今日は、2004年4月2日公開、MFフサイン監督の自費製作映画「Meenaxi: Tales of 3 Cities」をPVRアヌパム4で観た。MFフサインは画家で、過去に「Through the Eyes of a Painter」(1966年)と「Gaja Gamini」(2000年)の2本を監督している。既に年齢は88歳。こんな高齢でまだ映画を作ることだけでも驚きである。キャストはタブー、クナール・カプール(新人)、ラグビール・ヤーダヴなど。音楽監督はARレヘマーン。ちなみに「Meenaxi」とは「魚の目をした女性」という意味で、主人公の女性の名前。
ハイダラーバード在住で作家のナワーブ(ラグビール・ヤーダヴ)はスランプに陥っていた。同居していた妹が嫁いで出て行ってしまってから、彼の生活は荒れるばかりだった。長年愛用していた愛車ベーガムも故障してしまい、修理に出さなくてはならなかった。そんなとき、ナワーブは一人の不思議な女性ミーナークシー(タブー)と出会う。ミーナークシーは、自分を主人公に小説を書くように頼む。ナワーブは、一切文句を言わないという条件の下、彼女を主人公に小説を書き始める。また、主人公の男性のモデルになったのは、ベーガムを修理に出した自動車修理屋の男(クナール・カプール)だった。彼はミュージシャンになる夢を持ちながら、自動車を修理する毎日だった。 小説の舞台はジャイサルメール。ハイダラーバードからやって来たカーメーシュワル(クナール・カプール)は、ミーナークシー(タブー)という女性と出会う。カーメーシュワルはミーナークシーと出会い、恋に落ち、そして・・・。しかしこの話はミーナークシーが気に入らず、全て燃やしてしまった。 次にナワーブが書き始めた小説の舞台はチェコのプラハ。インド学を学ぶマリア(タブー)は、インドからやって来たカーメーシュワル(クナール・カプール)と出会い、恋に落ち、そして・・・。やはりこの小説もうまく進まない。しかしその内、小説の中に現れたナワーブは、マリアに、現実の世界に出てきてくれ、と頼む。 妹が嫁ぎ先からナワーブを訪ねて来ると、ベッドにはナワーブが横たわって息を引き取っていた。ナワーブの小説の世界の主人公だったミーナークシーは、彼が小説を書く前から現実の世界に現れ、彼に小説を書かせていたのだった。そして天国(?)でナワーブはミーナークシーと出会っていた。
非常に詩的な映画。「Tehzeeb」(2003年)という映画があったが、あの映画にも増して詩を読んでいるかのような難解な映画だった。舞台はヒンディー語とウルドゥー語の揺りかごで、かつハイダラーバード藩王国の首都として栄えた文芸都市ハイダラーバード。主人公は常に詩を朗読しているような典型的文学者で、ヒンディー語というよりウルドゥー語を話す。作品の構成も現実の世界と小説の世界が入り乱れ、また幻想的なミュージカルシーンが頻繁に挿入される。だから、あらすじを書くのにも苦労した。「Tehzeeb」と併せて、このような映画をガザル映画とカテゴライズしたい。ガザル映画の定義とは、登場人物がウルドゥー語を話し(つまりアラビア・ペルシア語彙を多用し)、詩の詠唱が映画中よく登場し、ストーリーがガザル詩のように一貫性がない映画のことを指す。
映画が始まるとまず、ハイダラーバードの名所チャール・ミーナールが映し出される。ナワーブは不思議な女性ミーナークシーの頼みに従って、ラージャスターン州ジャイサルメールを舞台にした小説を書き始める。もちろんジャイサルメールでロケが行われており、中世とほとんど変わらぬ街並みと、中世とほとんど変わらぬ格好をした地元の人々は、それだけで臨場感がある。小説の主人公はカーメーシュワルとミーナークシー。砂漠の街を背景に燃え上がる恋。しかし二人の恋は最後まで書かれることなく、ミーナークシー自身に燃やされてしまう。
次に書き始められたのは、チェコのプラハを舞台にした小説。これもやはりプラハでロケが行われている。ただ、タブー演じるマリアがチェコ人というのは少し無理がある。チェコでもカーメーシュワルとミーナークシーの恋は燃え上がるが、やはり最後まで書かれることなく終わってしまう。ナワーブは小説を書くにつれて次第に衰弱していき、最後に息を引き取る。しかしナワーブは、幻想の世界でミーナークシーと出会い、「この世界も小説なのか?」と問いかける。この映画の副題は「3つの都市の物語」。3つの都市とはもちろん、ハイダラーバード、ジャイサルメール、そしてプラハである。ナワーブが書く小説の舞台としてジャイサルメールとプラハの物語が描かれたが、ハイダラーバードを舞台にしたナワーブの人生も、結局その物語の一話に過ぎなかったのだろうか。そして我々がいる世界もまた、誰かの書く小説の一部であり、我々もその登場人物に過ぎないのかもしれない。「マトリックス」シリーズをより文学的に魅せた映画だと感じた。
主演女優のタブーは、もはや安心して見ていられる優れた女優と言っていい。演技も申し分なく、ムスリム特有のヒンディー語の発音も何だかそそる(ヒンディー語には、ムスリムっぽい鼻から抜けるような発音というのがあると思う)。ただ、プラハのシーンで洋服を着たタッブーは・・・ちょっと駄目だった。ラグビール・ヤーダヴもベテランらしい演技。カーメーシュワルを演じたクナール・カプールは、モデルのようなスタイルと顔立ち。モデル体型の映画女優が次第に増えてきたと思っていたが、その波は男優にも押し寄せている。日本でも人気が出そうな甘いフェイスをしている。そういえば映画中、監督のMFフサインも特別出演している。高齢なのに達者なことで・・・。