Kismet

4.0
Kismet
「Kismet」

 1943年1月9日公開の「Kismet(運命)」は、インド映画史上初のブロックバスターヒットとして記録されているロマンス映画の金字塔である。世界では第二次世界大戦が勃発し、インド国内では独立運動が盛り上がっている中、公開されて国民の愛国心を高揚させた作品としても重要だ。

 監督はギャーン・ムカルジー。インド娯楽映画の「フォーミュラ」を確立した人物として知られており、「Kismat」には「悪因悪果(Crime doesn’t pay)」、「男女の出会い(Boy meets Girl)」、「別離と再会(Lost and Found)」などの要素が組み込まれた。プロデューサーはボンベイ・トーキーズのサシャーダル・ムカルジー。ボンベイ・トーキーズ創立者のヒマーンシュ・ラーイはこのとき既に亡く、ムカルジーは彼の妻デーヴィカー・ラーニーとボンベイ・トーキーズの所有権争いをしていた。

 主演は1930年代からヒンディー語映画界に君臨していたスーパースター、アショーク・クマール。「Kismat」撮影時には彼は「Achhut Kannya」(1936年)や「Jhoola」(1941年)などを当てていた。ヒロインはムムターズ・シャーンティ。彼女も「Basant」(1942年)を当て、注目されていたときの起用だった。

 他に、シャー・ナワーズ、VHデーサーイー、PFピターワーラー、チャンドラプラバー、カーヌー・ロイ、デーヴィッド、ハルーン、ムバーラクなどが出演している。

 スリや泥棒を生業とし、刑務所と娑婆を往き来するシェーカル(アショーク・クマール)は、劇場インドラマハルに女優として出演するラーニー(ムムターズ・マハル)と出会い、彼女の家に借家人として住むことになる。ラーニーの父親(PFピターワーラー)はかつて劇場のオーナーだったが、部下のインドラジート(ムバーラク)に乗っ取られ、姿をくらましていた。後に残されたラーニーは、妹のリーラー(チャンドラプラバー)と共に貧しい生活を送りながら父親の帰りを待ちわびていた。ラーニーは幼い頃から踊りが大好きだったが、厳しい練習に耐えきれず足を怪我してしまい、踊れないばかりか歩行も困難になっていた。ラーニーはインドラジートに多額の借金をしており、彼のマネージャー(ハルーン)から利子の催促を受けていた。もし利子を払えなかったら家を売り払われ、追い出されることになっていた。また、リーラーはインドラジートの次男モーハン(カーヌー・ロイ)と密かに付き合っていた。

 シェーカルはラーニーに恋するようになり、彼女の願望をひとつひとつかなえてあげようとする。ラーニーが利子の支払いに困っていると、彼は泥棒をして手にした金をインドラジートに渡した。ラーニーが子供の頃に父親からもらった真珠の首飾りは今ではインドラジートの妻の所有物になっていたが、シェーカルはたまたまそれを盗み出しており、質屋から取り戻して彼女に贈った。ラーニーの足の手術に1,500ルピーが必要だと分かると、彼は相棒のバンケー(VHデーサーイー)と共にインドラジートの金庫から金を盗み出そうと画策する。また、リーラーはモーハンの子を妊娠してしまう。それを知ったラーニーはインドラジートにモーハンとリーラーの結婚を認めるようにお願いするが、インドラジートは10,000ルピーの持参金を払わなければ認めないと言う。

 ラーニーはシェーカルからもらった首飾りを付けてステージに立ったが、それをインドラジートに見られてしまい、彼女は警察に逮捕されそうになる。シェーカルは、首飾りを盗んだのは自分だと自首し、ラーニーを救う。だが、ラーニーはシェーカルが泥棒だと初めて知り、ショックを受ける。シェーカルは、ラーニーの足の手術がまだ実現していなかったため、脱走し、バンケーと共にインドラジートの金庫から金を盗み出す。そして、医者に1,500ルピーを渡し、ラーニーの手術をするように頼む。

 ラーニーは、何も知らないまま手術を受け、徐々に杖がなくても歩けるようになる。シェーカルは彼女の様子を見に病院を訪れるが、警察が待ち構えており、逃げ出す。一方、モーハンから捨てられたと感じたリーラーは家出をするが、父親と再会し保護される。インドラジートはシェーカルをおびき寄せるため、回復したラーニーを主演にしたショーを企画する。このショーには、シェーカルの他、ラーニーとリーラーの父親、モーハン、リーラーなどが駆けつける。

 ラーニーはステージの上で踊りを踊り、回復した姿をシェーカルに見せる。ショーが終わった後、シェーカルは逮捕され、インドラジートの前に連れ出される。だが、実はインドラジートはシェーカルを捕まえようとはしていなかった。インドラジートの長男マダンは子供の頃に家出をしてしまっていたが、彼はシェーカルこそがマダンなのではないかと疑っていた。シェーカルもそれを認め、親子は再会を喜ぶ。ラーニーはショーに出演する条件の中に盗難の被害届を取り下げることを盛り込んでいた。インドラジートは喜んで被害届を取り下げる。また、モーハンとリーラーの結婚も認める。インドラジートの妻はラーニーを「嫁」と呼び、息子との結婚を促す。ラーニーとリーラーの父親も現れ、娘たちの結婚が決まったことを聞いて喜ぶ。

 アショーク・クマール演じる主人公シェーカルは、スリや泥棒などに長けた軽犯罪者だった。刑務所から釈放されたその日に早速スリをするほど盗みを生業としていたが、決してダークなキャラではなく、むしろ紳士的なキャラとして描かれていた。インド映画において、スリや泥棒のような「アンチヒーロー」を主人公にしたのは「Kismet」が初めてとされており、当時としては画期的な設定だったと思われる。この明るい「アンチヒーロー」像は、ラージ・カプールの「Awaara」(1951年)やデーヴ・アーナンドの「Guide」(1965年)などに引き継がれることになる。

 それにしても「Kismet」では人がよく家出をする。ラーニーとリーラーの父親は事業に失敗し、娘たちを捨てて出奔してしまっていた。モーハンの子を宿したリーラーは、彼との結婚が実現しなさそうだと分かると姉に黙って家出をしてしまう。シェーカル自身も子供の頃に家出をしたたま泥棒になったのだった。

 そんな無責任な人々ばかりがいる中で、シェーカルは盗みをきっかけにして人を疑うということを知らない純真なラーニーと出会い、彼女の家に借家人として住むようになる。もしかしたらシェーカルは隙を見てラーニーの家から何かを盗み出そうとしていたのかもしれない。だが、その前に彼はラーニーの父親と出会っており、彼女の話も聞いていた。劇場のステージに立つ彼女の姿も見ていた。ここは彼女に一目惚れして接近したと素直に受け止めた方が良さそうだ。

 物語の軸になるのは、ラーニーの足と借金だ。シェーカルは、再びステージで踊りたいというラーニーの夢をかなえるため、彼女の足を治そうとする。そのためには多額の手術代が必要だったが、盗みの天才であるシェーカルにとってそれは朝飯前だった。もし踊れるようになればギャラも増え、ラーニーの父親がこしらえた借金の返済も容易になるはずだった。

 これらに、リーラーの妊娠とインドラジートの息子マダンというサイドストーリーが加わる。リーラーはインドラジートの次男モーハンと恋仲にあり、妊娠していた。婚前交渉と妊娠という要素も独立前のインドでは非常に斬新であった。二人の結婚の障害になっていたのは見たところ経済格差のみだった。カースト云々は持ち出されず、持参金のみが問題になっていた。この点は現代の視線から見ると意外にリベラルに感じられる。ただ、ラーニーはただでさえ借金に苦しんでいたため、インドラジートが提示する10,000ルピーもの持参金を用意することは不可能に近かった。ちなみに、この頃にはまだ持参金禁止法は施行されておらず、持参金を公然と要求することは普通だったと思われる。

 もうひとつのサイドストーリーがマダン関連のものである。インドラジートにはマダンとモーハンという2人の息子がいたが、短気だった長男のマダンは継母と折り合いが悪く、あるとき怒って家を出たまま帰らなくなってしまった。それ以来、インドラジートはマダンを探し続けていたが、それがシェーカルだったというオチである。予想ができた展開だったし、蛇足にも感じた。シェーカルがマダンだと分かった直後に、借金、リーラーとモーハンの結婚、ラーニーと父親の再会など、最後の数分間でさまざまなことが一気に解決するのだが、過剰な予定調和だと感じる人も少なくないだろう。ラーニーとリーラーを残して出奔した父親が一番無責任でひどい人間だと思うのだが、彼は自分でほとんど何もすることなしにハッピーエンドを迎えていたのは気になった。

 この映画でもっとも話題に上るのは、序盤に登場する劇中歌「Door Hato O Duniya Walon, Hindustan Hamara Hai(どけ、世界の者よ、インドは我々のものだ)」である。ビルマまで含めた「統一インド」の地図が映し出された後、タージマハルやクトゥブ・ミーナールなどインドが誇る文化遺産に触れながら、愛国的な歌詞が歌われる。「Kismet」が公開されたのは第二次世界大戦中であり、宗主国の英国はドイツや日本と敵対していた。この歌にも「Tum na kisi ke aage jhukna, German ho ya Japani(誰にも屈するな、ドイツであろうと日本であろうと)」と歌われていて、ドイツや日本を敵国として名指しした戦意高揚曲になっている。だが、これは英国当局の検閲を通過するためにあえてドイツや日本に具体的に言及しただけであり、その真意は誰の目にも明らかであった。これは、マハートマー・ガーンディーが主導した「インドを去れ」運動に呼応した独立運動応援歌であり、真の敵は英国であった。「Kismet」が大ヒットしたのも、反英のメッセージが盛り込まれた映画だったからといえる。

 「Door Hato O Duniya Walon」以外にも名曲揃いの映画である。「Dhire Dhire Aa Re Badal, Mera Bulbul So Raha Hai(ゆっくり来て、雲よ、私のヒヨドリは眠っているから)」、「Ai Duniya Bata, Ghar Ghar Mein Diwali Hai(おお、世界よ、教えて、家々にディーワーリー祭が来た」、「Ham Aisi Qisamat Ko, Ek Din Hansaaye(このような運命をいつか笑わせよう)」などが物語を盛り上げている。まだ「インディアン・ソプラノ」の象徴ラター・マンゲーシュカル登場前であり、女声ボーカルがアルトを基調としているのが時代を感じさせる。

 「Kismet」は、当時のスーパースターであるアショーク・クマール主演の大ヒットしたロマンス映画という事実以上に、反英のメッセージが密かに込められた独立運動応援映画として非常に重要な、独立前の作品である。アンチヒーロー、男女の出会い、別離と再会など、その後の娯楽映画のフォーミュラとなった要素を確立させた映画としても注目すべきだ。今観るとさまざまな要素を詰め込み過ぎているようにも感じられるが、インド映画史上非常に重要な作品であることには変わりがない。


Kismet {HD} - Ashok Kumar - Mumtaz Shanti - Shah Nawaz - Old Hindi Full Movie