2002年2月1日公開のヒンディー語映画。「Filhaal…」は「今現在」とか「一時的に」という意味。監督はメーグナー・グルザール。女性監督にしてこの映画がデヴュー作である。主演はタブー、スシュミター・セーン、サンジャイ・スーリー、パラシュ・セーン。前者二人は名の売れた女優だが、後者二人はあまりピンと来ない男優である。映画のテーマは「代理母」と「女の友情」。女の人生を中心に描いた、インド映画の中でも珍しいタイプの映画である。主演の女優二人が非常に光っていた作品だった。
レーヴァー(タブー)とシーアー(スシュミター・セーン)は学生時代からの友達で、深い友情で結ばれていた。ただ性格には違いがあり、レーヴァーは主婦向きな大人しくて繊細な女性、シーアーはカメラマンとしてのバリバリ仕事をこなすモダンな独立志向の女性だった。レーヴァーにはドルヴ(サンジャイ・スーリー)という恋人がいて、シーアーにもサーヒル(パラシュ・セーン)という恋人がいた。4人は非常に仲が良かった。そして遂にレーヴァーとドルヴは結婚することになる。サーヒルもシーアーに何度もプロポーズするのだが、仕事一筋のシーアーは結婚を拒否し続けていた。一見幸せそうに見えた新婚夫婦のレーヴァーとドルヴだが、ある日レーヴァーは妊娠はできるが子供を産むことができない身体であることが発覚する。ドルヴは養子をもらうことを提案するが、レーヴァーはどうしても自分の子供が欲しいと主張する。その様子を見ていたシーアーは、自分の子宮にレーヴァーとドルヴの受精卵を移植して、レーヴァーに代わって子供を産んであげることにした。ところが手術が終わった後でそのことを知ったサーヒルは怒り、シーアーとは絶交状態となる。そしてお腹が大きくなるにつれて、シーアーはカメラマンの仕事を続けるのが困難になって来る。また、レーヴァーは母親だが母親になれない悲しさからナーバスになり、シーアーの身体のことばかり気を遣うドルヴに嫉妬したりして、四人の仲は一瞬バラバラになりかけてしまう。ところがシーアーの胎内にいる赤ちゃんが危険な状態になって手術が必要となり、シーアーが緊急入院した病院にドルヴ、レーヴァーそしてサーヒルが駆けつける。手術は成功し、シーアーは無事子供を産むことができる。レーヴァーとドルヴは子供を手に入れることができ、レーヴァーとシーアーの友情も戻り、シーアーはサーヒルのプロポーズを素直に受け入れ、ふたつのカップルと4人の仲は幸せな状態となってハッピーエンドを迎える。
題名になっている「Filhaal…」という言葉は、いろんなシーンのセリフでちらちらと多分意識的に使われていたが、最後のシーンでその真意が分かる。シーアーが自分の産んだ子供を「私はfilhaal(一時的な)お母さんだったけど、これからはあなたの子供よ」と言ってレーヴァーに渡すのだ。そして「私たちの友情は永遠よ」とつながる。テーマが重いだけにまとめ方が難しかったとは思うのだが、清涼感溢れる映像と「女の友情」により、美しい話になっていた。「Filhaal…」は分類では娯楽映画の内に入るだろうが、十分社会派映画の要素も備えており、娯楽作品でありながら教養のある人々にも訴えかけていける新しいタイプのインド映画の誕生を感じた。
やはりタブー、スシュミター・セーンの二人にどうしても目が行ってしまう映画だった。タブーは薄幸の人妻役が非常に板に付いていて、ちょっと前に見たタブー主演の映画「Chandni Bar」(2001年)でも同じような雰囲気だった。スシュミター・セーンは元ミス・ユニバース。世界一の美女に輝いただけあって、その美貌はゴージャスそのもの。きらびやかな衣装が非常によく似合う。タブーもスシュミターも背が高くて足が長くてスラッとしているので、見栄えがいい。それに比べて男優二人は、女優を引き立たせるぐらいの役割しか果たしていなかったように思えた。
音楽はアヌ・マリク。「Filhaal…」の音楽CDはかなり以前に購入して、買ってすぐ聞いたときにはスローテンポの退屈な曲が多いCDだと感じていたのだが、聞けば聞くほど味が出て来た。そういえば同じアヌ・マリクが音楽を担当した「Asoka」(2001年)の曲も、最初聞いたときはあまり気に入らなかった。アヌ・マリクの音楽はインドの古典音楽と現代西洋音楽を絶妙なバランスでミックスしてあるように感じる。音楽の幅も広いし、スロー・テンポの曲もアップ・テンポの曲も得意だ。「Filhaal」、「Asoka」の他、彼が音楽監督を務めた最近の作品は「Ajnabee」(2001年)、「Lajja」(2001年)、「Yaadein」(2001年)など。どれも僕の好きなCDである。だから僕はアヌ・マリクが作曲したCDは無条件で買うことにしている。日本ではARレヘマーンばかり有名になっているが、アヌ・マリクも同じくらいすごいと思う。