結婚に反対する両親。駆け落ちする若い男女。しばらくは勘当状態だが、二人に子供ができたことで、両親も態度を軟化させ、関係が改善される。赤ちゃんの存在が、ギスギスしていた家族の関係を融和させる展開は、映画では常套であるし、現実世界でも珍しくない。2018年10月19日公開の「Badhaai Ho(おめでとう)」は、赤ちゃんを巡るドタバタ劇だ。だが、子供を授かるのは若い男女ではない。なんと、母親が年甲斐もなく妊娠してしまうという物語だ。
監督は「Tevar」(2015年)のアミト・ラヴィンダルナート・シャルマー。主演は、変わった映画に好んで出演する演技派男優アーユシュマーン・クラーナー。ヒロインは「Dangal」(2016年)のサーニヤー・マロートラー。彼らは形式的にはヒーローとヒロインだが、「Badhaai Ho」の真の主役は、妊娠した母親を演じたニーナー・グプターだ。そして、肝っ玉お祖母ちゃんのスレーカー・スィークリーも主役級の存在感。そして、気弱だが優しい父親を演じたガジラージ・ラーオも素晴らしい。他に、シーバー・チャッダー、シャルドゥル・ラーナーなどが出演している。
舞台はデリー。ジーテーンドラ(ガジラージ・ラーオ)はインド鉄道勤務の公務員。その妻のプリヤーンヴァダー(ニーナー・グプター)は主婦で、二人の間にはナクル(アーユシュマーン・クラーナー)とグラール(シャルドゥル・ラーナー)という2人の息子がいた。ナクルはゴードレージに勤め、同僚のレーニー(サーニヤー・マロートラー)と付き合っていた。ナクルの家は中産階級だが、レーニーは上流階級であった。また、ナクルの祖母ドゥルガー・デーヴィー(スレーカー・スィークリー)が同居していた。 ある日、プリヤーンヴァダーが妊娠したことが発覚する。ドゥルガー・デーヴィーは怒り狂い、ナクルとグラールはそれを恥と捉え、母親とは口を利かなくなる。その噂は瞬く間に近所や親戚に広まった。ナクルはレーニーを避けるようになる。真相を知ったレーニーは笑って受け容れるが、レーニーの母親(シーバー・チャッダー)はその知らせに眉をひそめ、ナクルの家族を批判する。それを聞いたナクルはレーニーの母親と喧嘩をし、レーニーとも絶交状態となる。 だが、プリヤーンヴァダーのお腹が大きくなるにつれて、家族もそれを前向きに捉えるようになる。ドゥルガー・デーヴィーとプリヤーンヴァダーの仲は元々良くなかったが、ドゥルガー・デーヴィーは、自分の面倒を見てくれている彼女を最高の嫁だと褒め称える。ナクルも、母親の味方をするのが家族の務めだと考え直す。ナクルはレーニーの母親に謝罪し、レーニーとの仲も改善する。 プリヤーンヴァダーは産気づき、早産ではあったが、健康な女の子を生んだ。その後、ナクルとレーニーも結婚をした。
インド映画が一貫して発信するメッセージは、家族の大切さ、家族の絆である。「Badhaai Ho」は、決して派手さはないが、そんなインド映画の良さがギュッと詰まった傑作だ。
中年の母親の妊娠というハプニングから映画は始まる。若い夫婦ならば文句なく吉報となるところだが、既に20代の息子がいる身での妊娠は、インドでは特に、奇異の目で見られてしまう。堕胎という選択肢もあったが、プリヤーンヴァダーは生むと言い張り、夫のジーテーンドラもそれに従う。当初は祖母や息子たちに呆れられ、隣人や親戚からは笑われる。ナクルに至っては、母親の妊娠をきっかけに、恋人のレーニーとの関係が険悪となってしまう。
だが、様々な転機を経て、家族はプリヤーンヴァダーの安産のために一丸となる。そこからは、世間の目など全く気に掛からなくなる。堂々としていれば、世間も彼らを笑わなくなった。こうしてプリヤーンヴァダーは健康な女児を生み、家族に幸せをもたらしたのだった。
「Badhaai Ho」を観ると、家族の価値がよく分かる。それと同時に、インドでは家族の在り方がだいぶ変化したことも感じる。インドは家父長制であり、父親が絶対的権力者として家庭内に君臨していると言われる。だが、「Badhaai Ho」のカウシク一家には、家父長制の「か」の字も見当たらない。父親のジーテーンドラはとてもソフトな性格で、プリヤーンヴァダーのことを常に愛情に溢れる眼差しで見ていた。二人の仲はとてもよく、そもそもそうでなければ妊娠もしないだろう。現代インドの理想の夫婦を体現していた。
インドの家族ドラマでは、嫁姑の確執は定番中の定番である。「Badhaai Ho」でも嫁姑関係が描かれ、当初は姑のドゥルガー・デーヴィーにいびられる嫁プリヤーンヴァダーの姿が映し出されていた。プリヤーンヴァダーの妊娠により、二人の関係はさらに悪化するものと予想された。だが、大事な場面でドゥルガー・デーヴィーはプリヤーンヴァダーの側に立ち、彼女を「最高の嫁」と褒め称える。2人の息子、ナクルとグラールも、自発的に自分たちが母親に対して取っていた態度を改め、母親を支えるようになる。
母親の妊娠という着想から、それがインドの社会でどんな騒動を巻き起こすかを想像力豊かに、かつコメディータッチで描きだし、それでいて家族の素晴らしさを称える結末につなげていた。インド映画の鑑である。
俳優たちの演技も素晴らしかった。アーユシュマーン・クラーナーの演技は改めて取り上げるまでもなく最高だし、サーニヤー・マロートラーも負けていなかった。だが、「Badhaai Ho」では年長の俳優たちによる縦横無尽の演技に注目が集まる。一番インパクトがあったのは、いかにもインドの典型的な祖母を凝縮したようなドゥルガー・デーヴィーを演じたスレーカー・スィークリーである。身体は小さいが、迫力は大男顔負けで、カウシク家の真の支配者であった。そのドゥルガー・デーヴィーに頭が上がらない息子(ナクルの父親)ジーテーンドラを演じたガジラージ・ラーオもキュートな演技だった。そして何より、映画の主題である妊娠した母親を演じたニーナー・グプターは最上級の賛辞を送られて然るべきだ。キャスティングが非常にうまくはまっており、まるで本当に隣に住んでいるかのようなインド人一家をスクリーン上に再現できていた。
言語的な部分では、ジーテーンドラが妻の妊娠を家族に明かすときに使い分けていた慣用句が面白かった。2人の息子たちに対しては、妊娠を婉曲的に伝えるため、「小さなお客さんがやって来る」という言い方をしていた一方、母親(祖母)に対して言うときは、「足が重くなった」と言っていた。「足が重くなる」とは、ヒンディー語で「妊娠」を示す表現である。
「Badhaai Ho」は、中年の母親の妊娠という変化球で始まる物語だが、インド映画がもっとも重視する家族の大切さを、現代的な家族の中で力強く発信する、心温まるコメディー映画である。2018年の大ヒット作の一本。必見の映画。日本で一般公開してもいいぐらいの出来である。