今日は、2004年7月16日公開の新作ヒンディー語映画の「Gayab」を観に、チャーナキャー・シネマへ行った。「Gayab」とは「ガーヤブ」と読み、「不在」みたいな意味。一言で言ってしまえば、インド版「透明人間」である。ヒンディー語映画界は最近、ラーム・ゴーパール・ヴァルマーを中心として、ハリウッド的題材や手法の映画を連発しているが、この「Gayab」もその一環と言える。インド映画で透明人間と言えば、アニル・カプール主演「Mr. India」(1987年)が有名だが、それとは無関係の作品だ。
製作はラーム・ゴーパール・ヴァルマーのプロダクションで、監督は「Darna Mana Hai」(2003年)のプラワール・ラマン。音楽はアジャイ・アトゥル。キャストはトゥシャール・カプール、アンタラー・マーリー、ラグビール・ヤーダヴ、ラマン・トリカー、プラシカー・ジョーシー、ゴーヴィンド・ナームデーヴなど。
ヴィシュヌ(トゥシャール・カプール)は素直だが内気で臆病者の男だった。セールスマンの仕事をしていたが、口下手なヴィシュヌはなかなか売上を伸ばすことができず、家に帰れば鬼婆のような母親(プラシカー・ジョーシー)から罵声を浴びせかけられ、友人たちからはからかわれ、密かに思いを寄せる隣人のモーヒニー(アンタラー・マーリー)にも相手にされなかった。大学教授の父親(ラグビール・ヤーダヴ)は優しい性格だったが、母親の暴君振りを止めることができなかった。また、モーヒニーにはサミール(ラマン・トリカー)という恋人がおり、ヴィシュヌは毎日のように彼女の家にやって来るサミールを、うらめしそうに見ていたのだった。 そんなある日、ヴィシュヌは海岸で気味の悪い神様の像を拾う。ヴィシュヌは「どうして僕を創ったんだ!僕は誰からも必要とされてない、みんなの笑い者でしかない!僕を消してくれ!」と叫ぶ。その瞬間から、ヴィシュヌは透明人間になってしまう。 透明人間となったヴィシュヌは、今まで自分を馬鹿にして来た人々への復讐を始めると同時に、モーヒニーの部屋に侵入して彼女を観察し、挙句の果てには口説き始める。モーヒニーは拒絶するが、ますます悪戯をエスカレートさせたヴィシュヌは、銀行から大金を盗み、モーヒニーにプレゼントしようとする。これを機に今まで透明人間のことなど信じなかった警察も動き始め、透明人間捕獲作戦が開始される。モーヒニーと恋人のサミールは国外に脱出しようと試みるが、ヴィシュヌは「24時間以内にモーヒニーを連れて来ないと、ムンバイー中を滅茶苦茶にしてやる」と宣言する。そのため、警察はモーヒニーを使ってヴィシュヌを射殺しようと計画するが、ヴィシュヌの純真さを感じ取っていたモーヒニーは彼を助ける。 モーヒニーに説得されたヴィシュヌは心を入れ替え、警察に自首し、6ヶ月の禁固刑を受ける。出所後、ヴィシュヌは透明人間という力を利用して警察に協力し、一躍スーパーヒーローとなった。
インド版「透明人間」と聞いた途端、大体ストーリーは想像がついたが、僕が期待していたのは「どのようにして透明になるか」という起の部分と「エンディングをどのようにまとめるか」という結の部分だった。起の部分は、やはりインドらしく、神様が主人公を透明にするという設定となっていた。そういえば「Darna Mana Hai」にも、同じようなストーリーがあった。結の部分は、僕は悲しいエンディングを想像していたのだが、やはりこれもインド映画の方程式に従って、どちらかというとハッピーエンドで終わっていた。
弱虫の主人公が透明人間になった途端、今まで自分をいじめて来た人々に仕返しをするシーンは、最初はヴィシュヌに対して同情心があるため、痛快な気持ちになるが、悪戯がエスカレートするに従って、次第にヴィシュヌへの嫌悪感が高まって来る。中盤を越え、モーヒニーを執拗にストーカーしたり、サミールを一方的に殴打したり、銀行強盗したりするようになると、ヴィシュヌは悪役と変わらぬ存在となってしまう。唯一、息子がいなくなって悲しむ父親を見て、ヴィシュヌが「父さん、僕はここにいるよ」と話しかけるシーンは、観客の涙を誘う。このまま最後はヴィシュヌが死んで終わりになるかと思ったが、急転直下、モーヒニーに「あなたが私のことを忘れることができないのと同じように、私もサミールのことを忘れることはできないのよ。」、「あなたはその力をいいことに使うべきだわ。きっとスーパーヒーローになれるわ。」という説得に応じる形で自首し、物語はハッピーエンド寄りの終わり方となる。
主役はトゥシャール・カプール。僕は彼に「のび太君俳優」というレッテルを貼ったのだが、そのレッテルに恥じぬ役を「Gayab」で演じてくれた。弱々しい男を演じさせたら、現在のヒンディー語映画俳優の中で、彼の右に出る者はいないだろう。元々いじめられっ子みたいな顔をしているので、今回ははまり役だった。
ヒロインのアンタラー・マーリーは、異色の女優と言っていいだろう。痩せているのになぜかパワフルであり、セクシー・ダイナマイトでありながらなぜか親しみのある顔をしている。ダンスもうまいし、お色気シーンも難なくこなしている。「Gayab」でますますアンタラーのファンになってしまった。
透明人間映画というと、特撮技術の見せ所である。「Gayab」にも多くのシーンで特撮が使われていたが、部分的にはよく撮れていたものの、部分的には幼稚であった。だが、服を着た透明人間が踊るミュージカルシーン「Gayab Hoke Sab Dikhta Hai」などは、インド映画ならではの面白い試みと言えるだろう。音楽には特筆すべき点はなかった。
「Gayab」は、映画としての完成度はそれほど高くなく、ギャグの切れもありきたりでよくなかったが、冷房の効いた映画館で2~3時間まったりと涼むのにはちょうどいい作品である。