Kaala Patthar

4.0
Kaala Patthar
「Kaala Patthar」

 1979年8月24日公開の「Kaala Patthar(黒い石)」は、炭鉱で働く炭鉱員たちの勇気と友情を劇画調に描いた物語である。「黒い石」とは石炭のことだ。1975年12月27日にビハール州(当時)ダンバードの炭鉱で発生したチャースナーラー炭鉱事故に触発されて作られた作品である。この事故では炭鉱で爆発があり、近くの廃坑に貯まっていた水が流れ込んで、375人の炭鉱員が溺死した。インド史上最悪の炭鉱事故とされている。

 監督はヤシュ・チョープラー。彼は「Waqt」(1965年)や「Deewaar」(1975年)を経てトップメーカーになっており、この「Kaala Patthar」もその勢いに乗って作られた作品だ。脚本家は売れっ子のサリーム=ジャーヴェード、音楽監督はラージェーシュ・ローシャン、作詞はサーヒル・ルディヤーンヴィーである。

 オールスターキャストの映画で、メインキャストはシャシ・カプール、アミターブ・バッチャン、シャトゥルガン・スィナー、ラーキー・グルザール、パルヴィーン・バービー、ニートゥー・スィンである。いずれも撮影時には押しも押されもしないスターであり、チョープラー監督と過去に仕事をしたことがある俳優ばかりだ。

 他に、パリークシト・サーニー、プレーム・チョープラー、サンジーヴ・クマール、プーナム・ディッローン、マダン・プリー、イフティカール、スダー・チョープラー、マックモーハン、シャラト・サクセーナー、スレーシュ・オベロイなどが出演している。

 2025年12月8日に鑑賞し、このレビューを書いている。

 ヴィジャイ・パール・スィン(アミターブ・バッチャン)は商船隊の船長だったが、沈没する船から逃げ出して乗客を死なせ、軍法会議に掛けられて軍属を剥奪された過去を持っていた。海軍の軍人である父親(イフティカール)からも勘当され、罪悪感にさいなまれながら彼は炭鉱に流れ着く。無口だがひたむきに仕事に取り組む姿勢と、いざとなったら自らの命を顧みず仲間を救う度胸は、周囲から一目置かれていた。だが、炭鉱のオーナーであるダンラージ・プリー(プレーム・チョープラー)は利潤の追求しか頭にない企業家であり、ヴィジャイの存在も疎んでいた。

 ラヴィ・マロートラー(シャシ・カプール)は新人エンジニアとしてプリーの炭鉱で働き始めた。プリーの友人の娘で記者のアニーター(パルヴィーン・バービー)が炭鉱の取材にやって来るが、彼女はラヴィの大学時代の友人だった。また、炭鉱近くにある診療所にはスダー・セーン(ラーキー・グルザール)という女医が新しく赴任する。スダーは怪我をしたヴィジャイの治療をしたことをきっかけに彼を知る。刑務所から脱走してきたマンガル・スィン(シャトゥルガン・スィナー)は炭鉱に流れ着いて働き出す。炭鉱の食堂でよく指輪を売っていたチャンノー(ニートゥー・スィン)はマンガルと親しくなる。

 ヴィジャイとマンガルはライバル関係になり、度々衝突するようになる。だが、ヴィジャイはマンガルがお尋ね者だと知っても、彼を警察に売り渡すことはしなかった。チャンノーも一時は5千ルピーの懸賞金に目がくらんで通報しようとするが、ゴロツキに襲われそうになったところをマンガルに助けられ、気を変える。ラヴィは、炭鉱の第4トンネルをこのまま掘り進めていけば、水が貯まった廃坑の壁にぶち当たり、炭鉱に水が流入して多くの炭鉱員が死ぬとプリーに警告するが、彼は炭鉱員の命など取るに足らないと考えており、埋蔵されている石炭を掘り出せなくなって被る損失の方を気にしていた。

 とうとう恐れていたことが起こった。ラヴィが炭鉱で監督をしているときに炭鉱に浸水が始まった。それを聞いたヴィジャイとマンガルは、炭鉱内に閉じこめられた炭鉱員たちを助け出すために炭鉱に下りる。ヴィジャイはラヴィを助け出すが、マンガルは命を落としてしまう。スダーから連絡を受けたヴィジャイの両親は現場に駆けつけ、彼の勇気を称える。

 石炭は独立インドの産業を支えた重要なエネルギー源であり、炭鉱を題材にした映画がいくつか作られている。その中でも「Kaala Patthar」はもっとも有名な作品だ。もちろん、映画の主な舞台は地下深くに掘られた暗い炭鉱になる。だが、恐怖の主になるのは暗闇ではない。地下に充満する有毒ガスでもない。代わりに登場人物たちの前に死となって立ちはだかるのは水である。映画の着想源になったチャースナーラー炭鉱事故で炭鉱員たちに死をもたらしたのは炭鉱内に流入した水だったことから、水の恐怖を中心に描いた映画になっている。

 水の恐怖を強調するため、それは炭鉱のみならず、沈没する船によっても表現されている。主人公ヴィジャイは、映画開始時には炭鉱員として紹介されるが、彼が過去にトラウマを抱えていることもほのめかされる。それがはっきりと明かされるのは、彼が女医スダーと心を通い合わせてからになるが、そのとき明らかになった話では、ヴィジャイは元々商船隊の船長であり、沈没する船から真っ先に逃げ出して乗客を見殺しにしたことで軍籍を剥奪された落伍者であった。遺族から「臆病者」と罵られたトラウマから、彼は人一倍、命を顧みず無謀な行動を取る癖があったのである。

 この水の表現にもっとも予算と労力がつぎ込まれた映画だと評しても誤りではないだろう。狭いトンネルのセットに大量の水がごうごうと流れ込み、俳優たちは水に浸かりながら死に物狂いで演技をしている。非常に危険な撮影だったのではなかろうか。その映像表現は、パニック映画の元祖である「ポセイドン・アドベンチャー」(1972年)を想起させた。

 ただ、基本的にはマサーラー映画であるので、ロマンスやアクションなど、その他の娯楽要素にも十分な時間が割かれている。ヴィジャイは女医スダーと結びつき、ラヴィは記者アニーターと心を通い合わせ、マンガルはチャンノーと接近する。それぞれの関係が育まれていく様子が楽曲付きで語られる。また、ヴィジャイとマンガルの決闘など、アクションシーンにも事欠かない。

 時代を感じさせたのは、私企業や資本家が悪者として描かれていたことだ。炭鉱を経営するプリーは利潤追求しか頭にない典型的な悪徳資本家であった。炭鉱員を虫けら扱いし、彼らの福祉はおろか安全すらも二の次にしてひたすら利益を追い求めていた。興味深いのは、国営の炭鉱が比較対象になり、いかに国営の方が素晴らしいかが強調されていた。私企業は早く国有化された方がいいという論調まで感じた。マルクス主義の影響を強く感じさせる映画である。

 また、わざとらしく献血のシーンが差し挟まれていたのも気になった。おそらく献血を広めるために故意にそのようなシーンが用意されたのだろう。重傷を負って出血多量になったマンガルをヴィジャイは献血して助ける。血液型を合わせるような細かい演出はなく、まるで誰でも誰にでも献血ができるような誤解を生んでしまいそうだった。

 メインキャストはそれぞれ持ち味を生かした演技をしていた。従来のヒーロー像に一番近いのはシャシ・カプールだ。正義感あふれる若手エンジニア役を明るく演じていた。残りの2人の男優たちはどちらかといえばダークヒーローである。アミターブ・バッチャンは辛い過去を背負った無口な男ヴィジャイ役であるし、シャトゥルガン・スィナーは殺人を犯して服役していた刑務所から脱走してきた訳ありお尋ね男だ。だが、この二人が対立しながらも最後には助け合い、炭鉱事故で閉じこめられた炭鉱員たちを救い出すのである。

 3人のヒーローに合わせて3人のヒロインが登場するが、メインヒロインを決めるのは難しいが、従来の正統派ヒロイン像からしたら、スダー役を演じたラーキー・グルザールであろうか。パルヴィーン・バービーはモダンで自立した女性役を演じており、当時既に定着していたイメージを踏襲していたが、出番は少なかった。ニートゥー・スィンはバンジャーラー(遊牧民)の女性役ということで、他の2人に比べると役柄の格は一段下がる。

 脇役の中で一人特筆するとしたらマックモーハンだ。彼は「Sholay」で演じたサーンバー役が当たりすぎて、生涯そのイメージから逃れられなかったが、「Kaala Patthar」で彼が演じたラーナーは、サーンバーよりもセリフが多い上に、最後に格好いいシーンも用意されており、この役でもっと記憶されてもいい俳優だと感じた。炭鉱員の一人ラーナーはティーン・パッティー(賭けトランプ)の名人で誰にも一度も負けたことがなかった。炭鉱で事故が起きたときにラーナーは炭鉱にいた。彼は4人の仲間と共にリフトまでたどり着くが、そのリフトには4人しか乗れなかった。ラーナーは誰が先にリフトに乗るか決めるためにトランプを引くことを提案する。イカサマを織り交ぜて無敵の強さを誇ったラーナーであったが、このとき初めて彼は負けてしまう。それは彼が最後に運に見放されたと捉えることもできるのだが、イカサマなどお手の物だったラーナーのこと、わざと一番弱いカードを引いたと捉えた方がいいだろう。結局、リフトが下りてくるまでに水がトンネルを満たしてしまってラーナーは死んでしまうのだが、マンガルに勝るとも劣らない格好いい死に様であった。

 「Kaala Patthar」は、実際に起こった炭鉱事故を着想源としながらも、ヤシュ・チョープラー監督とサリーム=ジャーヴェードがあらゆる娯楽要素を盛り込み、愛と友情と勇気の物語に仕上がった渾身の作品である。大量の水が炭鉱に流れ込む映像表現も当時としてはかなり迫力のあるものだったと思われる。興行的に成功を収めたのは当然で、チョープラー監督の名作の一本に数えられている。必見の映画である。