Yeh Dillagi

3.0
Yeh Dillagi
「Yeh Dillagi」

 1994年5月6日公開の「Yeh Dillagi」は、裕福な兄と弟が、運転手の娘を同時に好きになるという三角関係・階級差ロマンス映画である。題名は「悪ふざけ」という意味の単語「दिल्लगीディッラギー」と、「恋に落ちた」という意味のフレーズ「दिल लगीディル ラギー」(文法的には正しくない)が掛かっている。

 プロデューサーはヤシュ・チョープラーとウダイ・チョープラーの父子。監督は「Chandni」(1989年)で助監督を務めたナレーシュ・マロートラーで、本作が監督デビュー作となる。音楽はディリープ・セーン=サミール・セーン、作詞はサミール。

 主演はアクシャイ・クマール、サイフ・アリー・カーン、カージョルの3人。アクシャイは「Khiladi」(1992年)でスターの仲間入りし、サイフは「Aashiq Awara」(1993年)をヒットさせていた。一方のカージョルは「Baazigar」(1993年)を当てていた。つまり、公開時には3人とも注目の若手スターであった。

 他に、リーマー・ラーグー、サイード・ジャーファリー、デーヴェーン・ヴァルマー、アチュート・ポートダールなど。また、カリシュマー・カプールが特別出演している。

 シムラー在住の実業家バーヌプラタープ・サイガル(サイード・ジャーファリー)には妻シャーンティ(リーマー・ラーグー)との間に2人の息子がいた。長男のヴィジャイ(アクシャイ・クマール)は真面目な性格で、父親の事業を引き継ぎ仕事に精を出していた。次男のヴィクラム、通称ヴィッキー(サイフ・アリー・カーン)は遊び人で、女遊びばかりして過ごしていた。

 ダラムパール(アチュート・ポートダール)は長年サイガル家に仕える忠実な運転手だった。ダラムパールの娘サプナー(カージョル)は、サイガル家のように裕福になるのを夢見ていた。あるとき、ヴィッキーから辱めを受けたサプナーは、彼を見返すため、ボンベイに住む友人を頼ってシムラーを出る。

 ボンベイでトップモデルになったサプナーはシムラーに戻ってくる。サプナーはすっかり美人に変身していた。早速ヴィッキーはサプナーを口説こうとし、彼女が運転手の娘サプナーであることに驚く。そして彼女をデートに連れ出し、芝居を打ってホテルに連れ込んで、媚薬を飲ませて手込めにしようとする。だが、サプナーはヴィッキーの手口などお見通しで、逆に彼に媚薬を飲ませて眠らせる。サプナーは彼を自宅まで連れて行く。

 シャーンティは厳格な母親であり、ヴィッキーの部屋からサプナーが出てきたのを見て心配を募らせる。ヴィジャイはサプナーに何があったのかを聞きに行く。サプナーは責められていると感じて気を損ね、ヴィッキーの悪事を暴露する。そしてボンベイに戻ろうとする。ヴィッキーは駅まで彼女を追い掛けるが、彼女はヴィッキーに対して中身のない人間だという言葉を浴びせる。

 ヴィジャイはナーシクに建設予定の工場を視察しに現地へ飛ぶ。そこで自社製品のTVCMの撮影現場も訪れ、サプナーと再会する。ヴィジャイはサプナーと時間を過ごす内に彼女に惚れ込みプロポーズする。サプナーはそれを受け入れる。だが、一方でヴィッキーもサプナーに恋をするようになり、心を入れ替えて真面目に働くようになっていた。

 ヴィッキーの誕生日パーティーに、ヴィジャイはサプナーを連れて来る。ヴィジャイは、ヴィッキーがサプナーに好意を寄せていることを知り困惑する。サプナーもヴィッキーの気持ちを知り、ヴィジャイが自分をヴィッキーに譲ろうとしているのを見て彼を責める。また、シャーンティはサプナーを嫁として認めなかった。

 やがてヴィッキーもヴィジャイとサプナーが恋仲にあることを知ってしまう。ヴィッキーは自殺をほのめかして母親からサプナーとの結婚の承諾を引き出し、サプナーをヴィジャイに譲る。

 アクシャイ・クマール演じるヴィジャイとサイフ・アリー・カーン演じるヴィッキーは、まるでインド神話のラーマとクリシュナのようだ。ヴィジャイは長男らしく責任感の強い人間で、実直に仕事に没頭していた。一方、ヴィッキーはヴリンダーヴァンでゴーピー(牧女)と戯れるクリシュナのように複数の女性たちと浮名を流していた。性格が正反対のこの二人が同じ女性に恋をしてしまってさあ大変というのがこの「Yeh Dillagi」の主軸となるプロットである。

 二人が恋した相手は、サイガル家に運転手として仕えるダラムパールの娘サプナーであった。通常ならばこの階級差は結婚に当たって大きな障害になるはずである。運転手を雇っている家族の息子が、その娘と結婚することなど、インド社会の常識から考えてありえない。だが、サプナーとの結婚について強硬に反対をしているのは彼らの母親シャーンティのみで、意外にこのハードルは易々と越えられてしまう。よって、やはり三角関係の方が主眼の物語である。

 1990年代前半という時代を考慮に入れても、映画前半の展開はまとまりに欠き退屈である。しかも、女たらしのヴィッキーは、あろうことか、ボンベイで垢抜けて帰って来たサプナーを媚薬または睡眠薬を使って手込めにしようとする。はっきりいって犯罪である。これが彼のナンパ術の奥義だったのだろうか。そんな悪人には全く同情できないのだが、当時のインド社会または映画業界はよほど意識が低かったのか、ほとんど笑い事で済まされ、流されてしまっている。インドでは映画は人々の価値観に多大な影響を与える。模倣犯が出ないはずがないと心配になるのだが、どうだったのだろうか。

 だが、ヴィジャイがサプナーとの結婚を決め、ヴィッキーもサプナーへの恋に落ちる後半から物語にグリップ力が出て来る。この映画でもっとも力が込められているのは、ヴィッキーの誕生日パーティーにヴィジャイがサプナーを連れて現れるときに流れる「Lagi Lagi Hai Yeh Dil Ki Lagi」のダンスシーンだ。ヴィジャイとヴィッキーの兄弟は、同じ女性に恋してしまったことに気付かずに思いを歌う。それにサプナーも加わる。この緊張関係をよく歌詞にまとめていた。

 ヴィッキーが、ヴィジャイとサプナーの関係を知ってしまった瞬間に流れるパンカジ・ウダースの「Main Deewana Hoon」のシーンも素晴らしい。映画の題名になっている「Dillagi」という単語を歌詞の中に取り込みながら、恋に落ち恋に裏切られた心情を「人生に打ちのめされ、死が私を解放した」と歌っている。歌曲とストーリーの見事な融合で、ヤシュラージ・フィルムスの面目躍如だ。

 アクシャイ・クマールもサイフ・アリー・カーンもプレイボーイのイメージが強いのだが、今回はサイフがプレイボーイ役を演じ、アクシャイは真面目な長男を演じた。初々しい演技が見られるが、彼ら未来のスーパースターたちを完全に食っていたのがカージョルであった。この頃から既にお転婆娘役をエネルギッシュに演じている上に、目を寄せたり顔をしかめたりと、変顔を堂々として見せる余裕まで見せている。

 「Yeh Dillagi」は、アクシャイ・クマールとサイフ・アリー・カーンが兄弟役を演じ、カージョルを取り合うという三角関係を軸にしたロマンス映画だ。単なる恋敵ではなく、そこに兄と弟の絆を入れたことで立体的な物語になっている。前半は退屈だったが、後半が秀逸であり、歌曲が物語を盛り上げている。興行的に成功し、主演した3人の俳優にとって追い風になった。前半を我慢すれば楽しめる作品である。