2001年はヒンディー語映画の当たり年で、数多くの重要な作品が公開されたが、その中でも興行的にもっとも成功を収めたのが、6月15日に公開された「Gadar: Ek Prem Katha(反乱:ある愛の物語)」であった。奇しくも、2001年を代表するもう一本の傑作「Lagaan」(2001年/邦題:ラガーン~クリケット風雲録)と同日公開され、インド人は、「Gadar」派と「Lagaan」派に大きく二分されていたのをよく覚えている。この年はインド留学初年であり、公開から2ヶ月以上経った8月26日に、コンノートプレイスの映画館プラザで鑑賞した。バルコニー席が62.5ルピーだったが、満席だったため、ダフ屋から100ルピーでチケットを買ったと日記には書かれている。
2022年7月18日にもう一度この傑作を見直し、このレビューを書き直した。よって、20年後の視点からの批評になっている。
監督はアニル・シャルマー。壮大なスケールの娯楽映画が得意な映画監督で、過去に「Tahalka」(1992年)などのヒット作があり、「Gadar」後も精力的に映画作りをしている。だが、「Gadar」以上のヒット作は送り出せていない。音楽監督はウッタム・スィンだが、彼についても「Gadar」以上の代表作はない。
主演はサニー・デーオール。人気男優ダルメーンドラの長男として1980年代から活躍してきたが、「Gadar」の大ヒットにより、彼はトップスターに躍り出た。ただ、その後にヒット作が続かず、振り返って見れば「Gadar」が絶頂期だった。ヒロインのアミーシャー・パテールは、ヒット作「Kaho Naa… Pyaar Hai」(2000年)でデビューしたばかりで、それをさらに上回る成功を「Gadar」で手にした。しかしながら、彼女も「Gadar」以上の成功を繰り返すことができず、消えていった女優の一人になった。
つまり、「Gadar」は当時としては破格の興行成績を上げる大ヒット作になり、この映画に関わった映画監督、音楽監督、俳優たちのキャリアを一気に押し上げたが、皆、それ以上の成功をその後に収めることができず、「Gadar」で迎えた絶頂期の後は、一様に下降線を辿ることになった曰く付きの映画ということができる。
その他のキャストは、アムリーシュ・プリー、リレット・ドゥベー、ヴィヴェーク・シャウク、ウトカルシュ・シャルマー、スレーシュ・オーベローイ、プラティマー・カーズミー、オーム・プリー(ナレーション)などである。
1947年、インドとパーキスターンは分離独立し、パンジャーブ地方は東西に分割された。パーキスターン領に住むヒンドゥー教徒やスィク教徒はインド側に逃げ、インド領に住むイスラーム教徒はパーキスターン側に逃げたが、その混乱の中で殺し合いが起き、多くの人々が犠牲になった。 トラック運転手でスィク教徒のターラー・スィン(サニー・デーオール)も、分離独立時の混乱の中、イスラーム教徒を殺し回っていた。だが、アムリトサル近くのアターリー駅でサキーナー・アリー(アミーシャー・パテール)を見つけ、手が止まる。地元の名士アシュラフ・アリー(アムリーシュ・プリー)の娘でイスラーム教徒のサキーナーは、彼が荷物を運んでいた大学で学ぶ女学生で、顔見知りだった。サキーナーは、家族と共にラホール行きの列車に乗ろうとしたが、混乱の中ではぐれてしまい、取り残されてしまったのだった。ターラーは、暴徒の手から彼女を救い出し、自分の家に迎え入れる。 ターラーはサキーナーをラホールまで送り届けようとするが、家族が乗った列車が襲撃されて乗客が皆殺しされたとの知らせを受け、サキーナーはパーキスターンへ行っても仕方がないと思い、そのままインドに残ることにする。ターラーはサキーナーを家族に紹介し、彼女と結婚する。二人の間にはチャランジート(ウトカルシュ・シャルマー)という息子が生まれた。 幸せな生活を送っていたある日、サキーナーは、父親のアシュラフが生きており、ラホールの市長になったのを新聞で見つける。そして連絡を取り、家族に会いにパーキスターンへ行くことにする。だが、ヴィザがサキーナーしか下りなかったため、彼女はターラーとチャランジートをインドに残して、まずは単身でラホールへ行く。だが、それはアシュラフの策略だった。アシュラフは、ターラーとの結婚は無効だと決め付け、サキーナーをインドに帰そうとせず、パーキスターン人のサリームと結婚させようとしたのだった。 一方、ターラーはチャランジートを連れてパーキスターンへ行こうとしていたが、アシュラフの指示によりヴィザが下りず、サキーナーとも音信不通になってしまっていた。そこでターラーはパーキスターンに密入国し、サキーナーに会いに行く。アシュラフはターラーに、二人の結婚を認める代わりに、イスラーム教徒に回収し、パーキスターンに住むように条件を出す。ターラーはそれを受け入れるが、インドへの罵詈雑言を言わされそうになり、遂に激怒する。そしてサキーナーとチャランジートを連れて逃げ出す。 ターラーは、ラージャスターン州から列車でインドに帰ろうとする。だが、アシュラフは彼らを追って来る。パーキスターン警察との死闘が繰り広げられるが、その中でサキーナーが怪我をしてしまう。アシュラフは、サキーナーを死守しようとするターラーの行動に感銘を受け、サキーナーをターラーに託す。
印パ分離独立をインドでは一般に「パーティション」と呼ぶが、このときには印パ双方で多くの悲劇が発生した。殺し合いはその最たるものであるが、混乱時にもっとも弱い立場に立たされるのが女性たちだ。インドからパーキスターンへ、パーキスターンからインドへ移動するときに家族からはぐれ、暴徒によって誘拐され、強姦され、そして無理矢理結婚させられた女性たちは数多いとされている。
「Gadar」も、パーティション時の混乱で家族とはぐれた女性の物語だ。パーティション時の騒乱が映画化される際には、ほぼ決まって、悲しく心苦しい物語になるものだが、この「Gadar」がユニークなのは、パーティションを美しい恋愛物語に昇華させた点である。わざわざ「Ek Prem Katha(ある愛の物語)」と副題が付けられているのも、それを雄弁に物語っている。
イスラーム教徒女性サキーナーはアムリトサルの名士の娘だったが、印パ分離独立時の混乱の中で家族とはぐれ、知己のトラック運転手ターラーに匿われる。ターラーはスィク教徒であり、憎悪に駆られてイスラーム教徒を惨殺していたが、暴徒に追われたターラーを見て我に返り、彼女を助ける。元々彼女に淡い恋心を抱いていたのもその理由であった。
ターラーは決してサキーナーに結婚を強要しなかった。一度は彼女をパーキスターンに送り届けようとするが、家族は既に全滅したと勘違いしたサキーナーの願いにより引き返した。そして彼女と結婚し、一人の息子をもうけて、幸せに暮らしていた。パーティションに翻弄された男女が結果的にこれほど幸せな暮らしを送る姿を描いた映画はあまりない。
だが、サキーナーの家族がラホールで生きていることが分かり、物語は急転する。サキーナーの父親アシュラフは、サキーナーがパーティション時の混乱でスィク教徒に手込めにされ、結婚させられたと思い込む。通常ならば、そのような娘は一家の不名誉になるため、そのまま捨て去るものであるが、アシュラフはサキーナーを溺愛しており、世間の目を気にせずに彼女をパーキスターンに呼ぶことにする。この辺りも、映画に必要以上に重苦しい空気をもたらさない一因になっていた。
アシュラフは単身パーキスターンにやって来たサキーナーをインドに帰そうとしなかったため、ターラーとの衝突が生じる。結局、ターラーがサキーナーをいかに愛しているかを目の当たりにし、娘を彼に託すことにするのだった。アムリーシュ・プリーがアシュラフを演じていることもあって、名作「Dilwale Dulhania Le Jayenge」(1995年/邦題:シャー・ルク・カーンのDDLJラブゲット大作戦)のラストと重なった。
後半は、ターラーがパーキスターンに乗り込んで大暴れする、サニー・デーオールお得意のアクション映画と化すが、決してパーキスターンを完全な悪者にしていなかったのが特筆すべきである。サキーナーとの結婚を認めてもらうため、ターラーは「イスラーム教万歳」、「パーキスターン万歳」と口にすることまでする。イスラーム教への改宗やパーキスターンへの移住も飲んでいた。これらのシーンはとても象徴的だ。ターラーは、サキーナーへの愛を貫き通すため、宗教や母国を犠牲にすることも厭わなかった。だが、もうひとつ、ターラーはパーティション時にイスラーム教徒やパーキスターンによって多くのインド人が殺されたことを水に流していた。彼はイスラーム教の存在やパーキスターンの存在を認めていた。それ故に、彼は「イスラーム教万歳」、「パーキスターン万歳」と口にすることができたのである。
だが、アンチ・インドのスローガンを言わせられそうになったことで、ターラーの怒りは爆発し、その後は壮大な逃走劇となる。走る列車の上で繰り広げられる攻防戦は迫力があり、クライマックスとして申し分ない。娯楽映画としてよくできた映画であるために大ヒットしたのだろうが、それと同時に、パーティション時の不幸な出来事を過去のものとして、隣国と新しい未来を作って行こうとするメッセージが発せられていたことへの支持もあったのではないかと期待する。間違いなくパーティション映画の傑作の一本である。
悲痛な物語になりがちな主題であるパーティションを心温まる物語に昇華できたひとつの勝因は、あくまで家族愛に焦点を当てていたことだろう。アシュラフも家族愛からサキーナーを騙し討ちのような形でパーキスターンに呼び寄せ、帰そうとしなかったのであるし、ターラーも家族愛から全てを投げ打ってパーキスターンに密入国し、彼女を取り戻そうとした。言わば、家族愛と家族愛の衝突であって、これはターラーのサキーナーに対する真剣な愛の証明によって解決されるものであった。家族愛は、家族を何よりも大事にするインド人にとってキラーコンテンツであり、それをパーティション映画にうまくはめ込むことに成功したのが「Gadar」だったと評することができる。
ウッタム・スィンによる音楽の使い方も巧みだった。特に、ストーリーの重要な転機で必ず差し挟まれる民謡「Udja Kale Kawan」は、メロディーが映画全体の雰囲気を作り上げていただけでなく、歌詞がストーリーと見事な調和をしていた。特に以下のサビの部分は、映画の後半を暗示していた。
ओ घर आ जा परदेशी कि तेरी मेरी एक जिंदड़ी
O Ghar Aa Jaa Pardeshi Ki Teri Meri Ek Jindari
ああ、家に帰っておいで、異邦人よ、君と僕の人生はひとつだから
「Gadar」の音楽は映画以上にヒットし、他にも「Main Nikla Gaddi Leke」、「Musafir Jaane Wale」など、いい曲が多い。2001年を代表する曲ばかりである。
主演のサニー・デーオールはとても輝いており、まさに絶頂期である。アミーシャー・パテールも大女優の予感を強烈に漂わせており、その後の停滞が残念なくらいだ。
「Gadar」は、ヒンディー語映画の当たり年だった2001年でも最大のヒット作になった超大作である。パーティションを題材にしながら、家族愛の衝突を軸に、ポジティブなロマンス・アクション映画に仕上げたアニル・シャルマー監督の手腕は素晴らしい。だが、この映画に関わった人々の大半は、「Gadar」後にこれを超える作品を送り出すことができず、これが代表作で終わってしまっている。それはともかくとして、必見の映画の一本である。