今日はPVRアヌパム4で、本日(2006年5月12日)公開の新作ヒンディー語映画「Tom Dick and Harry」を観た。題名は主人公3人の名前。この3つは英語圏で非常に一般的な名前であり、英語の慣用句では「一般の人」を表す。だが、主人公三人はちょっと普通ではない。三人とも身体障害者なのだ。トムはベヘラー(耳が聞こえない人)、ディックはアンダー(目が見えない人)、ハリーはグーンガー(しゃべれない人)である。詳しくは以下のあらすじと解説を参照のこと。監督はディーパク・ティジョーリー、音楽はヒメーシュ・レーシャミヤー。キャストは、ディノ・モレア、ジミー・シェールギル、アヌジ・ソーニー、セリナ・ジェートリー、キム・シャルマー、グルシャン・グローヴァー、シャクティ・カプールなど。
ベヘラーのトム(ディノ・モレア)、アンダーのディック(アヌジ・ソーニー)、グンガーのハリー(ジミー・シェールギル)は、スィク教徒ハッピー・スィンの家に家賃を払って住んでいた。彼らの家の隣には、セリナ(セリナ・ジェートリー)というかわいい女の子が住んでおり、三人とも彼女にゾッコンだった。また、魚売りの女の子ビジュリー(キム・シャルマー)はトムに猛烈アタックを繰り返していた。 その頃、街では女の子の誘拐事件が多発していた。それを行っていたのは、世界最悪の悪人を目指すスプラーノ(グルシャン・グローヴァー)であった。スプラーノはかわいい女の子を海外へ売り飛ばすビジネスをしており、次のターゲットをセリナに定める。部下たちはセリナ誘拐を試みるが、トム、ディック、ハリーの妨害にあって失敗する。彼らに顔を見られてしまったため、スプラーノは今度は彼ら3人を殺害するよう命令を下す。ところがそれもあえなく失敗に終わる。 セリナに恋するトム、ディック、ハリーの三人は、とうとう彼女に同時に告白する。だが、セリナは拒絶する。彼女に好きな人がいると思い込んだ三人は、今度はセリナとその彼をくっ付ける作戦を練る。セリナの家で「彼」の家の住所を見つけ出した三人は、セリナを睡眠薬で眠らせて、「彼」の家へ連れて行く。 ところが、実はセリナは警察(シャクティ・カプール)が誘拐事件の首謀者を見つけ出すために送り込んだ覆面警官であった。そしてセリナの家で見つけた「彼」の住所は、実はスプラーノのアジトの住所だった。三人はスプラーノにセリナを引き渡して帰って来る。ところが、家に帰ってTVを見て、三人はさっき会った男がマフィアのドンであることを知る。 トム、ディック、ハリーやその仲間は、スプラーノのアジトで催されていた宴に変装して紛れ込み、セリナや他の誘拐された女の子たちを助けようとする。ところがスプラーノにそれがばれてしまい、捕まってしまう。そこへちょうど警察が駆けつけ、大乱闘の末、スプラーノとその部下たちは逮捕される。
子供向けTV番組みたいな子供騙しの低レベルなギャグ満載のコメディー映画。グンガー、ベヘラー、アンダーの身体障害者コンビが主人公ということで、先日公開されたばかりのアンダーとベヘラーが主人公の「Pyare Mohan」(2006年)と酷似していた。「Pyare Mohan」も大した映画ではなかったが、「Tom Dick and Harry」もそれ以上にしょうもない映画であった。また、身体障害者をコメディーの主人公にすることに、僕は抵抗を感じずにはいられない。
日光東照宮で有名な「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿は、インドでは「ガーンディー・ジーの三猿」と言われている(その起源や関連は不明)。その三猿と、身体障害者3人を対比させたスタートの切り方はコメディーとしてはまあ合格と言えるだろう。だが、目の見えないディックがコンドームを風船と間違えて子供たちに配ってしまったり、セリナのお父さんの用事をディックが助けているところを女中が2人が同性愛行為をしていると勘違いしたりという下ネタから、スプラーノとその部下たちのコミカルな悪役振りまで、非常にベタな笑いが続いた。また、ベヘラーのトムにグンガーのハリーが身振り手振りで説明するシーンが何度もくどくどしく出てきてじれったかった。全く笑えないことはないが、コメディー映画として失敗していることは明らかで、それが必然的に映画としての失敗につながってしまっている。
いくつか過去の映画のパロディーも出て来た。インド映画をよく見ている人にとって、パロディーを見るとニンマリすることは避けられないのだが、しかしそのパロディーの仕方は何となく外しており、あまり素直にニンマリすることができない。例えば、冒頭では「Sholay」(1975年)の有名な「Tera Kya Hoga Kaliya?」のシーンが出て来るが、特に必要なシーンではなかった。盲目つながりで、「Black」(2005年)が引き合いに出されるが、やはり蛇足であった。クライマックスのシーンで、トム、ディック、ハリーがヒンディー語映画界の有名なキャラクターに扮してスプラーノのアジトに潜入するが、笑いの壺には全く届かない。ちなみにトムは「Amar Akbar Anthony」(1977年)でアミターブ・バッチャンが演じたアンソニー、ディックは「Josh」(2000年)でシャールク・カーンが演じたマックス(多分)、ハリーは「Mangal Pandey: The Rising」(2005年)でアーミル・カーンが演じたマンガル・パーンデーイに変装していた。
唯一パロディーで面白いのは、スプラーノの部下の3人である。スプラーノは、ヒンディー語映画の有名な3人の悪役を贅沢にも部下にしている。「Sholay」でアムジャド・カーンが演じたガッバル・スィン、「Mr. India」(1987年)でアムリーシュ・プリーが演じたモガンボ、「Shaan」(1980年)でクルブーシャン・カルバンダーが演じたシャーカールである。スプラーノは、これらの悪役が犯した過ちを犯さないように気を付けながら世界一の悪役を目指すという、ユニークな悪役キャラである。グルシャン・グローヴァーは昔からおかしな悪役を演じて来ているが、その集大成がスプラーノだと言える。ちなみに、スプラーノのキャラクターは「オースティン・パワーズ」(1997年)のドクター・イーヴルがモデルになっていると思われる。
この映画の唯一の救いは音楽監督ヒメーシュ・レーシャミヤーだ。特に「Jhoom Jhoom」は大ヒット中である。ヒメーシュ・レーシャミヤーは、自信を持って「インドの小室哲哉」と呼ぶことができる。彼の音楽はいつも同じようなメロディーで、しかも同じ歌詞が何度も繰り返されるのだが、不思議な中毒性があり、彼が作曲し彼が歌う曲はほとんどヒットを飛ばしている。かつてARレヘマーンが「インドの小室哲哉」と紹介されたことがあったが、レヘマーンよりもヒメーシュの方が小室哲哉と比較するにふさわしいだろう。ヒメーシュは、「Tom Dick and Harry」の挿入歌を作曲するに留まらず、なんと自身も映画中に登場して歌を歌っている(帽子をかぶったつぶら目で髭の濃い男)。しかも映画中挿入される「Jhoom Jhoom」と映画終了後のオマケナンバー「Tere Sang Ishq」の2曲に!一応、「Jhoom Jhoom」の方はハリーが見た夢ということになっており、翌朝ハリーは「夢の中にヒメーシュ・レーシャミヤーが現れた」と報告していた。それにしても、音楽監督が映画に登場するなんて、前代未聞のことなのではなかろうか?
主役と言えるのは5人。ディノ・モレア、ジミー・シェールギル、アヌジ・ソーニー、セリナ・ジェートリー、キム・シャルマーである。だが、インド映画をよっぽど見込んでいる人でない限り、これら5人のほとんどは全く見知らぬ俳優ということになるだろう。知らなくても不思議ではない、はっきり言って今のところこれらの俳優は二流止まりだからだ。意外にも、最も名を知られていないであろうアヌジ・ソーニーの演技が光っていた。また、僕は今までキム・シャルマーを認めていなかったのだが、彼女が今回演じた「マチュリーワーリー(魚売り)」のビジュリーは恐ろしいほどはまっていてよかった。バストやヒップを揺らすと「プヨヨ~ン」という効果音がしたりして、やはりものすごくベタなギャグのネタになっていたが、大衆には受けるだろう。ヒンディー語映画には時々、ビジュリーのようなセクシーな格好をしたマチュリーワーリーが登場する。ムンバイーには家々を訪問して魚を売り歩くマチュリーワーリーが本当にいるのだろうか、デリー住民の僕には興味津々である。一方、ディノ・モレア、ジミー・シェールギルや、メインヒロイン扱いのセリナ・ジェートリーは風格を欠いた。
「Tom Dick and Harry」は、コテコテのギャグが満載のコメディー映画である。ヒンディー語が分からない人でもおそらく簡単に理解し、笑うことができるだろう。だが、それ以上の深みは期待してはならない。他に特筆すべきは、ヒメーシュ・レーシャミヤーが登場するダンスシーンとキム・シャルマーの「プヨヨ~ン」ぐらいか。