Amal (Canada)

4.0
Amal
「Amal」

 2007年9月13日にトロント国際映画祭でプレミア上映された「Amal」は、インド系カナダ人監督リッチー・メヘターの処女作である。地下鉄が建設されつつあるデリーで正直に生きるオートワーラーを主人公にしたリアリズム映画である。2004年に作られた短編映画「Amal: The Autorickshaw Wallah」を長編映画化した作品のようだ。インドでは劇場一般公開されていないはずである。

 キャストは、ルーピンダル・ナーグラー、ナスィールッディーン・シャー、スィーマー・ビシュワース、コーエル・プリー、ヴィーク・サハーイ、ローシャン・セート、スィッダーント・ベヘル、アマルディープ・ジャー、ラージェーシュ・タイラングなどである。

 アマル・クマール(ルーピンダル・ナーグラー)はデリーでオートリクシャーを運転する正直者のオートワーラーだった。母親のラーダー(アマルディープ・ジャー)と質素に暮らしていた。父親もオートワーラーだったが既に死去していた。

 ある日、アマルは、雑貨屋を経営するプージャー(コーエル・プリー)を乗せて走っていると、プリヤーという乞食の少女がプージャーのバッグを盗んで逃げた。アマルはプリヤーを追い掛けたが、プリヤーは事故に遭って頭を打つ。アマルとプージャーはプリヤーを病院に入院させる。責任を感じたアマルは病院に通い、プリヤーの容体を確認するようになる。

 またある日、アマルはGKジャヤラーム(ナスィールッディーン・シャー)という短気な客を乗せる。アマルはジャヤラームの毒のある言葉を受け流し、チップも受け取ろうとしなかった。その後、GKジャヤラームは急死するが、死ぬ直前に遺書を書いていた。実はジャヤラームはホテル王で、3億ルピーの財産を全てアマル・クマールに渡すとしていた。ジャヤラームの遺言は、弁護士のサプナー・アガルワール(スィーマー・ビシュワース)が執行することになる。サプナーは、ジャヤラームのビジネスパートナーだったスレーシュ(ローシャン・セート)にアマルを探させる。だが、ジャヤラームの息子ヴィヴェーク(ヴィーク・サハーイ)は金に困っており、何としてでも父親の遺産を手にしたかった。ヴィヴェークとスレーシュは共謀してアマルを期限までに連れて行かないことにする。期限が切れれば、ジャヤラームの財産は遺族に分配されることになっていた。

 一方、プリヤーの手術のために5万ルピーが必要になったアマルは、オートリクシャーを売って金を手にする。プリヤーの手術が行われるが、彼女は助からなかった。だが、プージャーは貯めておいた金でオートリクシャーの部品を買い、アマルに渡す。それは、かねてから修理中だったもう1台の古いオートリクシャーの修理に必要な部品だった。アマルは再びオートリクシャーを運転し出す。

 スレーシュはアマルを見つけ出すが、敢えてサプナーには連絡しなかった。しかし、スレーシュは考えを変え、アマルをサプナーのところへ連れて行くことにする。それを知ったヴィヴェークはスレーシュを殺す。期限の日、サプナーはスレーシュが現れないため、彼を探す。その中で、アマルは実は彼女の息子を送迎に来ていたオートワーラーだったことが分かる。サプナーはアマルを家に招き入れ、ジャヤラームがアマルに送った手紙を渡す。だが、アマルは字が読めなかった。プージャーとの約束の時間が来ていたため、アマルは書類にサインせずに立ち去ってしまう。

 一財産を築き上げた富豪ジャヤラームが、死ぬ直前に、道端で出会った正直者のオートワーラー、アマルに全財産を託すという物語であった。その額は3億ルピー。なぜ彼がそんなことを思い立ったかといえば、おそらく家族や友人の欺瞞にうんざりしていたからであろう。彼はデリーの街中を浮浪者のような格好で放浪し、出会う人々に無理難題を吹っかけたりすることで、正直者を探し出そうとしていた。その中で出会ったのがアマルだったというわけである。

 デリーのオートワーラーというと悪質なことで知られるが、アマルは清廉潔白にオートワーラーの仕事をする絶滅危惧種の人物だった。母親と貧しい生活をしていたが、入院した見ず知らずの少女を助けようともしており、彼の親切心は底なしだった。文盲だったため、ジャヤラームの遺した莫大な遺産の唯一の名義人になっていることにも気付いていなかった。おそらく彼にとっては、このまま受け取らない方が幸せだったのではないかと思う。プージャーとの淡い恋愛の成就が予感される最後に、彼の最大限の幸せが暗示されていた。

 ずる賢い富裕層と正直者の庶民層という二項対立は単純すぎるようにも思えたし、大富豪が突然赤の他人に遺産を託すという筋書きも現実的なものではなかった。だが、どんな境遇にあっても誠実さを失わずに生きていこうとする主人公は思わず応援したくなるし、大都会の中にも人間性は残っているという希望を抱かせてもらえる。正直者の周囲に協力的な人々が集まってくる様子は心強く感じる。

 デリーメトロの建設が街のあちこちで進むデリーを舞台にしていた。2000年代のデリーと考えていいだろう。メトロの路線が次々に開通していった時期で、その度に市内交通は大きく変化した。今まで市民の足として活躍してきたオートリクシャーが不要になるのではないかという恐れがオートワーラーの間にも広まっていた。アマルも初めてメトロに乗り、すぐにオートリクシャーの時代が終わることを実感した。

 映画では、デリーの路地裏がリアルに映し出されていた。お世辞にも美しいとはいえないのだが、そこでひたすら正直に生きるアマルの姿を追い掛けていると、デリーのその風景も何だか威厳のあるもののように見えてくる。エンドロールで映っていたのは、南デリーのクトゥブ・ミーナール近く、ラードー・サラーイの交差点にそびえ立つアズィーム・カーン廟である。夕日に映えて美しかった。アマルはこの周辺のチャッタルプル在住とされていた。

 ナスィールッディーン・シャー演じるジャヤラームが酒場で詩を詠唱するシーンがあるが、これはデリー在住の詩人ミール・タキー・ミールの有名なウルドゥー語詩である。

रही नगुफ़्ता मेरे दिल में दास्ताँ मेरी
न इस दायर में समझा कोई ज़ुबाँ मेरी
उसी से दूर रहा हूँ असली मुद्दा जो था
गई यह उम्र-ए-अज़ीज़ाँ रायगाँ मेरी
私の心にあった私の物語は語られずに終わった
この世界で誰も私の言葉を理解しなかった
本当の目的から遠くにいた
私の人生は無駄になってしまった

 ホテル王として財産を築き上げたジャヤラームが、気付けば家族や友人に誰も信頼できる者がいなくなってしまっていた寂しさを託して歌ったと解釈していいだろう。映画のメインテーマと密接に結び付いた詩である。

 「Amal」は、メトロの建設が進む2000年代のデリーを舞台にした、正直者のオートワーラーが主人公のリアリズム映画である。オートワーラーの懐に大金が舞い込みそうになるが、それはギリギリのところで実現しない。だが、それはそれで良かったと思わせられる不思議な作品であった。