今日は、2006年8月25日公開の新作ヒンディー語映画「Aap Ki Khatir」を観にPVRアヌパム4へ行った。「Aap Ki Khatir」は「君のために」という意味。監督は「Bewafaa」(2005年)のダルメーシュ・ダルシャン、音楽はヒメーシュ・レーシャミヤー。キャストは、アクシャイ・カンナー、プリヤンカー・チョープラー、ディノ・モレア、スニール・シェッティー、アミーシャー・パテール、アヌパム・ケール、リレット・ドゥベーなど。
ロンドン生まれのインド人アヌ(プリヤンカー・チョープラー)は、恋人のダニー(ディノ・モレア)と別れた後、ムンバイーに住んでいた。だが、アヌはダニーのことを忘れることができなかった。そんなとき、アヌの義理の姉妹であるシラーニー(アミーシャー・パテール)の結婚式が行われることになった。結婚相手のクナール(スニール・シェッティー)はダニーの親友であり、結婚式に現れる可能性大であった。アヌはダニーに会うためにロンドンへ帰る。 アヌはひとつの計略を考えていた。アヌはダニーを嫉妬させるため、偽の恋人と同行することにした。偽の恋人のために白羽の矢を当てられたのが、アマン(アクシャイ・カンナー)であった。アマンはただ報酬のために見ず知らずのアヌの恋人になりすますことを承諾する。 アヌは結婚式の数日前にアマンと共にロンドンに帰り、父アルジュン・カンナー(アヌパム・ケール)、母ベティー(リレット・ドゥベー)、シラーニーなどにアマンを紹介する。その場にはダニーも現れる。アヌは早速アマンを使ってダニーを嫉妬させようとする。 一方、アマンはアヌの恋人になりすましている内に、本当に恋をしてしまう。だが、アヌはダニー一筋であった。だが、結婚式の前日に衝撃の事実が発覚する。なんとダニーはアヌと別れた後にシラーニーと付き合っていたのだった。このことはアヌもクナールも知らなかった。それを初めて知ったアヌは大きなショックを受ける。アマンはアヌに思いを伝えるが、アヌは拒絶する。アマンもショックを受け、結婚式を待たずにアヌの家を去って行く。だが、アヌの心の中にもいつの間にかアマンがいた。また、シラーニーは結婚式当日にクナールにダニーとの過去の関係を打ち明ける。怒ったクナールはダニーを追いかけて結婚式場から姿を消してしまう。 結婚式場を出たクナールとアマンは偶然外で出会い、お互いに説得し合い、励まし合う。意を決した二人は再び結婚式場に戻る。アヌとシラーニーも二人の帰りを待ちわびていた。こうしてクナールとシラーニーは改めて結ばれることになり、アヌとアマンの結婚も同時に決定される。
軽快なノリのラブコメ映画。ストーリーには何の深みもないが、普通に楽しめるインド映画だった。惜しむらくは、クライマックスにおいて登場人物の行動に説得力がなかったことだ。クナールは、シラーニーがかつて親友のダニーと付き合っていたことを知って怒るが、そんなことを気にする方がおかしい。また、アマンがアヌーに恋してしまうところまでは分かったが、アヌーがアマンを真の恋人として受け入れる流れにはもうワンクッション欲しかった。
この映画で最も興味深かったのは、パンジャービーとグジャラーティーのせめぎ合いであった。シラーニーの家族はパンジャービーで、クナールの家族はグジャラーティーであり、それぞれの家族がお互いになめられまいと牽制し合う。「Kal Ho Naa Ho」(2003年)でもパンジャービーとグジャラーティーの対立めいたものが描かれていたのは記憶に新しい。だが、特にパンジャーブの人々とグジャラートの人々の間で歴史的または民族的な対立があるわけではないようだ。単にパンジャービーとグジャラーティーは文化的に相容れない部分、競合する部分がいくつかある上に(例えば一般的にパンジャービーは肉食主義者が多く、グジャラーティーは菜食主義者が多い、パンジャーブではバングラーが有名で、グジャラートではガルバー&ダンディヤーが有名など)、お互い商売上手で何かと張り合う場面が多いので、自然と両者の間で競争意識が芽生えるようだ。
僕は「Taal」(1999年)で初めてアクシャイ・カンナーを見て以来、彼に対してかなり低い評価を持っていたのだが、ここに来て彼はかなりいい俳優に成長しつつあるように思える。今年公開された「Shaadi Se Pehle」(2006年)でもいい演技をしていたが、この「Aap Ki Khatir」は特にアクシャイ・カンナーのための映画であり、ベストの演技をしていたと言っても過言ではない。少し斜に構えた性格の役が最も才能を発揮できそうだ。
「Krrish」(2006年)でヒロインを演じたプリヤンカー・チョープラーは、もはやヒンディー語映画界のトップ女優だ。「Aap Ki Khatir」では演技云々よりもその湧き出る存在感の方が目立ち、貫禄を見せていた。今年のディーワーリーに公開が予定されている「Don」でもヒロインを演じており、これからますます伸びていくだろう。
一方、アミーシャー・パテールに関しては僕は常に辛口である。この映画での彼女も何だか花がなく、褒める材料がなかった。デビュー当時のオーラが完全に消えてしまったように思え、残念でたまらない。ディノ・モレアは、情けない末路のプレイボーイを演じ、はまり役であったが、彼もいまいち壁を越えられない男優である。スニール・シェッティーはなぜキャスティングされたのか意味不明。スニール・シェッティーとアミーシャー・パテールのカップルは完全にミスマッチである。アヌパム・ケールはどちらかというとコミックロールであったが、シリアスに決めるときはバチッとシリアスに決め、さすがであった。
音楽は毎度お馴染みヒメーシュ・レーシャミヤー。彼の歌声やうなり声も存分に楽しむことができる。「Aap Ki Khatir」のサントラCDはけっこう売れているようだが、僕は特に買う価値のあるものだとは思えない。
映画の中では、「Aap Ki Khatir(君のために)」というセリフが何度も出て来る。映画のオチは、そのフレーズをもじった「Baap Ki Khatir(父のために)」であった。この他にもダイアログに工夫が散見され、映画の隠し味となっていた。
言語は基本的にヒンディー語だが、登場人物のほとんどはNRI(在外インド人)という設定なので、英語の使用頻度は高めである。パンジャーブ人とグジャラート人の結婚ということで、パンジャービー語とグジャラーティー語も時々出て来た。
「Aap Ki Khatir」は、悪くはない映画だが、観ても特に何も残らない映画である。タイムパスのための映画だと言える。