Haraamkhor

3.0
Haraamkhor
「Haraamkhor」

 2015年5月にニューヨーク・インド映画祭でプレミア上映され、インドでは2017年1月13日に公開された「Haraamkhor(ろくでなし)」は、農村部の教師と女学生の間の、禁断の情事の物語である。監督はシュローク・シャルマー。「Gangs of Wasseypur」(2012年)などで助監督をしており、長編映画の監督は初となる。

 主演はナワーズッディーン・スィッディーキー。他に、「Masaan」(2015年)のシュエーター・トリパーティー、トリマーラー・アディカーリー、ムハンマド・サマド(子役)、イルファーン・カーン(子役)、ハリーシュ・カンナー、シュレーヤー・シャーなどが出演している。

 シャーム・テークチャンド(ナワーズッディーン・スィッディーキー)は、マディヤ・プラデーシュ州の農村の女子校で教師をする傍ら、自宅で私塾を開いていた。シャームにはスニーター(トリマーラー・アディカーリー)という妻がいたが、子供はいなかった。警察官ラグヴィール(ハリーシュ・カンナー)の娘サンディヤー(シュエーター・トリパーティー)は、学校と塾でシャームの教え子であった。サンディヤーの母親は行方をくらましており、ラグヴィールは別の女性ニールー(シュレーヤー・シャー)と懇意にしていた。

 カマル(イルファーン・カーン)とミントゥー(ムハンマド・サマド)はシャームの塾に通う子供たちだった。カマルはサンディヤーに恋しており、何とか告白しようと作戦を練っていた。だが、ミントゥーは、シャームとサンディヤーの仲が怪しいと見ていた。調べてみると、案の定、シャームとサンディヤーはただならぬ仲にあった。

 サンディヤーは、母親に捨てられた悲しみや、父親があまり帰ってこないことからくる孤独感などを抱えて生きており、いつしかシャームと身体の関係になっていた。あるとき、サンディヤーの生理が来なくなる。シャームはサンディヤーを町まで連れていき、受診されるが、単に生理が遅れただけだということが分かり、安心する。その産婦人科の看護師を務めるのがニールーだったが、彼女はそのことをラグヴィールには黙っていた。

 このことをきっかけにシャームはサンディヤーとの関係を清算することにする。ラグヴィールもニールーとの再婚をサンディヤーに明かし、テストが終わったら町へ引っ越すことになっていた。だが、カマルとミントゥーは腹いせに、シャームの留守中に彼の家に侵入し荒らし回る。シャームは、カマルとミントゥーの仕業だと気づき、彼らを追い掛ける。シャームはミントゥーを絞め殺してしまい、カマルはシャームの頭に岩を落として殺す。カマルに連れられて現場に行ったサンディヤーは、雨の中、泣いて座り込む。

 映画の冒頭では、学校に通う児童生徒、特に女の子が直面する危険についての注意書きが提示される。よって、教師が女子児童・生徒に対して行うセクハラや性的搾取がテーマの映画だと思って観ていた。だが、上からの一方的なセクハラや性的搾取の物語だとは感じられなかった。おそらく映画を公開するにあたって、検閲の過程上、その注意書きが加えられただけで、監督の意図とは異なるのだろう。

 物語の中心となるのは、教師シャームと女子生徒サンディヤーの恋愛である。シャームは30代~40代の設定で、サンディヤーは中学生くらいの設定だと思われる。よって、まずは年齢差のある恋愛であるし、しかもシャームにはスニーターという妻がいたので、不倫関係にもなる。シャームが一方的にサンディヤーの搾取をしているわけではなく、むしろサンディヤーの方がシャームに惚れ込んでいたところもあった。サンディヤーは母親に捨てられ、父親と共に過ごす時間も少なかったため、その孤独感を埋めるために、父親ほど年齢の離れた男性に依存するようになったのだと思われる。ただ、なぜ二人がそんな近い関係になったのかは描かれていない。

 シャームとサンディヤーは肉体関係を結ぶようになる。そして当然の帰結として妊娠疑惑が持ち上がる。幸い、単なる生理の遅れであったが、このことをきっかけにシャームはサンディヤーとの関係を教師と生徒の関係に戻すことにする。また、偶然、父親の再婚相手ニールーが、検診したクリニックの看護婦だったこともあって、サンディヤーとニールーの間に関係性が生まれる。

 サンディヤーにとって幸いだったのは、ニールーが非常に理解のある女性だったことだ。ニールーも、まずは母親に捨てられ、次に恋人に捨てられた過去を持っていた。サンディヤーがどんな問題を抱えているかを瞬時に察知し、彼女の味方をしてくれる。一般的なマサーラー映画ならば、この偶然から大事件が起きるところだったが、「Haraamkhor」ではニールーの寛容な態度により事が大きくならずに済んだ。サンディヤーとニールーのこの出会いは、サンディヤーにとって明るい未来が待っていることを予感させた。

 物語のもうひとつの中心は、カマルとミントゥーのエピソードである。カマルはサンディヤーよりも年下のはずだが、サンディヤーに一方的に恋していた。一度、カマルはサンディヤーが入浴しているところを覗き見してしまった。「男女がお互いに全裸の姿を見たらその二人は夫婦になる」といういい加減な情報を信じ、カマルはサンディヤーに自分の全裸を見せようと作戦を練る。シャームとサンディヤーの恋愛に比べたら、その低脳振りに苦笑してしまうが、彼らの幼稚な行動が結果的には破滅的な結末をもたらす。

 物語をシャームとサンディヤーに集中させていれば、もっとシンプルな映画になったのではないかと思う。ミントゥーとシャームが死ぬという極端で破滅的な結果ではなく、生徒と性的関係を持った教師の身の上に焦点が当てられただろう。だが、彼が死んでしまったために、彼の行動が法律上または社会通念上、どういう結果をもたらし得るのかが曖昧になってしまっていた。

 ヒンディー語映画界を代表する演技派男優ナスィールッディーン・シャーがまたも素晴らしい演技を見せていた。それに比肩するぐらい良かったのは、サンディヤーを演じたシュエーター・トリパーティーだ。撮影時には30歳近かったはずだが、童顔のおかげか、演技力なのか、女子中学生にしか見えなかった。「Raanjhanaa」(2013年)でも同年齢のソーナム・カプールが20代後半で女子中学生を演じていたが無理があった。それと比べると彼女の役へのはまり具合は異類であった。

 ヒンディー語映画界はいい子役俳優に恵まれるようになって久しく、カマルとミントゥーを演じたイルファーン・カーンとムハンマド・サマドも、子供らしい元気溢れる演技をしていた。

 「Haraamkhor」は、教師と女子生徒の間の禁断の恋愛を描いた作品である。教師によるセクハラや未成年との性交などの社会問題を取り上げようという意思は希薄で、純粋に恋愛映画として捉えるべきであろう。ナワーズッディーン・スィッディーキーやシュエーター・トリパーティーなどの名演が見所である。