The Darjeeling Limited (USA)

2.5
The Darjeeling Limited
「The Darjeeling Limited」

 「The Darjeeling Limited」はインドで撮影された米国映画で、2007年9月3日にヴェネツィア国際映画祭でプレミア上映された。インドでは一般公開されていないはずである。日本では「ダージリン急行」の邦題と共に2008年3月15日に公開された。

 個人的には少しだけ思い入れのある作品でもある。この映画がインドで撮影されているとき、日本人キャストの募集があったため、応募した覚えがある。ただ、要件は「日本人老夫婦」だったはずで、当時の自分は全くの若者だったため、かすりもしなかったと思われる。実際に映画を観てみると日本人役は登場しないのだが、おそらく列車の食堂で主人公3人組の隣席になったドイツ人老婦人2人組に当たる役だったと思われる。

 監督はウェス・アンダーソン。キャストは、オーウェン・ウィルソン、エイドリアン・ブロディ、ジェイソン・シュワルツマン、アンジェリカ・ヒューストン、アマラー・カラン、ワーリス・アフルワーリヤー、イルファーン・カーン、ナタリー・ポートマンなどである。国際的にはナタリー・ポートマンの出演が目を引くが、この映画の前日譚となる同監督の短編映画「ホテル・シュヴァリエ」(2007年)での出演が主で、この「The Darjeeling Limited」では一瞬しか登場しない。インド映画業界の観点から見れば、イルファーン・カーンの出演が特筆すべきである。しかしながら、やはりチョイ役程度である。

 父親の死をきっかけに絶交状態にあったホイットマン3兄弟――長男のフランシス(オーウェン・ウィルソン)、次男のピーター(エイドリアン・ブロディ)、三男のジャック(ジェイソン・シュワルツマン)――は、インドで列車「ダージリン・リミテッド」に一緒に乗り、心の旅に出る。フランシスはバイク事故に遭って大怪我をしており、ピーターは妻のアリスが妊娠したことで、彼女と離婚するべきか悩んでいた。ジャックについても、恋人(ナタリー・ポートマン)のことが頭から離れなかった。

 三人は、列車の中で毒蛇を逃がして大騒動を起こしたり、ジャックが乗務員のリタ(アマラー・カラン)と身体の関係になったり、喧嘩を起こしてペッパースプレーを撒き散らしたりと、珍道中を繰り広げる。列車も道を間違えて迷子になるというトラブル続きだった。

 あまりにトラブルを起こしすぎたために三人は列車から降ろされ、その後は徒歩で砂漠を歩くことになる。その途中、川で溺れかけていた少年たちを助ける。残念ながら一人の少年は命を落としてしまったが、村に招待され、そこで葬儀に出席する。三人は父親の葬儀のことを思い出す。

 一旦は空港まで行き、インドを去ろうとした三人だったが、旅の目的は、インドで尼僧になった母親に会うことだった。母親は父親の葬儀にも出席しなかった。フランシスは母親に連絡を取ったが、また来年の春に来るようにと断られる。飛行機に乗り込む直前に三人は航空券を破り捨てて引き返し、母親のいる教会へ向かう。そこで母親と再会するが、翌朝彼女は姿をくらます。

 三人は、今まで大事に抱えてきた荷物を捨て、列車「ベンガル・ランサーズ」に乗り込む。

 インドを舞台にした映画ではあるが、インドの深みに入りこもうとするような映画ではなかった。あくまでインドはオブジェや飾りに過ぎず、メインはホイットマン3兄弟の人間関係にある。別に舞台はインドでなくても成り立った映画であろう。西洋人がインドに対して抱くステレオタイプのインドのイメージがほぼそのまま投影されており、オリエンタリズムの誹りを避けることはできない。インド人やインドを知る者の目からしたら不可思議なことが散見され、インドにまつわる映画としては積極的な評価を下しにくい作品である。

 観ていて一番残念に感じたのは、主人公フランシス、ピーター、ジャックの三人がインドを理解しようとする場面がほとんどなかったことだ。彼らは単なる旅行者であり、しかもインドを観光したいという意図さえも持ち合わせておらず、インドの宗教文化などを理解しようという気もなかった。父親の死、兄弟間の不仲、そしてパートナーとの問題など、彼らが話し合うのはごく身近なことばかりで、インドを旅しているにもかかわらず、彼らの会話にインドが話題に上ることはほとんどなかった。

 その一方で、自分たちの旅を「スピリチュアルな旅」と名付け、孔雀の羽を使ったおかしな儀式を執り行ってみたり、クリシュナ寺院やグルドワーラーを気もそぞろに参拝してみたりと、表層的なインドをなぞるだけに終始していた。これは米国人が脚本を書き監督をした映画の限界といえるだろう。

 母親がインドで尼僧になっているという設定には興味を引かれたが、蓋を開けてみたらキリスト教の修道女であった。わざわざ米国人がインドに来てキリスト教の修道女をする意味がよく分からない。しかも、なぜかチベット人を従えていた。

 映画の題名にもなっている「ダージリン」とは、有名なダージリンティーの産地である、西ベンガル州のダージリンのことだ。だが、映画の中にはダージリンは全く出て来ない。主人公が乗り込んだ列車はラージャスターン州から出ることはない。ジョードプルやウダイプル辺りをグルグルしているだけである。確かにラージャスターン州はインドでもっともエキゾチックな場所だが、もっと多様なインドの姿を見せて欲しかった。

 インド人からもっとも批判が出そうなのは、ジャックがインド人女性乗務員とトイレでセックスをするシーンだ。まず、インド人は外国人男性がインド人女性に手を出すことを嫌うはずであるし、このようなインド人女性の描写をされるのはインドにとって不名誉なことのはずだ。エンドクレジットを見ると、鉄道省などの後援を得て撮影されているが、このシーンは物議を醸さなかったのだろうか。「The Darjeeling Limited」がインドで一般公開されなかった理由はこの辺りにありそうだ。

 米国映画ではあるが、何となくヨーロッパ映画のようなシャレた雰囲気のある映画で、音楽の使い方がとてもうまかった。前日譚の「ホテル・シュヴァリエ」と併せてこの映画を観ると、ウェス・アンダーソン監督の持ち味が分かる。

 「The Darjeeling Limited」は、米国人映画監督がインドを舞台にして撮ったロードムービー的な映画である。かなりステレオタイプのインドが描かれており、しかもインドはこの映画の中心テーマではないが、ヨーロッパ映画的な雰囲気のある映画で、その部分だけを切り出して観れば一定の評価ができる作品であろう。だが、インドの観点からこの映画を観るといくつか問題を孕んでおり、積極的な評価をしにくい。物議を醸す映画である。