ホーリー祭前日の今日、PVRプリヤーで2005年3月25日公開の新作ヒンディー語映画「Zeher」を鑑賞した。「Zeher」とは「毒」という意味。プロデューサーはムケーシュ・バット、監督はモーヒト・スーリー(新人)、音楽はループ・クマール・ラートール。キャストは、イムラーン・ハーシュミー、シャミター・シェッティー、ウディター・ゴースワーミー、サミール・コーチャルなど。
スィッダールト(イムラーン・ハーシュミー)はゴア州警察に勤めていた。妻のソニア(シャミター・シェッティー)とは3ヶ月前に別居状態になっており、スィッダールトの私生活は荒れていた。それでも、スィッダールトはゴアで暗躍していた麻薬の売人を逮捕し、大量のコカインと現金を押収することに成功する。 同じ時期に、スィッダールトと腐れ縁で、ドバイに飛んで一儲けしたチンピラ、シャウン(サミール・コーチャル)がゴアに戻って来る。シャウンはアンナ(ウディター・ゴースワーミー)という若い妻を連れていた。アンナは夫に怯えているように見え、スィッダールトは何となく心配になる。 ある晩、アンナから通報があったため、スィッダールトは彼女の家へ急行する。しかし、家では何も起こっていなかった。アンナは「夫は今ムンバイーに行っていていないの」と言い、服を脱ぎ捨てる。スィッダールトは欲望の赴くまま、アンナをベッドに押し倒してしまった。 それから、スィッダールトとアンナの仲は秘密裏に続いていた。ある日、アンナは、自分が妊娠したことを告げる。夫のシャウンとは数年間関係を持っていなかったため、それはスィッダールトの子供だとのことだった。焦るスィッダールトは、とりあえずアンナと共に病院へ行く。そこで知らされたのは、アンナの妊娠だけではなかった。なんとアンナは癌に冒されており、3ヶ月の余命しかないとのことだった。だが、医者の話では金さえ出せば治療は可能だという。だが、そんな金はスィッダールトの手元にもアンナの手元にもなかった。 死を覚悟したアンナは、自分に生命保険をかけ、その受取人をスィッダールトにしたと告げる。また、スィッダールトはソニアが他の男と一緒に食事をしている場面を見て彼は自暴自棄になり、警察署の金庫に保管してあった、押収した現金を持ち出し、アンナに手渡す。だが、その夜、シャウンとアンナの家は火事になり、2人の焼死体が見つかる。すぐに放火であることが分かり、事件の担当はソニアとなる。 全ての証拠は、スィッダールトに不利なものばかりだった。彼はその証拠を何とか隠滅しようと躍起になる。アンナの電話の通話記録には彼の名前が何度も出てきていたが、スィッダールトはその通話記録を改変する。麻薬監視局からは、押収した現金を証拠品として提供するように依頼が来る。スィッダールトは何とかそれを交わしていた。火事があった夜、スィッダールトはアンナの家を訪れていたが、その様子を隣人に見られていた。しかしその人は目が悪かったため、ばれずに済んだ。しかし、アンナに生命保険がかけられていたことが明らかになり、その受取人がスィッダールトであることが遂にソニアに知られてしまう。 一方、スィッダールトは、病院でアンナの妊娠と癌を告げた医者が偽物であることを突き止める。アンナの妊娠と癌も嘘だった。スィッダールトは医者になりすましたその男の行方を追い、奪われた現金を取り戻すことに成功する。また、スィッダールトの元にはアンナから電話がある。アンナは死んでおらず、火事で死んだのは別人だった。アンナは彼に、騙したことを謝ると同時に、シャウンに殺されそうになっているから助けて欲しいと言う。スィッダールトはすぐにその場へ向かう。アンナは血を流して手足を縛られていた。スィッダールトとシャウンは銃撃戦と乱闘を繰り広げ、その末にアンナがシャウンを射殺する。だが、アンナの銃口はスィッダールトにも向けられる。実は全てを仕組んだのはシャウンではなく、アンナだったのだ。絶体絶命のピンチだったが、そこへ駆けつけたソニアがアンナを射殺する。スィッダールトとソニアの仲も回復の兆しが見え、一件落着となった。
人妻と禁断の恋をしたら、全てが罠で、濡れ衣を着せられてしまった、というサスペンス映画。この手の映画はヒンディー語映画でもそれほど珍しくなくなって来ている。記憶にある中でも、「Ajnabee」(2001年)や「Jism」(2003年)がそのようなストーリーだった。
「Zeher」で工夫されていたのは、自分が濡れ衣を着せられた事件の捜査をするのが別居中の妻であること、また事件の容疑者として自分の名前が出るのを必死に隠蔽しようとすることの2点だったと思う。それだけが多少評価できるところで、あとはあまり現実的ではない筋書きで気が滅入った。この種の映画では、エロチックなシーンも見ものになっているが、この映画ではそれほどインパクトはなかった。
監督は新人のモーヒト・スーリー。なんとイムラーン・ハーシュミーの従兄弟らしく、「Raaz」(2002年)などで助監督を務めていた人物である。特に才能を感じさせるような映像ではなかったが、合格点ではなかろうか。
主人公のイムラーン・ハーシュミーは、何だか分からないが最近よく映画に出演するようになって来た若手男優である。瓜みたいな形の顔をしており、お世辞にもハンサムとは言えないと思うのだが、演技力はある。イムラーンはデビュー前にアミーシャー・パテールに「演技できそうにもないわね」とひどいことを言われたらしく、その悔しさをバネに演技力を磨いて来たとか。イムラーンはデビュー以来、マッリカー・シェーラーワト、ディーヤー・ミルザーら若手女優とキスをしてきており、「イムラーン=キス」というイメージが定着しつつある。この映画でもウディター・ゴースワミーと熱いキスシーンを演じた。
シャミター・シェッティーは、女優シルパー・シェッティーの妹。顔はそっくりである。「Mohabbatein」(2000年)や「Bewafaa」(2005年)に出演していたがあまりパッとしなかった。だが、「Zeher」にてようやく開花しそうだ。芯のある演技をしていてよかった。
ウディター・ゴースワーミーは、インド人というよりも東南アジア系の顔をした女優である。ウッタラーンチャル州デヘラードゥーン生まれらしいので、ネパール系の血が入っているかもしれない。ウディターは最近の他の女優と同じく、モデルから女優に転身した口だ。「Paap」(2003年)でデビューしたが、共演者のジョン・アブラハムが今や大スターの仲間入りをしたのに比べ、まだくすぶっている。「Zeher」では好演をしていたものの、いわゆる「インド人顔」の女優と比べると顔に力がなく、スクリーンで栄えない。だが、ウディターはこの映画を通してモーヒト・スーリー監督と恋仲になったようなので、その人脈で成長するかもしれない。
舞台は全編ゴア。パナジ名物のパナジ教会が映っていたのが分かったが、それ以外は、あまりゴアの特徴が活かされていなかったように感じた。別に舞台がムンバイーでも可能なストーリーだっただろう。登場人物にもゴアっぽさが出ていなかった。
ここ数週間はホーリーやクリケット印パ戦などの影響で、映画界に力がなく、期待作が公開されていない。「Zeher」も、特に観るべき価値がある映画とは思えなかった。