新型コロナウイルスはインドの映画産業に大きな打撃をもたらした。感染予防対策としてロックダウンが実行されたことにより、映画館が封鎖され、新作映画の公開が途絶えた。映画産業に関わる人々も仕事を失うこととなった。だが、危機は新たなチャンスをもたらす。インターネットを介した映画の公開を行うOTTプラットフォームが隆盛し、映画の新しい楽しみ方が普及した。
2020年12月18日にAmazon Prime Videoで配信開始されたヒンディー語映画「Unpaused」は、正にコロナ禍の申し子のような映画だ。コロナ禍のロックダウンを主題にした5つの小話から成るオムニバス形式の映画で、感染対策をしながら撮影された。しかも、OTTリリースされたのである。
新進気鋭の監督5人が、それぞれ1話25分程度の小話を撮っている。各小話には題名も付いているので、ひとつひとつ簡単に紹介して行く。
第1話は「Glitch(故障)」。監督は「Go Goa Gone」(2013年/邦題:インド・オブ・ザ・デッド)のラージ・ニディモールー&クリシュナDK。全5話の中では唯一のSF的作品で、COVID-19ならぬCOVID-30の感染が拡大しロックダウン中の、未来のインドを舞台としている。主演はグルシャン・デーヴァイヤーとサイヤミー・ケール。
アハーン(グルシャン・デーヴァイヤー)はオンラインデートサービスでアーイシャー(サイヤミー・ケール)と出会う。アーイシャーはワクチン開発者であったが、世間からは「ウォーリアー」と呼ばれ、怖れられていた。また、アーイシャーは聾唖者で、手話を使って会話をしていた。アーイシャーに恋したアハーンは、長いこと家を出ていなかったが、防護服を着て外に出て、アーイシャーに会いに行く。
第2話は「The Apartment」。監督は「Kal Ho Naa Ho」(2003年)で有名なニキル・アードヴァーニー。主演はリチャー・チャッダー、スミート・ヴャース、イシュワーク・スィン。
夫のサーヒル(スミート・ヴャース)が職場の若い女性にセクハラをしていたことが分かり、ショックを受けたデーヴィカー(リチャー・チャッダー)は自室で首吊り自殺しようとする。そのとき呼び鈴が鳴り、出てみると、最近下の階に引っ越して来たという青年チラーグ(イシュワーク・スィン)であった。デーヴィカーは何とか再起しようとするが、やはりダメで、もう一回自殺しようとする。すると、またチラーグが呼び鈴を鳴らした。デーヴィカーは、チラーグは向かいの棟の住人で、彼女の行動を見て助けに来ているのだと気付く。デーヴィカーはチラーグから、夫に向かい合う勇気をもらう。
第3話は「Rat-A-Tat」。監督は「Roam Rome Mein」(2019年)で監督デビューした、タニシュター・チャタルジー。主演はリレット・ドゥベーとリンクー・ラージグル。
アルチャナー(リレット・ドゥベー)は、気難しい性格から、同じアパートの住人たちから距離を置かれている老女であった。新しく同じアパートに引っ越して来たプリヤンカー(リンクー・ラージグル)は、家にネズミが出ることから、アルチャナーの家に転がり込む。世代が異なり、世界観も異なる二人の女性は、会話をする中で心を通い合わせて行く。
第4話は「Vishaanu(ウイルス)」。監督は「Masaan」(2015年)などで撮影監督を務めたアヴィナーシュ・アルン・ダーワレー。主演はアビシェーク・バナルジーとギーティカー・ヴィディヤー・オーリヤーン。
ロックダウンの中、マニーシュ(アビシェーク・バナルジー)と妻スィーマー(ギーティカー・ヴィディヤー・オーリヤーン)は、息子と共に、高級マンションの一室に忍び込んで住んでいた。その部屋の主はどこかへ行って帰って来られなくなったようであった。マニーシュとスィーマーは密かにTiktokにダンス動画をアップして楽しんでいたが、それが有名になってしまい、遂に見つかってしまう。彼らは部屋を出て、ラージャスターン州の故郷へ向けて歩き出す。
第5話は「Chand Mubarak」。この題名は、ラムザーン月に断食を続けて来たイスラーム教徒が、月を見て断食月の終わりを知り、お互いに祝意を述べ合うときに使われる言葉である。「月、おめでとう」と言った意味になる。監督は「Baar Baar Dekho」(2016年)のニティヤー・メヘラー。主演はラトナー・パータク・シャーとシャルドゥル・バールドワージ。
ウマー(ラトナー・パータク・シャー)は孤独なオールドミスだった。ロックダウン中のある晩、薬を買いに出掛けたが、警察に止められ、無理矢理リクシャーに乗せられる。その運転手がラフィーク(シャルドゥル・バールドワージ)であった。神経質なウマーはラフィークに心を開かないが、彼の親切な対応によって次第に打ち解けるようになる。断食月が終わる日、ラフィークはウマーを公園に連れて行き、一緒に断食を終える。ウマーはラフィークにイーディー(お小遣い)として電話を与える。
以上の5話である。5人の監督の内、女性監督は2名。まだデビュー間もない監督もおり、第一には彼らの習作のような作品が多かった。また、コロナ禍の中で、感染対策に気を遣いながら映画を作ること自体が実験となっており、その状況をうまく映画に活かす工夫も見られた。そして何より、全5作に共通していたのは、コロナ禍においてかえって結びついた人と人とのつながりがあることを示していたことである。
それぞれに美点のある作品群だったと思うが、より心に響いたのは、女性監督が撮った、第3話「Rat-A-Tat」と第5話「Chand Mubarak」であった。どちらも、気難しい老女が主人公であるという共通点があり、また、その主人公が、コロナ禍だからこそ巡り会えた他人に、徐々に心を許していく過程が丁寧に描写される点でも共通していた。コロナ禍で様々なことが制約される世の中になってしまったが、その中でも、もしくはそんな中だからこそ、人は人と結びついて行くことが静かに、だが力強く語られており、コロナ禍の観客を勇気づける作品になっていた。
「Unpaused」は、コロナ禍においてコロナ禍を題材に作られたオムニバス形式のヒンディー語映画である。新進気鋭の監督たちが、25分ほどの小話を、様々な工夫を凝らしながら撮っている。特に女性監督2人の才能に光るものを感じた。