今日は、2006年11月10日に公開されたヒンディー語映画「Vivah」を観に行った。普通の恋愛映画っぽかったので後回しにしていたのだが、割と評判がいいので、観に行くことに決めたのだった。
監督:スーラジ・バルジャーティヤー
制作:ラージシュリー・プロダクション
音楽:ラヴィンドラ・ジャイン
歌詞:ラヴィンドラ・ジャイン
振付:ジャイ・ボーラーデー
出演:シャーヒド・カプール、アムリター・ラーオ、アヌパム・ケール、アーローク・ナート、スィーマー・ビシュワース、サミール・ソーニー、ラター・サバルワール、マノージ・ジョーシー、アムリター・プラカーシュなど
備考:PVRアヌパム4で鑑賞。
マドゥプルに住む実直な果物商クリシュナカーント(アーローク・ナート)の家には2人の娘がいた。長女の名はプーナム(アムリター・ラーオ)、次女の名はラジニー(アムリター・プラカーシュ)。だが、実はプーナムは亡き兄夫婦の遺児であった。クリシュナカーントはプーナムを実の娘以上にかわいがっていたが、妻のラーマー(スィーマー・ビシュワース)は、ラジニーよりも美しく才能に恵まれたプーナムの存在を疎ましく思っていた。そろそろプーナムは結婚適齢期となっていた。 クリシュナカーントの親友バガト(マノージ・ジョーシー)は、プーナムの夫として、デリーを拠点とする実業家ハリシュチャンドラ(アヌパム・ケール)の次男プレーム(シャーヒド・カプール)を推す。バガトはプーナムの写真をデリーに持って帰り、ハリシュチャンドラに縁談の話をする。ハリシュチャンドラもその縁談を気に入り、一家揃ってマドゥプルを訪れる。 プレームとプーナムは、一目見てお互い恋に落ちてしまった。縁談は成立し、6ヵ月後に結婚式が行われることになった。ハリシュチャンドラ家はすぐにデリーに帰ってしまったが、1ヶ月後にクリシュナカーントはハリシュチャンドラ家を母方の実家ソームサローヴァルに招待し、そこでプレームとプーナムはさらにお互いに惹かれ合う。そして二人は、結婚まで一日一日を期待と幸福を噛み締めながら過ごす。 全てはうまく行っているかに見えたが、一人この結婚を面白く思っていなかったのがクリシュナカーントの妻ラーマーであった。彼女は結婚式の準備を進んでしようとしなかった。だが、結婚式の前夜、クリシュナカーントの家が火事になってしまう。家の中にはラジニーが取り残されてしまった。プーナムはラジニーを救い出すために燃え盛る家の中に飛び込む。ラジニーは一命を取り留めるが、プーナムは大火傷を負ってしまう。 病院に搬送されたプーナム。だが、体表の40%が焼けてしまっており、手術も非常に困難なものであった。知らせを聞いたプレームはすぐにマドゥプルに駆けつけ、病室で彼女の額にスィンドゥール(結婚の印)を付ける。ハリシュチャンドラはデリーから一流の火傷専門医師を連れて来て、プーナムの手術をさせる。手術は成功するが、プーナムは1ヶ月半入院することになった。プレームは毎日プーナムに付き添い、彼女を看病した。 プーナムの退院の日、同時に結婚式が行われることになった。プレームとプーナムは婚姻の儀式を行う。また、ラーマーもやっとプーナムに心を開き、心から2人の結婚を祝う。こうしてプレームとプーナムは結ばれたのであった。
終盤になるまで全く山場のない映画。「Hum Aapke Hain Koun..!」(1994年)のように、インドの典型的な結婚式のプロセスを追っていく幸せ度満点の映画であった。結婚式前夜にようやくツイストが訪れるが、それもかなり取ってつけたような盛り上げ方であった。だが、インドのフィルムメーカーたちが長年をかけて培ってきた方程式はある程度効力を発揮しており、笑いあり涙ありの佳作に仕上がっていたと思う。
この映画の最大のテーマは、「娘の結婚」であろう。見かけ上の主人公は新郎新婦であるプーナムとプレームだったが、映画全体の視点は一貫してプーナムの父親クリシュナカーントのものであり、娘を嫁に出す父親の気持ちがこの映画の真の軸であった。インドでは、女の子よりも男の子を尊重する風習が今でも根強いが、クリシュナカーントは、「娘というのは何と素晴らしいものだろう。女の子を重荷と考える人がいるが、それはもってのほかだ」と、インドの社会に対してメッセージを送っていた。
また、インドにはアグニパリークシャー(火の試練)という言葉がある。これは「ラーマーヤナ」において、羅刹王ラーヴァンにさらわれたスィーター姫が、ラーム王子に救出されたとき、自分の身の潔白を示すために火の中に飛び込むというものだ。火の神はスィーター姫の潔白を証明し、彼女は火の中に入っても火傷を負わなかった。こうして、晴れてラーム王子はスィーター姫を連れて帰ることになる。このエピソードは、時々インドの男尊女卑の風習を表すものだとして批判の対象にもなったりする。だが、「Vivah」では逆に、火事によって大火傷を負ってしまったプーナムを、プレームが受け容れるかどうか、つまり、アグニパリークシャーが夫にとっての試練となっていて興味深かった。プレームは、火傷によって変わり果ててしまったプーナムを喜んで妻にし、真実の愛を示す。
とは言え、やはりインド映画なだけあり、体表の40%を火傷してしまったはずのプーナムも、顔だけは元のままであった。そして、火傷で変わり果ててしまったという身体の方も、遂にはスクリーン上に全く現れず、観客の感情移入を促すには力不足であった。
また、インドではこういう家族の絆をテーマにした映画では、女性が悪役として描かれることが多い。この伝統は、「ラーマーヤナ」においてカイケーイーの嫉妬と野望がラーム王子追放の決定的要因になったことまで遡れるだろう。「Vivah」の中でもクリシュナカーントの妻ラーマーが映画中唯一のネガティヴな役であった。最後、家が火事になってしまったのはラーマーのせいではないものの、間接的に彼女の行為が関係していた。彼女が閉めたカーテンに、窓から突っ込んだロケット花火の火が引火し、大火事にまで発展してしまうのである。そして、ラーマーの改心が結局映画を締めくくっていた。
主演はシャーヒド・カプールとアムリター・ラーオ。シャーヒド・カプールはいつも通りのジャニーズ系演技。アムリター・ラーオは、「Main Hoon Na」(2004年)におけるお転婆娘のイメージが強いのだが、いつの間にか清純派女優として売り出すようになったようだ。「Vivah」の彼女は完全に一昔前の正統派女優のノリであった。
アヌパム・ケール、アーローク・ナート、スィーマー・ビシュワースと言った脇を固めるベテラン俳優陣はさすが。特にアーロークナートが熱演していた。
ロケ地はデリー、ローナーヴァラー、ナイニータールなど。クリシュナカーントの母方の実家ソームサローヴァルは架空の地名で、実際は完全にナイニータールであった。なぜナイニータールの名を出さなかったのかは不明だが、おそらくデリー以外の地名を架空のものとして、実際の地理を感じさせないようにするためであろう。
クリシュナカーントの家では「純ヒンディー語」が話されているという設定であり、クリシュナカーントやプーナムはサンスクリット語混じりのヒンディー語を話していた。だが、半分ジョークのネタになっていたのが悲しい。
「Vivah」は、古風なスタイルの映画ではあるが、完成された方程式に則った完成された映画である。観て損はない。