インドにおいて、今でこそ「テロリスト」と言えば真っ先にイスラーム教徒過激派が思い浮かぶのだが、1980年代にはスィク教徒の方がそのイメージを持たれていた。なぜなら、パンジャーブ州の自治・独立を求めるカーリスターン運動が絶頂期にあり、インド政府に反旗を翻すスィク教徒過激派が目立っていたからである。その指導者ジャルナイル・スィン・ビンドラーンワーレーはアムリトサルにあるスィク教総本山ゴールデン・テンプルを占拠して要塞化し、インド政府に敢然と立ち向かった。当時首相を務めていたインディラー・ガーンディーは、1984年6月1日、オペレーション・ブルースターを実行に移し、インド陸軍を投入してゴールデン・テンプルを攻撃した。この作戦で多くの人々が亡くなり、ビンドラーンワーレーも殉死した。
スィク教の総本山を攻撃し、指導者を殺したインディラー・ガーンディー首相に対し反感を抱くスィク教徒は少なくなかった。あろうことか、ガーンディー首相の護衛を務めていたスィク教徒が同年10月31日、彼女に発砲し、暗殺してしまった。このニュースが広まると、人々はスィク教徒に対し報復攻撃を開始し、それは虐殺と化した。スィク教徒への攻撃は11月3日まで続き、何千人ものスィク教徒が殺害されたとされている。
2016年10月21日公開の「31st October」は、1984年10月31日に起こったインディラー・ガーンディー首相暗殺と、それに伴うスィク教徒虐殺を主題にしたドラマ映画である。過去にも「Amu」(2005年)という映画がスィク教徒虐殺をテーマにしていたが、「Amu」はどちらかと言えば現代の視点から過去を回想した作品だった。それに対し「31 October」は、正に現在進行形で起こっているスィク教徒虐殺の様子を追う作品だった。
監督はシヴァージー・ローターン・パーティール。デビュー作のマラーティー語映画「Dhag」で国家映画賞を取った監督だが、ヒンディー語映画の監督は初めてである。キャストは、ソーハー・アリー・カーン、ヴィール・ダース、ラカー・ラクウィンダル・スィン、ディープラージ・ラーナー、ヴィニート・シャルマー、ナーゲーシュ・ボーンスレー、ダヤー・シャンカル・パーンデーイなどである。
1984年10月31日、インディラー・ガーンディー首相が暗殺された。その知らせは徐々にデリーの街に広がって行った。ダヴィンダル・スィン(ヴィール・ダース)が職場を早退して家に戻ると、2人の息子たちも学校が早く終わったために家に帰って来ていた。妻テーンジンダル・カウル(ソーハー・アリー・カーン)と赤子も無事であった。しかし、街の雰囲気が急速に悪くなって行き、遂にスィク教徒に対する暴行が始まった。 ダヴィンダルの親友であるヨーゲーシュ(ラカー・ラクウィンダル・スィン)、パール(ディープラージ・ラーナー)、ティラク(ヴィニート・シャルマー)は、ダヴィンダルと妻子を救うため、自動車に乗って彼の家まで行く。ダヴィンダルは自動車のトランクに隠れ、2人の息子たちは女の子の服を着せて、自動車に乗り込む。 彼らは暴徒を何度かやり過ごすが、途中で検問をしていたダヒヤー警部補(ナーゲーシュ・ボーンスレー)に見つかってしまい、ヨーゲーシュは殺される。それでも何とか彼らはダヴィンダルと妻子を安全な場所に連れて行くことに成功する。
1984年10月31日のスィク教徒虐殺は、自然発生的な虐殺と言うよりも、インディラー・ガーンディーを暗殺されたことで憤った国民会議派の支持者たちが、政治家の指示に従って組織的に虐殺をしたと言われている。ガーンディー首相の息子ラージーヴ・ガーンディーも、「木が倒れたときには地面は揺れる」と述べ、虐殺を正当化したとも取れる発言をして物議を醸した。
「31st October」は、スィク教徒虐殺に翻弄された一家の惨劇を中心に、あくまで庶民の目線からこの出来事を純粋に再現した作品だ。そこに国民会議派を名指しで糾弾するような政治的意図は希薄で、スィク教徒虐殺が組織的に行われたことを示唆するようなシーンは見当たらなかった。唯一、映画の最後に表示されるキャプションにおいて、虐殺に関わった人々が罰せられていない旨が伝えられるのみである。
この映画が求めているのは、虐殺の犠牲者となったスィク教徒たちの救済である。事件から30年以上が経った今でも正義は十分になされていない。一方で、そのような危機的な状況の中でも、スィク教徒を匿い、彼らの命を助けた人々もいた。そのことが強調されていた。また、スィク教徒に限らず、インドに限らず、世界のどこであっても、誰であっても、虐殺の対象となることがあってはならない。そんな主張がなされている映画であった。
主張はよく分かったが、映画としての質はいまひとつだった。ダークなテーマだったので娯楽性を高めることはできなかったと思うが、より緊迫感を出したり、感情の描写を工夫したりしていれば、もう少し惹き付ける映画になっていたのではないかと思う。
スィク教徒男性は、ターバンをかぶり、豊かな髭を蓄えているため、外見からスィク教徒だと判断されやすい。その一方で、女性の方はあまり外見的な特徴がなく、自分から明かさなければスィク教徒であることは分からない。「31st October」でも、ダヴィンダルの方は自動車のトランクに隠れて移動しなければならなかったが、その妻テージンダルはそのまま移動することができた。彼らの二人の息子たちが女装しなければならなかったのは、スィク教徒は男性であっても子供の頃から長髪だからである。スィク教の戒律は、毛を切ったり剃ったりすることを禁じている。髪の毛を切らずに暴動の中を表立って移動するためには、女装するしか方法がなかった。
キャストの中ではソーハー・アリー・カーンが最も名の知れた女優となる。だが、彼女の出番や台詞は少なく、主演と呼んでいいのか迷う。ヴィール・ダースも一応主演と言えるかもしれないが、後半ではトランクの中に隠れているだけになってしまい、やはり出番に乏しい。どちらかと言えば、ダヴィンダルとテージンダルを助けた3人の友人たちなど、周囲のキャラの方が演技の見せ場が多かった。
「31st October」は、1984年10月31日に発生したスィク教虐殺を題材にした映画である。キャストの中にソーハー・アリー・カーンの名前が見えるが、彼女の出番は少なく、典型的な娯楽映画でもない。犠牲となったスィク教徒たちの救済が行われていないことの主張と、虐殺の中にあっても助け合いの精神が発揮されたことの賞賛が行われている作品である。