今日は、2004年4月2日公開の新作ヒンディー語映画「Krishna Cottage」をPVRアヌパム4で観た。「Krishna Cottage」のプロデューサーはエークター・カプール、監督は新人のサントラーム・ヴァルマー、音楽監督はアヌ・マリク。キャストは、ソハイル・カーン、ナターシャ、イーシャー・コッピカル、ヴラジェーシュ・ヒルジー、ヒテン・テージワーニー、ディヴィヤ・パラト、ラティ・アグニホートリー、ラージ・ズトシーなど。
マーナヴ(ソハイル・カーン)とシャーンティ(ナターシャ)はシムラーの大学に通う大学生で恋人同士だった。二人の婚約式の日、大学にディシャー(イーシャー・コッピカル)という女の子がやって来た。マーナヴはディシャーに不思議な感覚を覚える。マーナヴ、シャーンティ、ディシャーや友人たちは、婚約式の後、自動車に乗って帰っていたが、途中車がパンクしてしまった。ちょうどその場所に「クリシュナ・コテージ」という廃墟となった屋敷があったので、そこで一晩を明かした。しかしそこで彼らは不思議な心霊現象を体験するが、無事に一夜を過ごす。ディシャーはそれを、死んだ昔の恋人アマルのせいだと語った。 一方、スィッダーント・ダース教授(ラージ・ズトシー)は、1年前に著した「知られざる話」の行方を捜していた。その本の最後の章を読んだ者は皆死んでしまうという呪われた本だった。その本をたまたま図書館で見つけたマーナヴの友人たちが2人、その呪いによって殺されてしまう。 マーナヴとディシャーが仲良くなっていくにつれ、シャーンティは嫉妬し出す。ある日シャーンティはディシャーの家へ押しかけるが、そこにいたディシャーの母親から、「ディシャーは22年前に死んだ」と知らされる。恐怖の事実を知ったシャーンティに、ディシャーの霊が襲い掛かるが、偶然通りかかった霊媒師(ラティ・アグニホートリー)に助けられる。 実は例の呪われた本の最後の章には、ディシャーと恋人アマルの恋愛が書かれていた。ディシャーは自分の恋愛を知った者を殺していたのだった。さらに驚くべきことに、マーナヴはアマルと瓜二つで、アマルの生まれ変わりだった。ディシャーは、マーナヴがアマルが死んだときと同じ年に一緒にあの世へ連れて行こうとしていたのだった。 霊媒師は、ディシャーの望みを打ち砕くため、結界の中でマーナヴとシャーンティの結婚式を行うが、そこへディシャーの霊が現れ、霊媒師を殺害する。ディシャーはシャーンティに憑依するが、マーナヴは自分の命を差し出すことを告げ、アマルが死んだラヴァーズ・ポイントへ乗り込む。そこで待っていたディシャーに対し、マーナヴは「オレはお前に身体も魂も与えることができるが、オレの心だけはお前は奪えない。オレの心はシャーンティのものだ」と言って、自ら崖から身を投げる。 目を覚ましたマーナヴは、見知らぬ小屋の中で横たわっていた。小屋に住むお爺さんによると、若い女の子が彼をここへ連れてきたという。その小屋のガラスには、ディシャーのメッセージが残されていた。「私は本当の愛が何かを知ったわ。愛とは奪うものではなく、与えるもの。あなたの幸せが私の幸せ、あなたの幸せはシャーンティと結婚すること。シャーンティと幸せに・・・」と書かれていた。こうして、マーナヴとシャーンテイは結婚した。
2003年は俄かにインド製ホラー映画が立て続けに数本公開された年だった。エークター・カプールがプロデュースしたホラー映画「Kuchh To Hai」も同年、鳴り物入りで公開された。興行的には失敗の映画だったのだが、それでも懲りずにエークター・カプールはホラー映画第2弾を投入してきた。それがこの「Krishna Cottage」だ。「Kuchh To Hai」ははっきり言ってハリウッド映画「ラストサマー」(1997年)のパクリだったのだが、「Krishna Cottage」もはっきり言ってあるホラー映画のパクリである。それは日本にホラー映画ブームを巻き起こした傑作「リング」(1998年)だ。同作はハリウッドで2002年に「ザ・リング」としてリメイクされており、ハリウッド経由でヒンディー語映画界まで伝わった可能性が高い。これまで、日本映画がハリウッド経由でヒンディー語リメイクされた例は、「七人の侍」(1954年)→「荒野の七人」(1960年)→「Sholay」(1975年)ぐらいしか確認されていなかったが、「Krishna Cottage」はその第2例として歴史に名を残すかもしれない。
「七人の侍」「荒野の七人」「Sholay」はどれも各国の映画史に名を残す普及の名作となっており、「リング」は言わずもがな大ヒット、「ザ・リング」もそこそこヒットしたと記憶しているが、残念ながらこの「Krishna Cottage」だけはそこまで当たらないだろう。ホラー映画製作の基本的なテクニックが未熟で、ストーリーにも破綻があちこちに見受けられた。ホラー映画にミュージカルシーンを挿入するのは非常に危険であることがまだよく分かっていないことも残念だった。
「リング」ではビデオを見ると呪われたが、「Krishna Cottage」では本を読むことで呪われるという設定だった。本を読むと意味不明の不鮮明な映像がフラッシュバックで入るのもそのまま同じだったし、幽霊が貞子と全く同じスタイルで、長い髪をダラリと前に垂らしていた。結局その本が呪われたのは、ディシャーが自分の恋愛談を他人に読まれたくなかったかららしいが、そんな恥かしがり屋の幽霊、聞いたことないぞ・・・。そんなに恥かしいなら、どんどん人を殺していくな、と突っ込みたくなった。そもそも教授が執筆している段階で出版を阻止するとか、そのくらいの知恵を働かせてもらいたかった。
サルマーン・カーンの弟、ソハイル・カーンは「I Proud To Be An Indian」(2004年)で俳優デビューし、今回が主演第2作となった。兄とは違ってごつい顔で、個人的にはあまり好きな顔ではないが、演技は無難である。イーシャー・コッピカルは2000年のデビュー以来いまいち伸び悩んではいるが、だんだん貫禄ある美しい女優に成長してきていると思う。最近注目しているのは、ヴラジェーシュ・ヒルジー。なぜか主人公の友人役が多いが、「Muskaan」(2004年)では真犯人役を務めたりして、だんだん頭角を現しつつある曲者男優である。
相変わらずインドの映画館でホラー映画を観るのは面白い。インドでは、ホラー映画は「怖がる」ためにあるのではなく、「笑う」ためにある。これを理解するには、インドの映画館でインド人の観客と共にホラー映画を観なければならないだろう。ホラー映画を観て笑いこけるインド人を見ると、カルチャーショックを受けること請合いである。インターヴァルの直前に、ディシャーが22年前に死んでいたことが明らかになるのだが、それを見て観客は一斉に拍手喝采をし出した。おいおい・・・。
前述の通り、日本映画がハリウッドを通してインドまで伝わった珍しい例のひとつなので、それを体験するためなら見る価値はある映画である。