サントーシュ・シヴァンはインドを代表する撮影監督であり、特にマニ・ラトナム監督との仕事が有名である。彼は時々監督もしており、「Malli」(1998年/邦題:マッリの種)などを撮っている。2005年10月21日公開の「Navarasa」はサントーシュ・シヴァン監督が第三の性を主題に撮った映画であり、日本でも2007年3月17日に「ナヴァラサ」の邦題と共に劇場一般公開された。
まず、題名の「Navarasa」とは、インドの芸術理論であるラサ理論における「9つのラサ」のことである。ただ、映画の内容と題名を結びつけるような要素は映画中では希薄に感じた。
この映画を理解する上でまず知っておかなければならないのは、インド社会には「ヒジュラー」などと呼ばれるインターセックスのコミュニティーが存在することである。表向き、ヒジュラーは両性具有者だが、実際には大半がトランスジェンダーである。しかも、男性から女性に性転換した者が多い。
南インドにおいてヒジュラーたちにとっての一大聖地になっているのがタミル・ナードゥ州カッラクリチ県にあるクーヴァガム村である。クーヴァガム村にはイラヴァーンという神様を祀るクータンダヴァル寺院があり、4-5月にヒジュラーたちが集まる大祭が開催される。そして、ヒジュラーになりたい者たちは、この祭りにおいてイラヴァーン神と結婚する。こうして晴れて彼らはヒジュラーになるのである。
なぜイラヴァーンとの結婚がヒジュラーになることを意味するのか。それにはこんな神話が関係している。カウラヴァ軍とパーンダヴァ軍が激突したマハーバーラタ戦争において、戦力は圧倒的にカウラヴァ軍の方が上だった。パーンダヴァ軍に属するクリシュナ、アルジュナ、そしてイラヴァーンは、カーリー女神に勝利を祈った。するとカーリー女神は勝利の条件として生け贄を要求してきた。アルジュナの息子イラヴァーンは自ら生け贄になることを申し出たが、それには条件があった。彼は独身だったため、死ぬ前に結婚をしたかったのである。だが、死ぬことが決まっている男性と好んで結婚する女性はいなかった。そこでクリシュナは女性の姿になり、モーヒニーとしてイラヴァーンの妻となった。イラヴァーンはモーヒニーとの初夜を終えた後、首を切って死んだ。
よって、クーヴァガム村の祭りに参加するヒジュラーたちは自らをクリシュナの化身モーヒニーで、イラヴァーンと結婚することでヒジュラーとして完成すると考えているのである。
さて、「Navarasa」の主人公は好奇心旺盛な13歳の女の子シュエーターである。ある日シュエーターは、同居する叔父のガウタムが女装をしているところを目撃してしまい、彼にその行動を問いただす。ガウタムは、自分は男性の身体に生まれた女性だと話し、クーヴァガムの祭りへ行くと言う。そして、両親が3日間留守にしている間、ガウタムはどこかへ行ってしまう。シュエーターは叔父を追ってクーヴァガムまで行くが、そこではヒジュラーたちの祭りが開催されていた。シュエーターはヒジュラーの群衆の中から叔父を必死に探す。
一応、上記のようなストーリーがあったのだが、この映画がユニークなのは、ドキュメンタリー映画に近い撮り方をしていたことだ。映画はクーヴァガム祭のときに撮影されており、カメラに映る人々は皆リアルである。また、叔父のガウタムを演じたクシュブーをはじめ、ヒジュラーとして登場する人々は皆本物のヒジュラーだ。逆にいえば、サントーシュ・シヴァン監督はクーヴァガム祭に潜入してその様子をカメラに収めると同時に、シュエーターを演じた子役女優Pシュエーターを歩かせて撮影し、ひとつの映画に仕上げるというゲリラ的な手法が採られていた。
クーヴァガム祭のときには、ヴィッルプラムという場所で、ヒジュラーのビューティーコンテストも開催されるようで、「Navarasa」ではその様子もしっかりとカメラに収められている。そこでムンバイーから来たボビー・ダーリンが優勝する。ボビー・ダーリンはヒンディー語映画界で活躍するトランスジェンダー俳優であり、「Taal」(1999年)や「Kyaa Kool Hai Hum」(2005年)などに出演している。
シュエーターは、叔父ガウタムを追ってクーヴァガム祭に参加した上に、ボビー・ダーリンと出会い、中間性の存在を目の当たりにしたことで、ガウタムの性自認を許容することができるようになった。だが、シュエーターの両親がそれを理解するのにはまだまだ時間が掛かりそうであることがエンディングで示唆されていた。その直前には、シュエーターは初潮を迎えており、途端に女性として生きなくてはならなくなったことを窮屈に感じていた。そのことも、彼女にジェンダーを身近に考えさせるきっかけになったといっていいだろう。ちなみに、シュエーターを演じたPシュエーターは、サントーシュ・シヴァン監督の「Malli」で主演を務めていた子役女優である。
「Navarasa」は、ヒジュラーたちの大祭であるクーヴァガム祭で実際に撮影した映像を使いながら、初潮を迎えた13歳の少女の視点から、性同一障害の叔父が男性から女性になり、それをカミングアウトするまでを描いた野心的な作品である。インドの伝統的なインターセックス・コミュニティーであるヒジュラーのことを知る手掛かりとしての価値も高い。インドのLGBTQ映画史を考察する上でも重要な作品である。