ヤーダヴ。ちなみにプロデューサーも女性である。俳優陣はなにげに豪華。ヒンディー語映画界のスーパースター、アミターブ・バッチャンが主演を務める他、「Gandhi」(1982年/邦題:ガンジー)でアカデミー賞主演男優賞を受賞したサー・ベン・キングズレーが重要な役で出演している。特別出演の俳優もなかなか癖のある顔ぶればかり。シャクティ・カプールが特別出演しているが、彼の娘シュラッダー・カプールが本作でデビューを飾っていることも話題になっている。ホーリーの本日、観に行くことにした。
監督:リーナー・ヤーダヴ
制作:アンビカー・A・ヒンドゥージャー
音楽:サリーム・スライマーン
歌詞:イルファーン・スィッディーキー
振付:アシュリー・ロボ
衣装:アミーラー・パンヴァーニー
出演:アミターブ・バッチャン、ベン・キングズレー、Rマーダヴァン、サイラー・モーハン、ラーイマー・セーン、ドルヴ・ガネーシュ(新人)、シュラッダー・カプール(新人)、スィッダールト・ケール(新人)、ヴァイバヴ・タルワール(新人)、アジャイ・デーヴガン(特別出演)、ジャッキー・シュロフ(特別出演)、マヘーシュ・マーンジュレーカル(特別出演)、シャクティ・カプール(特別出演)、ティーヌー・アーナンド(特別出演)
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞。
南インドの片田舎で数学教師をしていたヴェーンカト・スブラマニヤム(アミターブ・バッチャン)は、ある日突然、世界的な数学者パーシー・トラクテンバーグ(ベン・キングズレー)に呼ばれ、英国ケンブリッジ大学に飛ぶ。そこでヴェーンカトは、かつて大学で教授をしていたときに発見した公式と、それにまつわる不幸な想い出をパーシーに語る。 ヴェーンカトは大学で変わり者とみなされており、定年間近に迫りながらも、研究プロジェクトを何度も拒否され、不遇の日々を送っていた。そんなある日、ティーン・パッティーのルールから「確率性と無作為性」の新理論を思い付く。それは数学の根本を変える大発見であり、また、それを応用すれば、ティーン・パッティーで誰が勝つか予想できるものだった。ヴェーンカトは若い講師シャンタヌ・ビシュワース(Rマーダヴァン)と、3人の学生、ビクラム(ドルヴ・ガネーシュ)、アパルナー(シュラッダー・カプール)、スィド(スィッダールト・ケール)を集めてティーン・パッティーをし、その理論を披露する。ちょうど借金取りに追われて経済的に困窮していたシャンタヌは、この理論を使って荒稼ぎすることを思い付き、アンダーワールドの賭博場で熟練の賭博師とギャンブルをし、理論の裏付けをすることを提案する。 ヴェーンカト教授、シャンタヌと3人の学生は各々変装して賭博場に乗り込み、お互い他人を装いながらも秘密の暗号で連絡を取り合い、賭博を行う。確かにヴェーンカト教授の理論は正しく、予想した通りの結果になった。しかし、ちょっとしたミスで賭博場の元締めダグドゥー(マヘーシュ・マーンジュレーカル)に怪しまれ、逃げ出すことになる。 ヴェーンカト教授はもうこのような危険なことをする気にはなれなかった。だが、謎の男から奇妙な電話が掛かって来るようになる。その男はヴェーンカト教授の行動を全て把握しており、賭博に参加した学生たちの命と引き替えに大金を要求して来た。ヴェーンカト教授は仕方なくシャンタヌや3人の学生たちを使って賭博を続けることになる。また、途中からアッバース(ヴァイバヴ・タルワール)という裕福な学生もチームに入る。アッバースはよりハイソで高額な賭けが行われる賭博場を紹介し、ヴェーンカト教授らの冒険は次第にエスカレートして行く。同時に、大金を手にし、アンダーワールドや上流社会の空気に慣れた学生たちは調子に乗った行動をするようになる。 相変わらずヴェーンカト教授のところには謎の男から脅しの電話が掛かって来ていた。あまりに内情に通じていたため、チームの中に裏切り者がいると考えたヴェーンカト教授はその男をあぶり出そうとするが、チーム全員が揃っている中でも脅しの電話が掛かって来たため、それは第三者であることが発覚する。ヴェーンカト教授とシャンタヌは、それが誰かを突き止めようとするが、どうしても正体を暴けなかった。 そんな中、ビクラムが突然自殺してしまう。遺書には、彼が、小悪党のパーンデーとつるんで脅しをかけていたことが告白されていた。実はパーンデーは元々シャンタヌの借金取りであった。そしてシャンタヌが借金の肩代わりにヴェーンカト教授を脅して賭博を実行させ、大金を身代金として納めさせることを計画したのだった。だが、後にパーンデーは金の魔力に取り憑かれていたビクラムを味方に付けて暴走し、今まで彼らを脅し続けて来たのだった。 学生が自殺したことで、学内でギャンブルが行われていることが発覚する。ヴェーンカト教授は自ら責任を取って辞職し、村へ帰った。以上が、ヴェーンカト教授がパーシーに語った話であった。 ヴェーンカト教授は、自ら発見した理論は全て破棄したつもりであった。ところがパーシー・トラクテンバーグは彼の論文を持っており、今回彼を呼んだのは、数学者にとって最高の賞であるアイザック・ニュートン賞を授与するためであった。ヴェーンカト教授の論文を発行したのはシャンタヌであった。それは罪滅ぼしのためであった。ヴェーンカト教授は受賞を拒否するものの、集まった人々は彼の功績を讃える。
かなり緻密に構成されたスリラー映画だったが、凝縮し過ぎていて展開が早すぎるようにも感じた。女性がプロデュースし、女性が監督しているにも関わらず、男性向け色気サービスが過ぎるようなシーンも散見され、不思議であった。内容が難しい上に英語の台詞が多く、完全に都市マルチプレックス向け映画であるため、広範なヒットは望めない。しかし、最初から最後まで緊迫感を保つことに成功しており、しかもインド映画らしく後味の悪くない作品に仕上げられていた。リーナー・ヤーダヴ監督は、「Om Shanti Om」(2007年)などのファラー・カーン監督と並んで、女性ながら、いわゆる「女性ならでは」という枕詞に縛られないような種類の正統派娯楽映画を作れる逸材かもしれない。ファラー・カーン監督とは方向性は全く逆だが。
リーナー・ヤーダヴ監督の前作「Shabd」は、脚本が米国の由緒ある映画芸術科学アカデミー図書館に収められるほどオリジナリティー性のある映画であったが、「Teen Patti」はハリウッド映画「ラスベガスをぶっつぶせ」(2008年)との類似性が指摘されている。もっとも、監督はそれを否定している。「ラスベガスをぶっつぶせ」はブラックジャックがテーマになっているが、「Teen Patti」ではインドのティーン・パッティーがテーマになっている。劇中ではヴェーンカト教授がモンティ・ホール問題に触れ、一見ランダムに見えるカードゲームの勝敗の数学的な予想が可能であることが説明されていたが、それも両作品で共通している。この問題自体は数学的になかなか興味深いもので、興味のある人は調べてみるといいだろう。
最近のヒンディー語映画では、「スパイダーマン」(2002年)中の名言「大いなる力には大いなる責任が伴う(With great power comes great responsibility)」が度々引用される。大きな力を持った者は、それをコントロールするだけの力も求められ、それを乱用しようとする自己の果てしない欲望との戦いに身を置かれる。「Teen Patti」は基本的に観客にスリルを与えることを至上目的としたスリラー映画であるが、そこでは必勝の公式を得たチームが各々の欲望に呑み込まれ、人生を破綻させて行く過程が描かれる。それによって、大きな力を手にした者は、大きな破滅に直面する可能性も高くなるということが示されていた。チームの中でもっとも冷静なのはヴェーンカト教授であったが、彼も終盤では学問的成功という野心のためにメンバーの間で何が起こっているのかに気付けず、学生たちの命を危険にさらしているという感覚が麻痺して来る。そして1人の学生が自殺して初めて、皆は目を覚ます。ヴェーンカト教授はその責任を感じて大学を去り、論文の発表も自ら放棄したのだった。
物語の緊迫感を保つのにもっとも貢献しているのは、ヴェーンカト教授らに脅しの電話を掛けて来る人物が終盤まで誰だか分からない点である。結局それはパーンデーだったことが明かされるのだが、劇中の伏線の張り方から何となくもう一段階奥に真の黒幕がいたのではないかと感じさせられた。それはズバリ、ヴェーンカト教授を馬鹿にしていた教授である。しかし、上映時間の不足から短縮編集され、今のような形になったのではと直感された。推理映画にありがちな、単に観客の注意を逸らすための仕掛けだったのかもしれないが、今の形は多少不自然な気もした。それだけでなく、つなぎのシーンの不足を感じる部分がいくつもあった。「Shabd」の出来から察するにリーナー・ヤーダヴ監督はちゃんとした脚本を用意できる人物だと思うので、これは脚本の欠陥ではなく、撮影後の編集段階でかなりハサミを入れざるをえなかった結果ではないかと予想された。
「Paa」(2009年)に続き、アミターブ・バッチャンの演技は素晴らしかった。普段挙動不審な教授が正体を隠し、ギャンブラーの演技をして賭博をするという二重演技も要求されていたが、難なくこなしていた。名優ベン・キングズレーとの共演シーンでも一歩も引き下がっていなかった。助演扱いになるが、Rマーダヴァンも好演していた。
一応ラーイマー・セーンがRマーダヴァン演じるシャンタヌの恋人役で出演していたが、限定的であった。むしろ新人4人の方が目立っていたし、ヒロインはその内の1人シュラッダー・カプールだと言っていいだろう。当初は真面目そうな女学生だったが、ギャンブルに参加し出してからは様々な役回りを演じることになり、存在感を示していた。絶世の美女という訳ではないが、自信溢れる演技で、潜在能力は高そうである。他の3人もそれぞれ個性があったが、特にスィドを演じたスィッダールト・ケールが光っていた。スクリーン上で映える顔をしており、今後主役も狙えるだろう。自殺した学生ビクラムを演じたドルヴ・ガネーシュはコメディー向け外見ではあるが、なかなか迫力ある演技をしていた。アッバースを演じたヴァイバヴ・タルワールが、役柄のせいだろうか、もっとも印象が薄かったが、彼も別に悪くはなかった。
秘密のティーン・パッティー実験チームを結成したヴェーンカト教授らは、アンダーワールドの賭博場から始めて、徐々に上のランクの賭博場に挑戦して行く。その過程で各賭博場のボスと対面する訳だが、それらのほとんどが名のある俳優になっていた。まずは曲者俳優マヘーシュ・マーンジュレーカルがホストを務め、その後出っ歯のティーヌー・アーナンド、最近専ら端役出演になってしまった元ヒーロー男優のジャッキー・シュロフ、毎度お騒がせのコメディアン兼悪役俳優シャクティ・カプール、最後にヒーロー男優アジャイ・デーヴガンが登場する。特にシャクティ・カプールとシュラッダー・カプールの親子共演は密かな見所となっている。
冒頭でボーマン・イーラーニーにスペシャルサンクスが贈られていた。どうもアミターブ・バッチャンとベン・キングズレーが英語でする会話にボーマン・イーラーニーのヒンディー語ナレーションがかぶせられているバージョンもあるらしい。だが、僕が見たのは英語オンリーであった。
音楽はサリーム・スライマーン。賭博場のシーンなど、派手な演出を入れやすい映画だったために挿入歌も少なくなかったイメージがあるのだが、印象に残ったのは極度にセクシーなダンスが見られる「Neeyat」のみであった。
「Teen Patti」は、アミターブ・バッチャンの圧倒的な演技、アカデミー賞受賞男優ベン・キングズレーとの共演、4人の新人俳優の同時デビュー、意外に豪華な特別出演俳優陣など、見所は多いし、スリラー映画としての完成度も低くない。何よりこれが女性監督の作品であることに驚くだろう。しかし、数学理論がモチーフになっていることもあり、かなり頭を使って鑑賞することを求められているような気にさせられるので、気楽に娯楽映画を楽しみたい人には向かない。