
1997年4月18日公開の「Koyla(石炭)」は、口の利けない主人公が愛を守り両親の仇を討つために立ち上がる、冒険いっぱいの復讐劇である。日本で劇場一般公開はされていないが、第一次インド映画ブームのときに、「コイラ 愛と復讐の炎」という邦題と共にDVD販売されたことがある。
監督はラーケーシュ・ローシャン。音楽はラージェーシュ・ローシャン、作詞はインディーヴァル。主演はシャールク・カーンとマードゥリー・ディークシト。悪役はアムリーシュ・プリー。他に、サリーム・ゴーシュ、ジョニー・リーヴァル、アショーク・サラーフ、ディープシカー・ナーグパール、ジャック・ガウル、ランジート、モホニーシュ・ベヘル、ヒマーニー・シヴプリー、ラザーク・カーン、クーニカー、ヴィカース・アーナンド、プラディープ・ラーワトなどが出演している。
農村に住むガウリー(マードゥリー・ディークシト)は、炭鉱を経営する老齢の好色なラージャー・サーブ(アムリーシュ・プリー)と無理やり結婚させられる。ラージャーは、シャンカル(シャールク・カーン)という名の、口が利けないが忠誠心の高い若者を使用人として住まわせていたが、彼の写真を使ってガウリーをだましたのだった。婚姻の儀式のときにガウリーはだまされたことに気付いたが、気を失っている間に婚姻を結ばれてしまう。
シャンカルは、自殺しようとしていたガウリーを助ける。以後、ガウリーはシャンカルのことを想うようになる。ラージャーの下ではビンディヤー(ディープシカー・ナーグパール)というセクシーな秘書が働いていたが、彼女はラージャーの弟ブリジワー(サリーム・ゴーシュ)に襲われそうになり、それを拒否したことで邸宅から追い出され、チャンダー・バーイー(ヒマーニー・シヴプリー)のコーター(娼館)に売り飛ばされる。
ガウリーの兄アショーク(モホニーシュ・ベヘル)はロンドンに住んでおり、彼女の結婚式に参加できなかった。帰郷したアショークはガウリーに会いにラージャーの邸宅を訪ねてくる。アショークはガウリーがだまされて結婚させられたことを知り連れ戻そうとするが、ラージャーに殺される。シャンカルはガウリーを連れて逃げ出す。ラージャーは、ブリジワーやカーシーナート警視長(プラディープ・ラーワト)にシャンカルとガウリーの捜索を命じる。二人はいったん逃げ切ったものの見つかり、捕まってしまう。シャンカルは喉を切られて崖から突き落とされ、ガウリーはコーターに売り飛ばされた。
シャンカルは地元民に助けられ一命を取り留めていた。しかも、喉を切られたことで声が出るようになった。彼が語ったところでは、彼の父親ハリヤー(ヴィカース・アーナンド)はラージャーの炭鉱で働く労働者だった。20年前、ハリヤーは炭鉱の中でダイヤモンドを見つけるが、ランビール(ジャック・ガウル)とディラーワル(ランジート)に母親と共に殺され、幼いシャンカルは口に石炭を詰め込まれて声が出なくなる。ランビールとディラーワルはカーシーナート警視長によって殺され、シャンカルはラージャーに育てられることになった。
回復したシャンカルはガウリーを探しに出る。ガウリーはビンディヤーに守られ身体を売らずに済んでいたが、ビンディヤーはブラジワーに殺され、彼女は売り飛ばされることになった。ガウリーを買ったのは、実は20年前に死なず、米国に亡命していたランビールだった。最近、彼はディラーワルと共にインドに戻ってきていた。シャンカルはガウリーを追おうとするがブラジワーに止められる。シャンカルはブラジワーと戦い、彼を殺す。
ランビールはガウリーを連れて自動車で移動していたが、運転を誤って崖から落ちる。ガウリーは逃げ出し、現れたシャンカルに助けられる。ランビールはシャンカルによって崖から突き落とされる。その後、ディラーワルもおびき出されて殺される。
次々に何者かによって相棒を殺され、ラージャーは憤慨する。そして、それがシャンカルであることを知って驚く。炭鉱で働く労働者たちは、ラージャーが数々の悪事に手を染めてきたことを知って怒り、石炭を投げつける。カーシーナート警視長は手榴弾で応戦しようとするが、シャンカルが彼を爆死させる。シャンカルは逃げるラージャーを追いつめ、石炭の火で焼死させる。
「Koyla」撮影時のラーケーシュ・ローシャンは、「Khudgarz」(1987年)、「Khoon Bhari Maang」(1988年)、「Khel」(1992年)、「King Uncle」(1993年)、「Karan Arjun」(1995年)などを立て続けに当てており、売れっ子監督になっていた。彼の作風は典型的なマサーラー映画であり、基本的に娯楽最優先で作りは大味である。「Koyla」は、確かにサービス精神満点ではあったが、人物設定などに雑な印象を受けた。
たとえば悪役のラージャーである。炭鉱を経営するラージャーは、労働者たちの前ではあたかも弱者思いの寛大なトップを演じている。だが、その本性は誰よりも差別主義者であり、自身の利益のことしか考えていない。裏では村の女性たちをレイプしたり邪魔者を殺したりしていた。これはこれで悪役として合格なのだが、彼のもうひとつの顔があった。それは、老齢になって精力が減退し、夜になって女性と事を致そうとしてもすぐに眠ってしまうという情けないものだった。その癖、若い女性に目がなく、村で見初めたガウリーと無理やり結婚したことで物語が動き出すのだが、ラージャー役を演じたアムリーシュ・プリーは、よくこんな破綻した悪役を引き受けたものだと不思議になる。
「Koyla」の肝になっているのは、口の利けない主人公シャンカルの存在だ。通常、マサーラー映画の主人公といえば、一騎当千、完全無欠の英雄のはずだが、シャールク・カーンが演じたシャンカルは、ラージャーに忠犬のように尽くす、言葉を失った哀れな青年だった。ただ、なぜか身体能力とサバイバル術にだけはずば抜けて長けていた。ジャングルに入ると、まるでランボーのようにあちこちにブービートラップを仕掛けてコマンドー部隊を一人で撃破する。
シャンカルは実は生来の唖者ではなかった。20年前の不幸な事件によって言葉を失ったのだった。この設定は、「Koyla」を復讐劇として完成させるために必要なものであった。だが、シャンカルがやたら強い理由は劇中では全く説明されていない。シャンカルが何者かよく分からないまま映画は幕を閉じる。
ヒロインのガウリーもその存在のミステリアスさで他のキャラに引けを取っていない。登場シーンから謎多き女であり、いきなり大麻を食べてラリってしまい、酔っ払った子供たちと一緒に村人たちに悪戯をして回る。そんなぶっ飛んだキャラではあるが、ラージャーと結婚した後は、何の変哲もない悲劇のヒロインに成り下がる。
このように雑然とした映画であったが、最後まで興味深く観ることができたのは、ラージャーとガウリーの結婚をどのように扱うのかという不確定要素があったからだ。インド映画では、ひとたび成立してしまった結婚は取り消せないというのがセオリーである。シャンカルとガウリーが結ばれるのが典型的なハッピーエンドの形だが、それを実現するためには、ラージャーとガウリーの結婚を無効化しなければならない。それがどうなるのか見守る2時間45分だった。
一応、ラージャーとガウリーの結婚にはひとつ不足があった。ガウリーはてっきりシャンカルと結婚するものだと考え、結婚を受け入れたが、婚姻の儀式の途中で結婚相手が老齢のラージャーであることを知って気を失ってしまう。それでもラージャーは儀式を続けさせ、無理やり彼女との結婚を成立させてしまう。果たして当事者が前後不覚の状態になっていたときに成立した婚姻は認められるものなのか。もしラージャーとガウリーの結婚が覆されるなら、攻めどころはここだろうと予想していた。
だが、「Koyla」は基本的にアクション映画であり、シャンカルとガウリーのロマンスは二の次にされていた。ラージャーの死でもって結末を迎えており、その後シャンカルとガウリーがどうなったのかは描かれていなかった。ただ抱き合う二人の姿が映し出されて幕が閉ざされる。シャンカルが死んだので、ガウリーは寡婦状態になり、シャンカルとの再婚の道は開かれている。だが、たとえ死別であっても、インド社会において女性の再婚は好意的に受け止められにくい。この微妙な問題には触れずに映画は終わってしまっていた。
アクションシーンにおいて迫力があったのは、ヘリコプターを使ったいくつかの場面だ。まだCGがそれほど一般的ではなかった時代、本物のヘリコプターを飛ばして撮影したと思われる。地上スレスレをヘリコプターが飛ぶようなシーンもあって、大きな見どころになっていた。
それはそれで良かったのだが、「Koyla」を観ていて不満に感じた点をもうひとつ付け加えるとしたら、ロケーションが特定されていなかったことだ。ラージャーの邸宅はラージャスターン様式だったが、ガウリーの住む村の寺院は南インドのドラヴィダ様式であり、シャンカルが崖から落ちて流れ着いた村は、ヒマーラヤ地方であった。実際に、タミル・ナードゥ州ウダガマンガラム(ウーティー)やアルナーチャル・プラデーシュ州のタワン県など、インドのあちこちでロケが行われたようである。だが、それらをそのまま使ってしまっていたので、いったいインドのどの辺りの物語なのか不明になっていた。こういうところもラーケーシュ・ローシャン監督の作品が大味に感じられてしまう要因だ。
シャールク・カーン、マードゥリー・ディークシト、そしてアムリーシュ・プリーなど、主要キャラを演じた俳優たちはそれぞれ精いっぱいの演技をしていたが、人物設定そのものがいい加減であるため、彼らの努力の大部分が無駄になっていたように感じた。コメディアンのジョニー・リーヴァルがいい意味で暴走しており、束の間の笑いを提供していて、映画の救いになっていた。
「Koyla」は、シャールク・カーンとマードゥリー・ディークシトという、1990年代を代表するスター俳優たちを主演に据えたアクション映画であるが、ラーケーシュ・ローシャン監督の大味さが悪い方向に出てしまっており、題名とは裏腹に不完全燃焼気味である。興行的にも失敗ではなかったが大成功というわけでもなかった。映画の内容を象徴する結果だ。それらを反映してか、観てもいいし観なくてもいいという曖昧な評価がやっとである。
