
「Ghunghat Ke Pat Khol(ヴェールを上げろ)」は1999年にTVで放映されたTV映画だが、この映画が世間の注目を集めたのは、キラン・ラーオ監督の「Laapataa Ladies」(2023年/邦題:花嫁はどこへ?)があったからであった。どちらも花嫁の取り違えから起こるハプニングを描いた映画であり、プロットが非常によく似ていた。「Ghunghat Ke Pat Khol」のアナント・マハーデーヴァン監督は剽窃を訴えた。まるで剽窃の検証を世間に促すかのように、2024年8月15日に「Ghunghat Ke Pat Khol」はドゥールダルシャンで再放映された。
アナント・マハーデーヴァン監督は、「2.0」(2018年/邦題:ロボット2.0)などに出演している俳優でもあり、「Gour Hari Dastaan」(2015年)や「The Storyteller」(2022年)などの硬派な映画を撮っている人物でもある。キャストは、ヘーマント・パーンデーイ、サヴィター・バジャージ、チトラー・ヴィヤース、ハルジート・ヴァーリヤー、バンワリー・ラール・ジョール、ジャヤント・パーテーカル、ディーパク・クマール、アミト・クマール、アプールヴァー、キールティ、ミーラー・ヴァースデーヴァンなどである。ただ、若い俳優の名前と顔が一致しないため、配役については触れないでおく。
この映画を理解する上で重要なのは、「パルダー」という習慣である。奥ゆかしいインド人女性は年上の男性に顔を見せようとせず、サーリーの端などで顔を覆っている。この顔を覆うヴェールを「グーンガト」などと呼ぶ。
ムンバイーで働くクリシャン・プラタープ・スィンは、故郷の村に呼び戻され、結婚させられる。彼の結婚相手はサジュニーという名前だった。結婚式を終え、初夜を迎えようとするが、お節介な叔母から21日間は禁欲期間だと戒められる。サジュニーはグーンガトで顔を覆っており、彼は花嫁の顔すら拝むことができなかった。クリシャンはサジュニーをムンバイーに連れ帰る。だが、途中のマーダヴプル駅で花嫁が入れ替わってしまう。クリシャンがムンバイーの自宅に連れ帰ったのはスネーハーという名前の女性だった。ちょうど同じ日に同じ村で結婚式を挙げ、同じ列車に乗ってムンバイーに向かう予定だったのである。
クリシャンは、スネーハーの夫ジャイ・サクセーナーとサジュニーが一緒にいるはずだと考え、探そうとするが、ちょうど自宅に祖父母がやって来てしまい、満足に捜索もできなかった。一方、ジャイも花嫁の入れ替わりに気付いていた。ジャイとサジュニーはクリシャンとスネーハーを探そうとするが、ムンバイーという大都市で彼らを探し当てるのは至難の業だった。そこで二人は一度村に戻ることを決める。
村に着いたジャイは結婚式で演奏するバンドから同じ日に結婚したカップルの名前と住所を照会し、クリシャンの実家にたどり着く。そこでムンバイーにあるクリシャンの自宅の住所を聞き出し、サジュニーと向かおうとする。一方、クリシャンとサジュニーは祖父母を連れてマーダヴプル駅に着いていた。駅で偶然クリシャンとジャイは顔を合わせ、お互いのことに気付く。こうして彼らは自分の花嫁を取り戻すことができた。
四人ともしばらく村にとどまることになった。だが、四人とも違和感を感じていた。それを感じ取ったクリシャンの祖母は、ジャイとスネーハーと相談する。そしてクリシャンとスネーハー、ジャイとサジュニーが相性のいいカップルだと公表し、彼らを結婚させる。
TV映画ということもあって、低予算映画であり、技術的にも見劣りする。よって、映画としての質は「Laapataa Ladies」の足元にも及ばない。だが、確かに花嫁の取り違えをはじめとしたプロットの大部分はそっくりであり、キラン・ラーオ監督がこの映画からヒントを得たとしても不思議ではない。
それでも、映画に込められた思いやメッセージは全く異なる。「Laapataa Ladies」がよりフェミニズム的な思想にもとづいて緻密に構成されていたのに対し、「Ghunghat Ke Pat Khol」のメッセージ性は曖昧で、しかも最終的には取り違えて成立したカップルを最終的にはくっ付けており、一風変わったロマンス映画として処理されていた。「Laapataa Ladies」の結末では取り違えが訂正される。グーンガトが女性の個性を失わせるものという批判のニュアンスはどちらにもあったものの、そのメッセージが明確だったのは「Laapataa Ladies」の方である。
興味深かったのは映画中で「21日間の禁欲」と呼ばれていた習慣のことである。キシャンやジャイの出身地では、結婚した花嫁花婿は21日間、禁欲をしなければならないとされていた。そのような習慣は初めて聞いた。むしろ、結婚式が終わるとすぐに初夜があり、そこで花婿は花嫁とセックスをしなければならないものだと思っていた。ネットで調べてみたところ、禁欲期間は40日間とされている地域もあるようだった。インドは多様な国であり、結婚後の禁欲期間はインド全土で守られているものではないと思われる。
キシャンもジャイもこの21日に及ぶ禁欲期間があったため、取り違えてしまった花嫁に手を出すことなく、花嫁は清浄で保たれた。この間に彼らは正しい相手を見つけ出し、交換することができた。「Ghunghat Ke Pat Khol」は、パルダーの習慣を批判しているようにも見えるが、21日間の禁欲という因習は支持しており、決して何もかも進歩的な論調で作られた映画ではない。
また、取り違えによって出会った男女が祖母の計らいによって最終的に結ばれるというプロットには大いに疑問を感じた。もし男女が自分で結婚相手を選べるならば、最初からアレンジド・マリッジを押しつける必要はないではないか。若い男女に相手を選ばせればいいではないか。特にクリシャンは有無を言わせずに結婚させられていた。
「Ghunghat Ke Pat Khol」は、キラン・ラーオ監督「Laapataa Ladies」の元ネタと噂される作品である。だが、「Laapataa Ladies」の制作陣はその主張を否定している。特に導入部は似ているといわざるをえない。だが、映画としての質は圧倒的に「Laapataa Ladies」の方が上である。「Ghunghat Ke Pat Khol」を単体で見たら残念な作品ではあるが、両作品を見比べる目的ならば、鑑賞を止めることはしない。