Dr. Babasaheb Ambedkar

3.5
Dr. Babasaheb Ambedkar
「Dr. Babasaheb Ambedkar」

 現代インドにおいて、ビームラーオ・アンベードカル博士(1891-1956年)はひょっとしたら「インド独立の父」マハートマー・ガーンディーよりも影響力のある人物かもしれない。彼は独立インドにおいてインド憲法の起草という大仕事を成し遂げた法律家であるが、それよりもダリト(不可触民)として生まれ、不可触民制度の撲滅に一生を捧げた人物として知られており、死後もダリトたちから絶大な支持を受けてきた。彼の名前や肖像は今でも政治的な力を持っている。

 2000年12月15日公開の「Dr. Babasaheb Ambedkar」は、アンベードカルの伝記映画である。インド中央政府の社会正義・権限委譲省とマハーラーシュトラ州が出資し、国営のインド国家映画開発公社(NFDC)が製作した国家プロジェクトであり、マラーティー語演劇の重鎮ジャッバール・パテールが監督を務めた。一説によると、リチャード・アッテンボロー監督の名作「Gandhi」(1982年/邦題:ガンジー)に匹敵する大作を作ろうとしたという。史実に忠実に作られており、一通り観るとアンベードカルの生涯と彼の功績が分かるような作りになっている。また、「Ankur」(1974年)などのシャーム・ベーネーガル監督が顧問を務めているのが注目される。

 アンベードカル役を演じたのは、マラヤーラム語映画界の大スター、マンムーティである。他に、ソーナーリー・クルカルニー、ムリナール・クルカルニー、ゴーヴィンド・ナームデーオ、モーハン・ゴーカレー、ティルローク・マリク、アンジャーン・シュリーヴァースタヴ、ナワーズッディーン・シッディーキー、スシャーント・スィン、ナンドゥー・マーダヴ、アショーク・ローカンデー、ニキル・ラトナパールキーなどが出演している。

 「Dr. Babasaheb Ambedkar」の企画が立ち上がったのは、インド国民会議派(INC)の政治家チャンドラシェーカルが首相を務めていた1990-91年であり、当時INCに所属していたシャラド・パワールがマハーラーシュトラ州の州首相だった。よって、元々はINCの企画だったようだ。ところが、映画が完成し公開された頃にはインド人民党(BJP)の政治家アタル・ビハーリー・ヴァージペーイーの第二期政権時代(1998-2004年)になっていた。そのため、エンドクレジットには、時の首相であるヴァージペーイーに加え、IKグジュラール(在位1997-98年)、PVナラスィンハ・ラーオ(在位1991-96年)、デーヴェー・ガウダー(在位1996-97年)といった歴代首相や、ヴィラースラーオ・デーシュムクやマノーハル・ジョーシーといった歴代マハーラーシュトラ州首相にスペシャルサンクスが送られている。

 物語は、アンベードカル(マンムーティ)が米国コロンビア大学留学中にラーラー・ラージパト・ラーイ(ティルローク・マリク)からインドの自治を求める政治活動に参加を促され、勉学を理由にそれを断るところから始まる。ダリトの一種であるマハールの家庭に生まれたアンベードカルは、バローダ藩王国のサヤージーラーオ・ガーエクワード3世(アンジャーン・シュリーヴァースタヴ)から奨学金を得て留学していたが、それでも学費や生活費が足りず、勉学の合間に皿洗いをして苦学していた。そんな彼に、政治活動に避ける時間はなかったのである。米国で経済学修士を2回修めた後、アンベードカルはロンドンに留学し、博士号と同時に弁護士資格も取得する。飛び抜けて頭脳明晰な人物だったことが分かる。

 学位や資格の取得は順調に進んでいたものの、彼はさまざまな場面で差別を受けることになった。留学前はインドでダリトとしてブラーフマンをはじめとした上位カーストから差別を受けてきたし、米国や英国ではインド人ということで白人から差別を受けた。留学を終え、バローダ藩王国で官僚として働き出してからも、カーストを理由にして、職場では同僚たちから差別を受け、市井では住む場所も容易に見つからない状況だった。それでもアンベードカルはめげなかった。

 ボンベイに出たアンベードカルは大学で政治経済学を教えると同時に、コーラープル藩王国のシャーフー・マハーラージ(の後援を得て不可触民制度の廃止を目的とした新聞「ムークナーヤク(唖の主役)」の発行を始め、政治活動に身を投じた。アンベードカルは、何世紀にもわたって差別を甘受してきたダリトの仲間たちに教育や衛生の重要性を説き、覚醒を促した。1927年、マハーラーシュトラ州マハードでは、カースト制度や不可触民制度を規定したマヌ法典を燃やすパフォーマンスを行った。いわゆるマハード・サティヤーグラハである。

 後半になると、ダリト活動家としてのアンベードカルの側面が強調される。アンベードカルはダリトの政治参加を促すために国会の中に特別議席を求めたが、マハートマー・ガーンディー(モーハン・ゴーカレー)はヒンドゥー教徒の分断に反対しており、二人は真っ向から対抗することになった。当時、ガーンディーはインド人から絶大な支持を集めており、ガーンディー批判の急先鋒となったアンベードカルは各方面から強い非難を浴びた。それでもアンベードカルはダリトの地位向上のために信念を曲げなかった。ただ、政治家としてはガーンディーの方が一枚上手で、彼は自分の主張を通すために無期限ハンストを開始し、最後にはアンベードカルの妥協を引き出すことに成功した。

 1947年8月15日にインドが独立を達成すると、アンベードカルはジャワーハルラール・ネルー政権の法相に就任し、憲法起草委員会の委員長にも選ばれる。その決定には、政治的スタンスは異なっていたものの、アンベードカルを認めていたガーンディーも関わっていたことが語られる。ただし、ガーンディーは1948年1月30日に凶弾に倒れ死んでしまう。アンベードカルは、ヒンドゥー教徒に関する民法であるヒンドゥー・コード法案の議論において自身の案が通らなかったことを理由に法相を辞す。

 アンベードカルは以前からヒンドゥー教から改宗することを宣言していたが、1956年10月14日、多数のダリトたちと共に仏教に改宗する。だが、その約2ヶ月後の12月6日に糖尿病による合併症で死去した。

 3時間に及ぶ映画であったが、それでも全く時間が足らなかったようで、アンベードカルの生涯がかなり足早に紹介されていた。基本的には米国留学から物語が始まるが、時々回想シーンが差し挟まれ、子供の頃から彼が差別に苦しんできたことや、最初の妻ラマーバーイー(ソーナーリー・クルカルニー)との結婚式の様子などが思い出される。

 アンベードカルは、ダリト出身ながら、才気にあふれ、常に自信満々な人物として描かれている。特にガーンディーと対立を深める後半になると、傲慢ともいえるような不遜な態度を取っていたのが気になった。インドにおいて一般的にダリトは凄惨な差別を受け続けることでシステマティックに自己有用感を奪われることになる。ダリトがダリトとして生まれてもっとも不足するのが自尊心だ。だが、「Dr. Babasaheb Ambedkar」で描かれていたアンベードカルは、まるでブラーフマンのように高慢に振る舞っていた。このキャラ作りは、生前のアンベードカルを知る者のインプットから再構築されたものなのであろうか。それとも、ダリトに対して、このアンベードカルのように常に胸を張って生きるようにメッセージを送っているのだろうか。

 「Dr. Babasaheb Ambedkar」は、ダリトの地位向上や不可触民制度の撤廃に一生を捧げた偉人BRアンベードカル博士の伝記映画である。リチャード・アッテンボロー監督「Gandhi」に比肩するような作品を作ろうと国家的プロジェクトとして立ち上がった企画であり、確かにそれだけの重厚感がある映画に仕上がっている。ただ、彼の生涯に起こった主要な事件を駆け足に追っていくだけになっている時間帯が多く、映画としての完成度は高いとはいえない。それでも、アンベードカルの生涯や業績について手っ取り早く知りたいという人にはとても参考になる作品だ。


Dr Babasaheb Ambedkar (2000) 4K Full Movie (Hindi)