Anahat (Marathi)

3.5
Anahat
「Anahat」

 2003年11月14日に、突然何の前触れもなく、PVRアヌパム4で「Anahat」というマラーティー語映画が上映され始めた。PVRでは時々インドの他言語の映画も上映される。今までの経験から言うと、ヒンディー語映画圏と他のインド映画圏との間に横たわる高い壁を乗り越えて入ってくる映画は、十中八九面白い。しかもポスターを見てみると時代劇のようだ。今年度のインド国際映画祭でも上映されている。今日は暇を見つけてその映画を観に行った。

 「Anahat」とは「無傷」「無垢」という意味。英語のサブタイトルは「Eternity」。主演はアナント・ナーグ、ディープティー・ナヴァル、ソーナーリー・ベーンドレー。ベテラン俳優2人と、ヒンディー語映画でおなじみの女優が出演していて、キャストだけでも期待がもてる。監督はアモール・パーレーカル。言語はマラーティー語なので、英語字幕が付いてた。

 紀元前10世紀、マッラ朝の王都シュラヴァスティー。マッラ王(アナント・ナーグ)と王女シーラヴァティー(ソーナーリー・ベーンドレー)はお互い愛し合い、幸せに暮らしていた。しかし彼らにはひとつだけ問題があった。後継者である。マッラ王はEDのため、子供を作ることができなかった。元老院は王家の跡継ぎを授かるため、ニヨーグの儀式を執り行うことを決めた。

 ニヨーグとは、不能者の王を持つ王女が行う儀式で、王女が人民の中から一人男を選び、一晩だけその男と交わり、子供を作る行為だった。ニヨーグは3回に渡って行われることになっていた。マッラ王は愛する妻が他の男と一夜を共にすること、自分が不能であること、妻を苦しい立場に追い込んでいることなどに心を痛め、平静を失う。シーラヴァティーも侍女長のマハートリカー(ディープティー・ナヴァル)に怒りと悲しみを打ち明けて反発するが、元老院の決定は絶対であった。

 ニヨーグの儀式の日が来た。マッラ王はシーラヴァティーに花輪を渡す。これは、王女が花輪をかけた男と一晩共にする権限を与えることを意味する。シーラヴァティーはニヨーグを行う。

 次の日、宮廷にはぼんやりと虚空を見つめて立つシーラヴァティーがいた。マハートリカーが話しかけると、シーラヴァティーは昨夜起こったことを話す。「男がこれほどのものを私に与えてくれるとは。私の身体がこれほどの快楽をもたらしてくれるとは。私は初めて女であることを知りました。」王女は性の快楽に目覚めてしまったのだった。マハートリカーは「女性が性の快楽を口に出すものではありません」と戒めるが、王女は昨夜の感動を話し続けた。そして1週間後に再びニヨーグの儀式を行うよう、命令を出す。それを知ったマッラ王は激怒する。二人の仲は険悪になるが、シーラヴァティーはマッラ王に「あなたはあなたができること以上の幸せを私に与えてくれた」と言って、二人は仲直りする。

 ただのインド神話風時代劇だと思っていたので、こういう展開にはなると思っていなかった。意表を突かれてなかなか面白い映画だった。しかし最後はあまりに急ぎすぎで、なぜ二人が仲直りしたのかよく理解できなかった。性の快楽に目覚めた王女が、夜な夜なニヨーグを繰り返すという展開だったら、もっと面白かったのだが。

 紀元前10世紀のインドが舞台なので、登場人物も風景も全て古代インドをイメージしたものになっている。ロケ地はカルナータカ州にある遺跡の町ハンピ。ハンピで撮影された時代劇映画といえば、「Agni Varsha」(2002年)が思い浮かぶが、あの映画よりも「Anahat」の方が雰囲気がよく出ていた。

 ニヨーグという儀式はヴェーダ時代に本当に行われていたようだ。やはり王朝にとって跡継ぎというのは大きな問題だったようで、それに対処するためにいろいろな方法が古代から考案されてきたのだろう。そういえば古代インドにはアシュヴァメーダ(馬祀祭)という儀式もあった。王が馬を1年間放して、その馬が通った土地が王の領土になるという、王権を誇示する儀式だ。1年後、その馬が帰って来ると、馬は生贄にされて殺され、その後なぜか王女がその馬の死骸と一晩床を共にするらしい。今から考えるとよく分からない儀式だが、これも跡継ぎと何か関係あるのだろうか・・・。

 俳優陣はベテラン揃いだったので文句のつけようがない。ソーナーリー・ベーンドレーは久しぶりにスクリーンで見たような気がする。ニヨーグを無理矢理させられて戸惑う「ニヨーグ前の清純なシーラヴァティー」と、男を知り、女の快楽を知った「ニヨーグ後の覚醒したシーラヴァティー」の表情が全然違って、それだけで彼女が優れた役者であることが知れた。ちなみにソーナーリーの(インド映画にしてはかなり際どい)入浴シーンが見られる。

 原作はスレーンドラ・ヴァルマーのヒンディー語舞台劇「Surya Ki Antim Kiran Se Surya Ki Pehli Kiran Tak(日没から日の出まで)」。王女が見知らぬ男と日没から日の出まで共に過ごさなければならないニヨーグの掟をそのまま題名にしたようだ。映画の題名「Anahat(無垢)」は、物語の最後のシーラヴァティーの独白の中に出てくる単語である。