1998年6月12日公開の「Gharwali Baharwali(家内と愛人)」は、知らず知らずの内に重婚をしてしまった男性が主人公のコメディー映画である。男性のファンタジーが詰まっている。タミル語映画「Thaikulame Thaikulame」(1995年)のリメイクである。
監督はコメディーに定評のあるデーヴィッド・ダワン。音楽はアヌ・マリク。主演はアニル・カプール。ヒロインはラヴィーナー・タンダンとランバー。他に、サティーシュ・カウシク、カーダル・カーン、ティークー・タルサーニヤー、アスラーニー、ディーナー・パータクなどが出演している。
日本では「歌う色男、愛・ラブ・パラダイス」の邦題と共に1999年11月6日に公開された。1998年に「Muthu」(1995年/ムトゥ 踊るマハラジャ)から始まった第一次インド映画ブームに乗って日本に持ち込まれたインド映画の一本といえる。
ムンバイー在住のアルン(アニル・カプール)とカージャル(ラヴィーナー・タンダン)は結婚して3年が過ぎていたが子供がいなかった。父親のヒーラーラール(カーダル・カーン)は早く孫の顔が見たくて二人に子作りをせかす。ある日、アルンとカージャルは病院へ行くが、医師のヴェードは二人を検査した結果、カージャルは母親になれない身体だと診断する。アルンはカージャルの心を傷付けたくなくて、子供ができない原因は自分にあると嘘を付く。そのことは父親にも明かさず、知っているのは親友のジャンボ(サティーシュ・カウシク)だけだった。
アルンとジャンボはネパールへ出張に行く。そこでアルンはネパール人女性マニーシャー(ランバー)と出会う。勘違いからアルンはマニーシャーと結婚してしまう。マニーシャーはアルンが既に既婚であることを知ってショックを受けるが、アルンの事情を知り、自分が犠牲になることを決める。
ネパールから戻ったアルンはマニーシャーから電話を受け、彼女が妊娠したことを知る。アルンはマニーシャーをムンバイーに呼び出し、ヴェードの家に住まわせる。マニーシャーはヴェードの家で男児を出産する。アルンはその子が自分の子だということをカージャルに隠し、捨て子だと言って、養子とする。
マニーシャーは子供を失った悲しみに耐えきれずネパールに帰る。マニーシャーが生んだ子供はリンクーと名付けられ、すくすく育った。あるときヒーラーラールはリンクーがアルンの実子ではないかと疑い、ジャンボから真実を聞き出す。ヒーラーラールはカージャルには明かさなかったが、マニーシャーをネパールから呼び寄せ、うまく話を持っていって、彼女を自宅に住まわせることにする。カージャルもマニーシャーを使用人として受け入れた。こうしてマニーシャーが我が子のそばで暮らせるようになった。
ところが、カージャルはマニーシャーとアルンの仲が怪しいこと、そしてヒーラーラールとも親しすぎることに疑問を持ち、嫉妬を抱くようになる。全てを解決するため、カージャルはマニーシャーを勝手に結婚させようとする。とうとう秘密を隠しきれなくなったアルンは全てを暴露する。そして動揺するカージャルを後にしてリンクーを連れて祖母(ディーナー・パータク)のところへ身を寄せる。だが、そこではヒーラーラール、カージャル、マニーシャーが待っていた。こうして彼らは一緒に暮らすことになった。
終始、これでいいのか、これでいいのかと疑問を持ちながら観ていた。細かいことは気にしないデーヴィッド・ダワン監督らしい作品といえばそうだが、映画公開当時としても決して上質なコメディー映画ではない。インド国内では興行的に成功したようだが、日本で劇場一般公開するほどの作品であろうか。最大の疑問はそれである。
主人公アルンは重婚することになってしまった経緯についてはうまく道筋を付けていた。アルンは自ら望んで二人目の妻をめとったわけではなく、勘違いからそうなってしまった。ネパールに出張し、言葉が通じない中で現地のドタバタに巻き込まれ、ネパール人女性マニーシャーと結婚することになった。名前が「マニーシャー」なのは、当時インドで人気絶頂期にあったネパール人女優マニーシャー・コーイラーラーから来ていると思われる。ならば彼女を起用すればよかったと思うのだが、既に大女優すぎてこのようなチープなコメディー映画には出演してもらえなかったのかもしれない。
この映画を観ていて胸に引っ掛かるものができるのは、マニーシャーの物分かりが良すぎることに起因しているといえる。マニーシャーは夫となったアルンを盲目的に愛しており、彼女が既婚者でムンバイーにカージャルという妻がいると知っても、彼を力尽くで奪おうとせず、アルンが困らないように自己を犠牲にした。ただし、アルンとマニーシャーの間に夫婦関係はあったようだ。やがてマニーシャーの妊娠が分かる。カージャルの存在を知っていたマニーシャーは、せっかく身籠もったその子をカージャルに差し出すことにも同意する。ともすると不気味に思えるほど献身的だが、このような女性がこの世にいるだろうか。全く同意できなかった。
かわいそうなのはカージャルである。リンクーを養子にし、念願だった母親になれたのはいいが、それがアルンとマニーシャーの子であることを最後まで知らなかったのも彼女だった。それ故にマニーシャーを使用人として自ら家に招き入れてしまった。普通に考えたら、正妻としてこんな屈辱はない。真実を知ったときの彼女のショックはどれほどのものだったか、想像を絶する。
ともするとシリアスな物語になってしまいそうだが、持ち前の脳天気さを発揮してか、ダワン監督はそんな女心など全く気に掛けない。彼がフォーカスするのは、妻と愛人と同時に一つ屋根の下に住むことになるという異常シチュエーションに置かれたアルンの浮ついた心情である。これは男性のファンタジーといっていい。それを映画で実現してしまった。
どのようにまとめるのか見ものであったが、よく分からないままエンディングを迎えてしまった。おそらく収拾が付かなくなってウヤムヤにしたのだと思われる。最後の最後までいい加減な映画だった。
「Gharwali Baharwali」は、本当にこれでいいのかと疑問を感じながらストーリーが進み、その疑問が解決されないままエンディングを迎えるという、何とも後味の悪いコメディー映画である。心を鬼にして女性キャラたちの心情を全く無視し、重婚に憧れる男性たちのファンタジーをスクリーン上で実現した作品と捉えるならば、一定の楽しさはあるかもしれない。だが、いくら譲歩しても、とても日本で劇場一般公開するに値する作品だとは思えない。一体どうしてこの映画が日の目を見たのか、知りたいものである。