Jawani Diwani

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Jawani Diwani
「Jawani Diwani」

 今日はPVRナーラーイナーで、2006年1月6日公開の新作ヒンディー語映画「Jawani Diwani」を観た。題名は「狂った青春」みたいな意味。監督はマニーシュ・シャルマー(新人)、音楽はサージド・ワージド。キャストは、イムラーン・ハーシュミー、セリナ・ジェートリー、リシター・バット、マヘーシュ・マーンジュレーカル、ティックー・タルサニヤーなど。

 ムンバイーに住むマン・カプール(イムラーン・ハーシュミー)は歌手を目指す若者で、音楽会社を経営するウメーシュ・ジューマーニー(ティックー・タルサニヤー)の娘ラーダー(リシター・バット)と結婚して手っ取り早く夢を実現させようとした。マンはすぐにラーダーの心をものにし、結婚もとんとん拍子で決まり、CDデビューも決まった。結婚までの期間、マンは仲間たちとゴアへ行くことにした。

 ゴアでマンはロマ(セリナ・ジェートリー)と出会い、一夜を共にする。ところがロマはマフィアのドン、チャップー・バーイー(マヘーシュ・マーンジュレーカル)が言い寄っていた女だった。マンは朝目を覚ますと、ベッドのすぐそばにチャップーが座っているのに気付き慌てる。だが、チャップーは寛大にもマンとロマをそのまま結婚させようとする。マンはその結婚に全然乗り気ではなかったが、チャップーに脅される形で無理矢理結婚を受け容れてしまう。チャップーは新婚の二人のために家までプレゼントする。

 結婚後、ロマはチャップーを愛するようになるが、マンはロマを受け容れようとしなかった。とうとうロマから離婚を切り出し、二人は離婚する。マンはすぐさまムンバイーに帰る。だが、マンが別の女性と結婚した知らせはムンバイーにまで届いていた。マンは必死でラーダーに言い訳をし、無理矢理結婚させられたということを説明する。ラーダーもマンを信じ、2人は予定通り結婚することになった。

 マンのデビューの時も近づいていた。レコーディングも終了し、あとはミュージックビデオの撮影を行うだけだった。ところが、マンの相手役のダンサーとして偶然にもロマが選ばれる。マンとロマはモーリシャスでヴィデオを撮影する。その中でマンはロマを本当に恋するようになる。

 ムンバイーに戻ったマンだったが、ラーダーとこのまま結婚することを決める。ロマへの恋は諦めるつもりだった。だが、偶然マンの真意を聞いてしまったラーダーはロマと連絡を取り、マンとロマを結婚させる。実はマンのミュージックビデオのダンサーにロマを推挙したのはチャップーであった。

 最近ヒンディー語映画は不毛だ!昨年は8月くらいまでは面白い映画が目白押しだったのだが、その後駄作が連発するようになり、11月~12月はひどい有様だった。「Jawani Diwani」は今年初めて観たヒンディー語映画ということになったのだが、駄作中の駄作でガッカリした。一応映画評は書いておくが、批評するのにも値しない作品であることを前置きしておく。

 ヒンディー語映画は、いかに勧善懲悪とかワンパターンとか面白ければ何でもありとか急に歌って踊り出すとか諸々の批判を受けようとも、観客を主人公に感情移入させてなんぼの商売である。いかに観客の感情をコントロールすることができるか、それが最も重要である。それは手品師とよく似ている。観衆は手品に種があることを知っているが、手品師はそれでも観衆の目を欺いて手品をしなければならない。インド映画の制作者も、何となく展開や結末を予想できるストーリーであっても、観客を映画の主人公に感情移入させて感情をコントロールしなければならない。ではどうしたら観客は主人公に感情移入してくれるのか?それはいろいろな方法があるが、少なくとも主人公は誠実でなければならない。いかに聖人であろうと、いかに悪の道にいようと、いかに幸せであろうと、いかに不幸な目に遭おうとも、主人公が何らかのポリシーを持って生きている姿を描き出さなければならない。そうでなければ観客の同情を集めることはできないだろう。「Jawani Diwani」の脚本には、観客に主人公マン・カプールへの感情移入を促す要素が決定的に不足していた。歌手になるために音楽会社の社長の娘と婚約し、結婚前に別の女性と結婚し、そしてすぐに離婚し、今度はやっぱりその離婚した女性と恋に落ちてよりを戻す。こんな節操のない主人公に誰が感情移入できようか?ではヒロインはどうか?この作品にはヒロインが2人出て来る。ラーダーとロマである。しかし、二人の行動に一貫性はなく、全く人間味がない。マンと一夜の関係を結んでそのまま結婚することになってしまったロマが、マンのことをまるで百年来の恋人のように愛するのは全くおかしい。マンとロマを結婚させるラーダーの行動には納得がいかない。では悪役はどうか?チャップー・バーイーというマフィアが出て来るが、このキャラクターも全く説得力がない。マフィアのボスのくせにどうして自分の愛人に手を出した男をその女と結婚させて、後々の面倒まで親切に見るのか?総じて、何を言いたい映画なのか理解不能であった。

 主演のイムラーン・ハーシュミーは、「Murder」(2004年)でマッリカー・シェーラーワトとキスをして以来、出演する多くの映画で女優とキスシーンを演じて来ていることで有名である。「Tumsa Nahin Dekha」(2004年)ではディーヤー・ミルザーと、「Zeher」(2005年)ではウディター・ゴースワーミーと、「Aashiq Banaya Aapne」(2005年)ではタヌシュリー・ダッターと、そしてこの「Jawani Diwani」ではセリナ・ジェートリーとキスをした。イムラーン・ハーシュミーは冒頭のミュージカル「Jawani Diwani」で、「Serial Kisser(連続キス魔)」とプリントされたTシャツを着ていて笑えた。このイムラーン・ハーシュミー、全くハンサムではないのだが、なぜかインド人の間で人気のある男優である。

 笑える悪役チャップー・バーイーはマヘーシュ・マーンジュレーカルが演じていた。しゃべり方がかっこよかったが、いかんせんしょうもないキャラクターだったので、キャリアに泥を塗ったとしか言いようがない。女優のリシター・バットとセリナ・ジェートリーは全然駄目。顔を洗って出直して来い、という感じだ。特にセリナは化粧が濃すぎる。

 音楽はサージド・ワージド。タイトル曲の「Jawani Diwani」だけが耳に残った。ストーリーとほとんど関係ないダンスシーンがいくつも挿入され、ただでさえ低い映画の質をさらに低めていた。

 「Jawani Diwani」のポスターはセクシーだが、それに騙されてこの映画を観てはいけない。ヒンディー語映画の名に泥を塗る駄作である。