米国が対テロ戦争を繰り広げる前からインドはテロリストに悩まされて来た。ヒンディー語映画界においてもテロリストに対する関心は高く、テロリストを主人公または悪役とした映画は多い。最も有名なのは、1970年代以降、ムンバイーのアンダーワールドを支配して来たマフィアのドン、ダーウード・イブラーヒームであろう。彼の出自はギャングであるが、彼がインドに対して行って来た行為の数々はテロと呼んで差し支えないレベルであり、国際的にも指名手配されている。
インド本国では2018年5月4日に公開された「Omerta」は、実在のテロリスト、オマル・サイード・シェークの伝記映画である。監督は硬派な映画作りで知られるハンサル・メヘター。主演は演技派男優ラージクマール・ラーオ。他に、ラージェーシュ・タイラング、ルーピンダル・ナーグラーなどが出演している。
パーキスターン系英国人オマル・シェーク(ラージクマール・ラーオ)は、イスラーム教過激思想に感化され、パーキスターンやアフガーニスターンで訓練を受けた後、インドに入国し、1994年に外国人観光客誘拐事件を起こした。オマルは逮捕されるが、IC814ハイジャック事件によって釈放され、アフガーニスターンを経由してパーキスターンに戻って来る。 オマルはその後もユダヤ系米国人の誘拐および殺人事件を起こし、世界を震撼させる。パーキスターン警察によって逮捕され、死刑を宣告されるが、諜報機関ISIに守られたオマルの死刑は執行されていない。
オマルは、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学ぶインテリであったが、ボスニアでのイスラーム教徒の虐殺などに心を痛め、イスラーム教過激派思想に傾倒して行く。通常、ジハードに参加する過激派たちは無教養者が多いが、オマルは別格で、テロリスト組織やISIからも特別視され、指導者的な立場に出世して行く。
ただ、彼の行ったテロ行為は、テロリスト界ではそこまで派手さはないのではないかと思う。デリーの安宿街パハールガンジで外国人観光客を誘拐・拉致したり、カラーチーでウォールストリート・ジャーナルの記者を誘拐・殺害したりしただけである。2008年のムンバイー同時多発テロでは、刑務所の中から印パ両国の政府に電話をし、両国間で戦争を勃発させようとしたと言われているが、失敗に終わった。ただ、ISIが彼を守っていることは確実で、パーキスターンにおいて死刑宣告を受けたにも関わらず、刑は執行されず、今でもパーキスターンのハイダラーバードにある刑務所にいるとされている。
IC814ハイジャック事件では、ネパールのカトマンドゥからデリーに向かっていたインディアン・エアラインスの航空機がテロリストにハイジャックされ、人質との交換条件で、インドの刑務所に服役していた3人のテロリストが解放された。その3人が、ムシュターク・アハマド・ザルガール、マスード・アズハル、そしてオマル・シェークだった。彼らはその後もインドに対して数々のテロ行為を実行しており、インドにとって非常に手痛い失敗となってしまった。
ほとんどラージクマール・ラーオの独壇場であった。必ずしもテロリストの内面が繊細に描写されていた映画ではなかった。1時間半の上映時間の中で、事実を淡々と並べて行っていた。どちらかというと、インド人に対して、インドがテロリストたちのソフトターゲットになっていることに警鐘を鳴らす目的の映画であった。最後が尻切れトンボになっていたのは、この映画の評価を低める結果となった。
ちなみに、題名の「Omerta」とは、イタリアのシチリア・マフィアがメンバーに入るときに取り交わす儀式のことである。親指に針を刺し、流れ出た血を仲間同士で合わせ、掟の遵守を誓う。イスラーム教過激派たちが同様の儀式をしているという報告はないが、ジハードという使命で結ばれた聖戦士たちの絆が重ね合わせられているのだろう。
「Omerta」は、実在のテロリスト、オマル・サイード・シェークの伝記映画である。ハンサル・メヘター監督らしい硬派な映画で、ラージクマール・ラーオの好演が光る。ただ、事実の羅列に終わっているきらいがあり、決して映画として楽しい作品ではない。